もしもの物語-16-



このままお別れなのかと思った。
その現実を、もう受け止めなければいけないんだって。

―――ああ、まったくその通りだな

ふいに、頭上から男の声が降ってきた。唐突に聞こえてきたその声に、ロゼはぽかんとした表情で上を見上げる。
途端、同じく呆気に取られていたデゼルが鈍い音と共に落下してきた。
「デゼル!?」
我に返ったロゼは、頭を押さえる青年の腕をとっさに掴んだ。
固いジャケットの感触に驚くほどの安堵がこみ上げてきて、無意識に息が零れる。
よかった。まだいる。ここにいる。
「相変わらずの石頭だな、お前は」
呆れ交じりの笑い声に思わず顔を上げると、人影がこちらに降りてくるところだった。
黒い衣服に先が緑色に染まった銀の髪、それから若緑の双眸。デゼルと全く同じ格好をした、デゼルと正反対の雰囲気を持った天族の男。
誰?と思っていたら、デゼルの身体が大きく震えた。
この声は…と、掠れた気味に呟く。
もしかして。ロゼは黒いジャケットを握りしめながら男を見つめる。
「ラファーガ…!」
予想通りの名が、ひどく動揺した声音で紡がれた。
「ひとつ成し遂げたから一人前、てわけじゃないだろう、デゼル」
ラファーガと呼ばれた天族の男は、どこか呆れ宥めるような雰囲気で、穏やかに微笑んでいた。


◆   ◆   ◆


葉の揺れる音がする。耳を掠める風の音も、獣や虫の鳴き声も。
普段は気にも留めないはずの音が、今は聞こえることに安心する。
息を吸い込んで、吐き出す。やっと元に戻ったという実感が胸にじわじわと広がってきた。
濃紺から少しだけ明るくなっていた空の下を、スレイは当てもなく彷徨っていた。
「スレイ」
ふいに、落ち着きのある高い声に名を呼ばれた。辺りを見回すと、階段の先のベンチに小さな少女がちょこんと座っていた。
見上げてくる視線に促されるまま、階段を下って彼女の元へ行く。いつも手にしている傘は、今は横に置かれていた。
「宿で休んでるのかと思った」
「天族に睡眠は必要ないわ。今更じゃない」
「それは知ってる。けど、休憩は必要だろ?」
疲れているだろうと暗に指摘すると、エドナは半眼になった。多分図星だ。
なのに、何でここにいるのだろうか。
その疑問は顔に出ていたらしい。彼女は目を細めたまま部屋がうるさくて休めないと愚痴をこぼした。
宿に戻った時のことを思い出して、なるほどと納得する。
「アリーシャとライラ、ロゼにくっついて離れなかったもんなぁ」
「看病されてる本人からウザったいって苦情が来るほどの邪魔っぷりよ」
呆れかえっている少女の態度に、スレイは苦笑いするしかなかった。それほど心配で仕方ないのだろう。
かといってエドナが心配をしていないわけではない。騒がしかったというのも確かにあるだろうが、きっと出てきたのは彼女なりの気遣いだ。
これも顔に出ていたようで、不機嫌そうな顔で睨まれた。
「えっと、デゼルはやっぱり、外に出られないまま?」
その視線から逃れるように頬を掻きながらもう一人の負傷者を挙げると、エドナは呆れた気配のままそのままよ、肩を竦めた。
「少しの間なら形を保てるみたいだけど…長時間は無理そうね」
「……そっか」
それを聞いて、スレイは溜め息のような相槌をうった。

ロゼを救い出して、命をなげうったデゼルも無事だった。憑魔を撃退したあと、敵もスレイ達と交戦することもなく姿を消した。
それで危機は過ぎ去ったと思ったのだ。
デゼルが器から出て、姿を現すまでは。
「ザビーダは霊力の使い過ぎなんじゃないかって言ってたけど、あんな風になるものなのかな」
「さぁね。ワタシも初めて見たもの」
器であるロゼから出てきたデゼルは、ひどく薄くなっていた。
それしか言いようがなかった。デゼルを通して向こう側の景色が透けて見えたのだ。
そのあとすぐに小さな光となってロゼの中に戻ってしまったのだから、ライラやアリーシャがつきっきりになるのもわかる。
身体を構成している霊力まで弾の力に変換したのだから、そうなってもおかしくはない。
寧ろ無事な方が不思議だと、そう言ってザビーダは終始不審な顔をしていた。
「ま、朝になればまた状況が変わってくるんじゃない?少なくとも、今のワタシたちにできることは何もないわ」
「うん、そうだな…」
エドナの言葉に、スレイもゆっくりと頷く。
街の外から、風に乗って何かの花の香りが二人の間をすり抜けていく。厳粛な城壁に囲まれた街だが、それでも市街に活気のあるのはこうして外の空気が絶えず流れているからなのかもしれない。
そんなことを頭の隅で思っていると、ベンチに座る少女がふいに瞼を伏せた。
「あの不思議ちゃん。『自分は業を背負うものだ』って言ってたわね」
切り出された話にスレイはまばたきをするが、すぐにああ、と肯定した。
「導師は悲しい業を背負った天族のことを、知る必要があるとも言ってた」
去り際にサイモンと名乗った少女が告げたその言葉が、実は気になっていた。
加護を与えたものに不幸を招く、『疫病神』。そのような存在を、スレイは初めて知った。
そしてサイモンは、もっと知るべきだと自分に突き付けてきた。
彼女の意図がどこにあるのか、まだわからない。
ただ、自分自身のことまでそう呼ぶのはとても悲しいことだと、今はそう思うだけだ。

「人にとって、存在しているだけで悪という者……」
耳を傾けていなければ聞き逃していたほどの小さな声で、エドナがぽつりと呟いた。
日中の空のような青い瞳は、どこか別の景色を見ているようだった。
「そこに居るだけで、望まない結果を導くものにとって、死は―――」
「エドナ!」
彼女の言葉に不穏な気配を察したスレイは、遮るように彼女の名を叫んだ。
思った以上に大きく出た声に細い肩が揺れ、僅かに驚いた眼差しと目が合った。
「…バカね。デゼルのことじゃないわ」
一体、自分はどんな顔をしていたのだろう。呆れたようにかすかに笑う彼女が、何故か今にも泣きそうに見えた。
「お兄さんのことでもダメだ。言っちゃ」
険しい顔でそう諭すと、エドナは顔を俯けて視線を逸らした。
呼吸ひとつ分の間の後、再び口を開く。
「言ったとしても、そんなのただの言葉じゃない。それも何度も耳にしたでしょ」
「エドナ…」
ベンチの縁を両手で掴みながら事もなげに言った言葉に、ツキンと胸が痛んだ。
ドラゴンと化したアイゼンの傍に居続けたエドナは、きっとスレイ以上に聞いてきたのだろう。誰かに、そして自分に。僅かな感情すら出てこないほど、幾度となく。
けど、スレイに言っているようで自分自身に言い聞かせているようなその台詞に、同意はできない。
「それでもイヤなんだ。今、聞きたくない」
だって、まるで諦めたみたいに聞こえる。約束を、諦められたみたいに。
その言葉を呑み込んで、スレイは首を横に振ってそう伝えた。エドナはスレイを見ないまま、視線を足元に向けていた。
無言の間が空気を支配する。先程のサイモンの領域が戻ってきたように感じて、思わず身じろいだ。
スレイが居心地の悪さを感じ始めたところで、ようやく少女はそう、と小さく呟いた。
「じゃ、話は終わりね」
先程とは一転して、いつものような調子で半ば強引に話を終わらせてきた。
用は済んだとばかりにベンチに背中を預けるエドナに、複雑な思いを抱きながらも足を動かす。多分、今続けても平行線のままだろうから。
あれから、まだ半日も経っていない。
はじまったばかりの今日の間に、色々とありすぎた。
とはいえ、宿に帰ってもまだ眠れそうにない。もう少し街を歩いて身体を動かそう。
踵を返して数歩歩みだした直後、話を打ち切ったエドナからまた名を呼ばれた。何だろうと足を止めると、ベンチから立ち上がった彼女がいた。
「さっきのはワタシが悪い。謝る。ごめん」
「…ん、いいよ。怒ってたわけじゃないから」
気まずそうに目を逸らしたまま謝罪する彼女に、スレイは目を細めてそれを受け止める。
だが、エドナは顔を上げようとしなかった。不思議に思いながらも、傘を握りしめる少女が話し出すのを静かに待った。
「ただ、つい思ってしまったの。デゼルは、本当に救われたのかしらって……」
小さな声のはずだった。けれど、唐突に吹いてきた緩やかな風に乗って、思いのほか大きくスレイの元に届いた。
スレイは僅かに息を止めた。エドナが傘の柄に乗った手にさらに力を込めたのが見えた。
「……うん、オレもそう思う」
弾かれたようにエドナが勢いよく見上げてきた。
大きな空色の瞳を皿のように丸くした少女に笑いかけて、スレイはまたゆっくりと口を開いたのだった。



スレイがいなくなって、周囲は閑散とした空気に包まれた。
夜更けの小さな広場。朝になれば散歩にくる者も現れるだろうが、今は人っ子一人いない。
ぽつんと置かれたベンチに、エドナは再び座っていた。大きめのブーツを脱いで、膝を抱えて小さく丸めた身体をゆっくりと揺らす。
横に置いた傘に気まぐれに触りながら、溜め息を零す。吐いた息が膝頭に当たって、一瞬だけ温かさを感じた。
「……今の気持ちをまとめるのには、夜は短すぎるわね」
ぽつりと呟いた独り言は、やけに大きく響いた。思わず視線を滑らせて、別にいいかと面倒そうに目を閉じる。どうせ誰もいない。
先程までここにいた少年のことを思い出して、頭を伏せたままエドナは小さく笑った。
「いつの間にか、あんな顔するようになっちゃって…生意気だわ」
―――『あの時一番救われたのは、きっとオレだから』
いたずらに混乱させるだけかと言ってから後悔したが、寧ろこちらが驚かされてしまった。
もう新米導師だなんて呼べなくなりそうだ。人間の成長はこんなにも早い。
(それに比べて…)
膝に額を押し付けて、右手にはめた手袋にそっと触れる。

昔は、もっと固くて大きな手にはめられていた。
その手に優しく頭を撫でられるのが、密かに好きだった。
もう一度息を吐いて、顔を上げる。空の色は夜闇から白みはじめてきたが、まだまだ暗い。
空の先を、遥か遠くを見通すように見つめた。その先にあるだろう気高い山脈を思い浮かべて、小さく呟いた。
「お兄ちゃん、ワタシはどっちを選べばいいのかしらね…」
その表情は彼女にしては珍しく弱い、ひどく揺れ惑った色を浮かべていた。


◆   ◆   ◆


ペンドラゴの中心街を一通り巡って、そろそろ宿屋に戻ろうとしたときだった。
いきなり正面広場にある噴水から爆発音がした。空高く上がる水柱に、スレイはぎょっと後退る。
「び…っくりしたぁ」
目を丸くして無意識に声が漏れた。てっきり憑魔でも現れたのかと思った。
そういえば以前、女性陣だけで買い物に出かけたとき、帰ってきたエドナがものすごく不機嫌で帰ってきたことがあった。エドナ曰くバカな人間が作ったバカ噴水に嫌がらせを受け、ライラ曰く悪口を言ったエドナに噴水が怒ったのだと。
聞いたときはよくわからなかったが、なるほどこういうことか。
ペンドラゴ名物であり、別名『憤怒の噴水』。確かに、まるで噴水が怒り出したかのような水の吹き上げだった。
「っ、冷た…!」
思わず感心していると、小さな悲鳴がスレイの耳に届いた。
この声は、もしかして。
宿屋前まで近づいて、その人影に気付いて急いで階段を下った。
「アリーシャ、大丈夫?!」
「スレイ…?」
噴水に駆け寄っていくと、自らの身体を抱きしめていたアリーシャが驚いた顔をしていた。
思い切り水を浴びてしまったのだろう。鎧も騎士の制服も外し、薄着で全身ずぶ濡れ状態のアリーシャはとても寒そうだった。
「ええと、何か拭くもの……そうだ!」
「ス、スレイ?!わっ…!」
何かないかとポケットや懐を叩いて探っていたスレイは、はっと思いついたようにいきなりマントを脱いだ。アリーシャの焦ったような声にかまわず、そのまま彼女に頭からかぶせる。
前の留め具を外さないまま、すぽんと顔を出させたその拍子に、花のような髪飾りと結紐が解けてしまった。
「うわわ、ごめん!髪が…あ、もしかしてどっか引っ掛けちゃった?痛くない?」
丸くした目をぱちぱちとまたたかせるアリーシャに、髪飾りを持ったままさらに慌てた。
まさに混乱ここに極まる。スレイ自身も思ったことがそのまま口をついて出ているとわかっているが、止められない。
おろおろと挙動不審になるスレイを止めたのは、下から聞こえてきた吐息のような笑声だった。
「大丈夫。痛くもないし、あたたかいよ」
ありがとうとはにかんだ笑みを浮かべながら、アリーシャは結び癖のついた髪を手櫛でとかす。彼女が羽織ると、マントというよりローブのようだとふと思った。
ぽたぽたと水滴がしたたり落ちる細い顎から視線を引きはがしながら、スレイはならよかった、と頭を掻いた。水を拭った細い指先にも何故か目がいきそうになって、妙な焦りが湧いてくる。マントを脱いで涼しいはずなのに、顔が熱い。
手持ち無沙汰に辺りを見回して、ふと上を見上げた。そういえば宿屋がすぐそこにあったと、気付いて苦笑いする。
こんなことをしなくても、戻ればタオルも暖もとれるし、着替えられる。何より火の天響術が使えるライラがいる。慌てすぎだ。
だが、アリーシャは座る場所を少し移動しただけだった。ここならあまり濡れてないだろうからとまで言われてしまえば、スレイは促されるまま噴水の縁に座るしかない。
「ついさっき出たばかりだから…もう少し外の空気を吸いたいんだ」
スレイの顔を見て何を思っているのか察したのか、尋ねる前にアリーシャがそう言ってきた。それは先程まで自分自身が抱いていた思いで、だからスレイも宿に戻ろうと提案するのをやめた。
「その代わりと言ってはなんだが…よかったら、一緒に食べてくれないだろうか?」
「それは?」
「ミクリオ様からいただいたんだ」
マントの下からごそごそと取り出したのは、よくある茶色い紙袋。どうやら先ほど自分の身体を抱きしめていたのは、これを守るためでもあったようだ。
水滴がいくつか落ちて、少しだけまだら模様になっているその袋を開けてアリーシャは中身を見せる。
入っていたのは、貝殻のような形をした焼き菓子だった。
「……ミクリオってさ」
「ミクリオ様?」
小首を傾げて親友の名を繰り返す少女に、スレイは呟きかけた言葉を途中でやめて首を振った。
その笑みに複雑そうな色が混じっていることに、スレイ自身気付いていない。
「何でもない。じゃあもらおっかな」
紙袋に手を入れて、焼き菓子を二つほどもらう。確かマドレーヌといっただろうか。
手のひらくらいのそれを、一口で放り込む。バターと砂糖の甘さがしっとりと口の中で溶けた。
―――ミクリオってさ、アリーシャに甘いよね
その甘さごと、喉まで出かかった言葉を胃まで押し込んだ。焦げているわけでもないのに苦さを感じて、無意識に眉が寄った。
(前は嬉しかったはずなのになぁ…)
胸のうちでぽつりと独りごちる。自分でも自分がよくわからない。
以前は、ミクリオがアリーシャのことを気にかけていることがただ単純に嬉しかった。はじめて出会ったとき、ミクリオはずっと彼女のことを警戒していたから。
「また、喧嘩でも?」
躊躇いがちに尋ねてくる声にはっとして現実に戻ってくる。不安げに自分の様子を窺うアリーシャに、口の中の苦みがなくなっていくのを感じた。
自然と緩む頬をそのままにスレイはまた首を振る。
「ううん、喧嘩はしてない。どっちかっていうと励まされたかな」
――――『導師の使命だからじゃない。僕たちの旅は僕たちのものだ』
ロゼとデゼルを宿屋に運んだ直後、外で共に待っていたミクリオが強い眼差しでそう言った。
「オレたちの答えを探す旅を続けよう…って。…なんていうか、ホント流石って思った」
礼は不要だと言われてしまったが、ひたすらに感謝の一言に尽きる。
迷っていたわけじゃない。けど、静かに背中を押されたと、そう思った。
『導師』だからではなく、自分達の意志でここに立っているのだと。
ほっと、自分の傍で吐息が零れた。目を向ければ、アリーシャが安心した表情でそうか、と小さく笑みを浮かべていた。
「てっきり、今度は部屋を追い出されたのかと思ったよ」
「ちょっ、言っとくけどオレそんなにしょっちゅうミクリオに叱られてるワケじゃないからね?!そりゃジイジにはよく雷落とされてたけど、ミクリオには……そこそこ怒られてたかもしれないけど…」
慌てて弁明しようとして、結局弁明になっていないことに気付いて段々と声に勢いがなくなった。寧ろ墓穴を掘ってしまったと、気付いた時にはくすくすと笑われていた。
マントに口元を埋めて肩を揺らす彼女をむすっとした顔をして軽く睨んだ。けれどすぐに、スレイも吹き出して笑った。
わからない、本当に。
笑って、落ち込んで、またすぐに笑って。
何てことない言葉でも、アリーシャからのものだと一喜一憂している自分がいることが。

ひとしきり笑ってから、スレイはふと思い出したようにそういえば、と口を開く。
「ライラは宿屋にいるの?」
「いや、私と一緒に外に出ていったよ。あの憑魔を悼みたいと、鳥の形をした折り紙を持って街の高台へ」
何か用でも?と尋ね返すアリーシャに、スレイはううん、と首を振る。
「えっと、ザビーダがさ…」
そこで思わず止まってしまった。
いきなり、何の突拍子もなく言われた言葉を思い出して、何とも言えない顔になる。正直に言えば困惑していた。いっそ混乱している気もする。
静かに続きを待っているアリーシャに、意を決して右往左往していた視線を向けた。
「陪神契約を結びたいから、ライラはどこだって聞いてきた」
噴水が流れる音が響く。隣には固まったアリーシャがいる。
やはりあの時の自分の反応は間違ってなかったんだと、微動だにしない彼女を見て安心した。
「それは、ザビーダ様が…」
「うん、オレたちと一緒に旅するってこと…だよね、やっぱ」
ようやく声を出したアリーシャに、スレイも確認するようにゆっくりと返事をする。
ザビーダだ。幾度となく戦いをしかけられた、あの飄々とした。
仲間になると、誰が予想しただろう。
「なんというか……なかなか掴みにくいお方だな…」
遠回しな言い回しを何とか探し出したような言葉だった。『天族』という存在そのものに敬意を持っている彼女からしたら、いくら相手がザビーダでも失礼な表現はできないのだろう。
「ザビーダみたいなのこそヘンなヤツだよなぁ」
かくいうスレイは遠慮なく思ったことを正直に呟く。元々自分の中で天族は信仰の対象ではない。下界での天族の認識を知った今でも、スレイにとっては共に生きる対等な存在だ。
それでいいと思うのだ。
みんなそうなればいい、とも。
けれど、宗教というものは思った以上に人の心の奥深くまで根付いていることも痛感した。だから無茶苦茶な論理や言い伝えでも、それを疑わずに信じてしまう。
逆に天族を信じないものは全く信じていないのだが、それはそれで悲しく思う。
「もしかして、ずっと気にしていたのか?」
「そりゃそうだよ。会う人みんなに言われてたら、気にしてなくても気になってくるって」
「ああ…それは確かに一理ある」
「でしょ?」
思い当たる節があったのか、やや遠い目をしながら苦笑するアリーシャにスレイも笑う。無鉄砲姫のこと?と尋ねれば、よく覚えているなと気恥ずかしげにマントに顔を埋めてしまった。
その姿に笑みを深めて、しかしザビーダ繋がりであることを思い出してあっと声を上げた。
「そういえばアリーシャ、オレたちに黙って行動するのは危ないだろ」
真剣な顔で向き直る。思った以上に咎めるような口調になってしまったが、そのまま続けた。
急な話題転換にアリーシャはきょとんと目をしばたかせたが、やがて何のことを言われているのか気付いてバツが悪そうに目を逸らす。
「訳はザビーダから聞いたけど、ちょっとは相談してくれたってよかったんじゃない?」
―――このままだと、死人が出るからさ
既にエドナから天誅を受けてうずくまっていたザビーダから、アリーシャにそう告げたのだと聞いた。時期はザビーダと対峙したとき。それから、深夜にペンドラゴの正面口で待つと。
「…すまない。今思うと軽率だったと、反省している」
アリーシャは顔を俯けて謝罪する。手に力が入ったのか、紙袋がかさりと音を立てた。
少しの逡巡のあと、だが、と再び彼女の声がした。
「居ても立っても居られなかったんだ。失うかもしれないと、そう思ったら…」
ザビーダの言葉に縋りたくなったと、苦しげな声で、アリーシャはそう吐き出した。
「…正直、オレもアリーシャの立場だったらそうしたと思う。だからあんま人のこと言えないかもだけど…」
辛そうに顔を伏せるアリーシャに頭に、手を乗せる。薄い色素の髪は、やはりまだまだ水を含んでいた。
「もし次があったときは、オレに話して。ひとりで抱え込んじゃダメだ」
「…わかった」
スレイの手を乗せたまま、こくりと頷いた。それに目を細めて、スレイはそっと手を戻した。
流水が静かに下へと落ちる。空を映した水は黒いが、きらめく星を含んでいて綺麗だ。
「あの憑魔、デゼルの親友だったんだね」
「ああ、ラファーガ様、とおっしゃったか。命を救ってくださったと…」
あの時よりもずっと安心した表情で、アリーシャは言葉を返した。きっと自分も同じような顔をしているのだろうなと、何となしに思う。
ベッドに運んで、とりあえず何もしないよりはと治癒の天響術をかけてから、意識が途切れるまでデゼルがぽつぽつと憑魔の中での出来事を語ってくれた。
――――『俺の分まで見てこいと言われたんだ。……相変わらず、勝手なヤツだったな』
まだ力のない声で、聞いているこっちが切なくなるような穏やかさを孕んだ声音で。
そのときに湧いてきた感情を、スレイは思い返す。それはずっと燻っていたものを、明らかにしてくれた。

スレイはマドレーヌをじっと見つめて、意を決したように口に放り込んだ。さっきよりも中が柔らかい。もしかして生焼けだろうか。
「……アリーシャ」
甘い菓子を呑み込んで、深く呼吸をしてから、彼女の名を呼んだ。
くるまれるようにマントの裾を握っていたアリーシャは、小首を傾げて何だろうか、と答える。
「ちょっとさ、手、繋いでもいいかな?」
「手…?」
「うん、手」
疑問符を浮かべる少女に、スレイは手を差し出す。訝しげな顔をしながらも、そっとグローブを外した手を乗せてくれた。
その上からまた自分の手を置いて、白くたおやかな手を包み込む。彼女の手を握って仲間と意思疎通をはかっていたのはつい最近のことなのに、とても懐かしく感じた。
落ち着けたのに、結局心臓は速くなりはじめた。前はこんなことなかったのになぁと内心で苦笑いしながらも、以前のような心地よさを感じて心が静まっていくのがわかる。
「……誰かが死ぬのって、こわいんだね」
はっと息を呑む気配と同時に、手の中で指が強張る感触がした。
「アリーシャが言った通りだった。こわかった。デゼルが死ぬのが」
誰かを失うということが。その人の意志を背負うことが。
死というものは知っていた。命の大切さも。ウリボアを捕まえるとき、魚を取るとき、生きる糧にするために狩った。
まったくわからなかった訳ではない。下界に下りる前、あのキツネ男に友人の天族を殺された。
あの時に感じたのは、死を悼む気持ちだった。そのまま慌ただしく旅立ってしまったから何とも言えないが、あのままイズチで暮らしていたら、もっと色んな思いが湧いてきたのではないかと今になって思う。
「デゼルが生きてて、誰よりも救われたのはオレだった」

―――『この人がそうなんだよ。世界の正義と自分の正義を一緒にしちゃってる、『悪』』

デゼルの声が聞えたとき、以前ロゼに言われた言葉を思い出した。
きっと、こういうことから生まれるのかもしれない。この救われた気持ちを周りにも当てはめて、押しつけて、真に救われているのは自分だという事実から目を逸らしたときに。
本来の意味を失った、歪んだ正義が。
「それに気付いたから…オレ、アリーシャに言わなくちゃいけないことがあるんだ」
「私に…?」
気付いたのだ。黙っていようと、隠そうとしたのも、きっと自分が救われるためだと。だからこのままではいけないのだと。
嫌われるかもしれない。信じてくれないかもしれない。どちらにしても傷つけてしまうだろう。
笑顔を、失わせてしまうかも。
(けど、このままじゃダメだ)
手の平にあるぬくもりをぎゅっと握りしめる。もう少しだけ、勇気が欲しかった。
「スレイ…?」
不安そうな声が身体の芯まで響く。それを聞いただけで、やっぱり何でもないとなかったことにしたいと臆病風が吹く。
だが、言わなければ。取り返しのつかないことになる前に。
「黙っててごめん。でも、今から言うことは、本当のことだから」
一秒、二秒、三秒。頭の中で時を数えて、覚悟を決める。

「………え?」
真っ直ぐに向けられていた翡翠の瞳が、凍り付いたように固まった。
その瞬間に走る胸の痛みに耐えながら、スレイは微動だにしない彼女を見守っていた。


◆   ◆   ◆


「……で、何で裸族が一緒にいるワケ?」
「やだなぁエドナちゃんファッションだよファッション。それに下ははいてるぜ」
「訳が分からないし下もはいてなかったら変質者だろう…」
「いき…おくれ……」
「アナタまだ引きずってたの?」
「なになにエドナちゃん俺にも詳しく」
雲一つない快晴の下、活気に満ちたペンドラゴの街中で騒がしいやり取りが喧騒の中に混じる。それでも人々はこちらを見向きもせずに通り過ぎていく。
見て見ぬふりではない。本当に見えないのだ。
宿屋下の壁に寄りかかって、スレイはわけもなく彼らを眺めていた。
ちらりと視線を滑らせれば、少し離れたところで佇む少女。身の丈以上ある槍を背に携えて、じっと物思いにふけっている。
ちくちくと痛み始めた胸を宥めて、スレイは息を吐いた。
「……うん?」
ふいにひゅっと上から風が吹いた気がした。怪訝に思って、何気なく上を見上げる。
刹那、スレイのすぐ横に何かが落ちてきた。ダンッと大きな音に驚いて身体が仰け反らせる。
「ん〜…!ふっか――つ!!」
うずくまっていた人物は、そのまま大きく伸びをして歓喜の声を上げる。
見慣れた深紅の髪に、スレイはほっと安堵の息を漏らした。
「ロゼ!調子は…だいぶ戻ったみたいだな」
「おっはよスレイ!もうバッチリだぜ!」
晴れ晴れとした顔で親指を立てる少女に、スレイも頬を緩める。ふとロゼはアリーシャに顔を向け、不思議そうな顔をしながら近づいていきなり彼女の頬を引っ張った。俯いていたアリーシャは突然の事態に目を白黒させ、慌てて頬をつねる手を外した。
「っ、何を!」
「や、朝っぱらから怖い顔してるからどうしたのかなーって」
「それなら普通に話しかけてくれれば…」
「あ、そう?んじゃおはよ、アリーシャ!」
悪気のない笑顔でそう言うロゼに、アリーシャは拍子抜けしたらしい。溜め息をつきながらも、困ったような笑みを浮かべておはよう、と返していた。
アリーシャの顔から険しさが消えたことに、スレイは無意識に胸を撫で下ろした。
宿屋から正面広場に派手に飛び降りた彼女に気付いた面々も、すぐに駆け寄ってきた。
「んで、何で黒マッパがまだ一緒にいるの?」
「だから下はいてるっつの」
「またこの流れか!」
「天丼ってやつね」
「ロゼさんいつの間にそんな高等技術を…!」
「てか黒マッパはけっこう酷くね?」
それぞれに挨拶を交わしてから、ロゼを筆頭にまた最初のやり取りが行われた。スレイはその会話に入らず、目を細めてその光景を眺める。なんとかおさまったところで、ミクリオが肩を落として溜め息をついた。
「ほら、全員揃ったぞ。陪神契約する理由を教えろ、ザビーダ」
「はいはい」
疲れた顔で名指しする少年に、飄々としたまま男は肩を竦める。口角を上げたまま、ザビーダは口を開く。
「俺の目的は、導師殿の旅路と繋がってるのさ」
「確か、決着をつけなきゃいけない相手がいるってヤツか?」
顎に指を添え、ミクリオがそう返すとそ、と短く肯定した。
「一人は可愛いエドナちゃんの兄貴」
切れ長の瞳を、小さな少女に向けて事もなげに言う。エドナはちらりとザビーダに一瞥をくれたが、すぐに差していた傘で顔を隠してしまった。
「ザビーダ、もう一人は?」
心配そうにエドナを窺っていたスレイは、彼女のことを気にしながらも続きを促す。
男は腕を組み、ゆっくりと瞬きをした。勿体ぶるように間を開けて、ようやく低い声で名を紡ぐ。
「マオテラスさ」
その名前を聞きスレイ達に緊張が走った。
ザビーダは、この街の教会に祀られているはずのマオテラスがいないことを既に知っている。
「マオテラスって、五大神の?」
確認に近いロゼの問いにザビーダが頷く。
「本来このグリンンッド大陸は、マオテラスが護ってるはずだろ?なのにあの坊やは姿を消し、それと時を同じくして災禍の顕主が現れたっていうじゃないか」
こりゃどういうわけだ?
目を細めて、ザビーダは導師一向に問い掛ける。
スレイ達の頭の中で、様々な推測が頭を飛び交う。
五大神の長である、無を司る天族。災禍の顕主を鎮めるすべを探すために、スレイ達が探していた天族でもある。
消えたマオテラス。同時に現れた災禍の顕主。そして始まった、災厄の時代。
「まさか……」
最初に声を上げたのはミクリオだった。弾かれたように頭を上げ、色を失った顔で声を震わせる。
「マオテラスが憑魔になって、ヘルダルフと結びついてるっていうのか?」
「ああ、俺はそのまさかだと思い至ったわけさ」
真意の読めない笑みを浮かべる男に注目が集まる。けれど明るい夕日のような色合いの双眸だけは鋭くきらめいていた。
重苦しい沈黙がスレイたちを包んだ。太陽の恵みに喜ぶ街中で、ここだけ影をおとしたかのようだ。
「……確かめないといけないわね」
「そのためには、かの者との接触は不可欠ですわ」
「となれば、ヘルダルフの領域下でも力が振るえないといけないか…」
「そこで俺様の出番ってわけだ」
エドナを皮切りに、口々に意見が飛び交う。険しい顔で呟く面々のなか、ひときわ軽い声が投げ入れられた。
「ロゼちゃんは復活しても、デゼルが本調子になるまではまだ時間がかかるだろ?その抜けた穴を俺が埋めれば、ヤツの領域内でも普通に動ける。どうだ?利害も一致してるっしょ?」
「……どうしましょう?スレイさん?」
やや困ったような呆れたような、そんな眼差しでライラが問いかけてきた。
スレイは一度、瞳を閉じる。それからゆっくりと開いて、ザビーダを見た。
「ザビーダは―――」
「おっと、覚悟なんて問うんじゃないぜ。お前に話した時点で、んなもんとっくに決めてんだ」
「……そっか」
言葉を遮られ、フンと鼻で笑いながらそう告げられた。にやりと口端を吊り上げて自分を指差すザビーダに、スレイは一瞬呆気にとられつつも苦笑して頬を掻いた。
確認をとるように仲間達を見回す。彼らもスレイが選んだことならと、口には出さずに頷いてくれた。

「スレイ、ちょっといい?」
そのまま陪神契約を行おうとして、けれどふいにロゼが口を挟んだ。
振り向けば、真剣な顔をした赤髪の少女がいた。明るかったそれから一転した表情に、スレイ達は怪訝な眼差しをロゼに送る。
「その前にひとつ、やりたいことあるんだ」
「やりたいこと?」
「うん。……デゼル」
言って、ロゼは己の身体を見つめて静かに名を呼んだ。彼女の中にいる、もう一人の風の天族に。
「出てきてくんない?言いたいことあるんだけど」
「ロゼ!デゼル様はまだ外には…!」
「大丈夫大丈夫、ほんの五分くらいだからさ。それくらいなら出れるでしょ?」
前半はアリーシャに、後半はデゼルに向けて話す。アリーシャはライラに窺うような視線を送る。ライラは大丈夫だというように、こくりと頷いた。
しばしの沈黙のあと、ロゼから小さな光球が現れ、人の形を成す。
光が消え、シャツの緑と白以外、全身黒ずくめの青年が姿を現した。
「……何だ」
黒いシルクハットを目深にかぶり、長い前髪で目を隠した天族は、短い一言を口にした。
いつもと変わらない姿と態度に、スレイは感動に近い安堵を覚える。
たった一日足らずの時間だ。なのに、何故かデゼルが顕現したことがすごく久しぶりのような錯覚を覚える。
「おりゃぁっ!」
しかし、安心したのも束の間だった。
非常に気合の入った掛け声と、大変痛そうな鈍い音がした。妙な音が耳に飛び込んできたと思ったら、ロゼの握りしめた拳の延長戦でデゼルが吹っ飛んでいた。
「で、デゼル様っ!」
アリーシャの悲鳴に我に返った。もう一度ちらりとライラを見る。
変わらず大丈夫だと言ってくれたが、笑みが引き攣っているのに気付いてスレイに不安がよぎる。本当に大丈夫だろうか。
「景気よく吹っ飛んだわね」
「おーおー、たーまやーってか?」
「ふざけてる場合か!」
緊張感の欠片もない地と風の天族二人を叱咤しながらミクリオはデゼルに駆け寄る。だが、その前にロゼが手で制してきた。
「手ぇ出さないで。これはあたしたちなりのけじめだから」
「けじめって…」
「…ああ、そうだな」
なおもミクリオが言い募ろうとする前に、低い声がそれを遮った。
片頬を押さえながら、デゼルはゆっくりと立ち上がった。帽子はロゼに殴られた際に飛ばされたらしい。
親友の形見が押さえていた前髪が風に揺らされる。その瞬間、スレイ達は瞠目した。
「デゼル、目が…」
あまりのことに、スレイはそこまでしか言葉を紡げなかった。

以前見た無色だった彼の瞳に、色が宿っていた。
言うなれば、風がそよぐ春の草原。新芽のような、明るくて瑞々しい緑色。
焦点のあった若草色が、彼の双眸にはめこまれていた。
驚きに絶句する彼らを気にもせず、デゼルはロゼに向かって話かける。
「掟に背いた者には報いを。それが風の骨のけじめだったな」
静かに落としたその言葉に、スレイ達は息を呑んだ。その中でロゼだけはただデゼルを見つめてそういうこと、と返した。
「ひとつはあの事件の真相をあたしに黙ってたこと、もうひとつは私怨でひとを殺そうとしたこと。デゼルには、その報いを受けてもらう」
「ああ、元からそのつもりだ」
冷たい声音がデゼルに向けられて放たれる。軽く目を細めたロゼの視線を受け止めて、青年は頷いた。
構えもせず無防備になったデゼルの前に、一陣の風が迫る。ごぉっと耳元で風の唸る音が聞えたかと刹那、骨に響くほどの痛みが再び襲い掛かった。
「ぐっ…!」
今度は吹っ飛ばされまいと、両足を踏ん張って耐える。よろめいた身体を立て直し、奥歯に力を込める。
「………?」
だが、追撃は一向に来ない。そのまま何発も殴られると思っていたデゼルは、不審な面持ちで顔を上げる。
そこには、腰に手をかけて笑みを浮かべる少女がいた。己の記憶より、少しだけ成長した赤髪の少女が。

「―――眠りよ、康寧たれ」
弧を描いたままの口で、彼女は穏やかにそう告げた。

その言葉の意味を知っているデゼルは、だからこそ今この場で告げられた意味を理解できず唖然とした。
「掟に従い、『復讐者デゼル』は殺した。もうあんたの中に、復讐に駆られるヤツはいない」
はっと目を瞠るデゼルに、ロゼは続けて言葉を紡いだ。
「あんたはただのデゼル。不愛想でぶっきらぼうで、でも意外と世話焼きでおせっかいな、風の天族のデゼル」
一度言葉を区切って、ロゼは両手を広げる。それにつられてデゼルは、ロゼとロゼの向こうに広がる景色を見た。
「デゼルはもう自由だよ。ね、風と共に生きる天族、ルウィーユ=ユクム(濁りなき瞳デゼル)!」
「―――――!」
それを聞いた瞬間、己の中で何かが砕けて弾け飛んだ感覚がした。
堰を切ったように溢れだす何かは、今までの暗く澱んだものではなかった。
「……そうか」
世界はこんなにも眩しいものだっただろうか。こんなにも鮮やかだっただろうか。
数年ぶりに戻った視界に満ちる風景を見つめながら、デゼルは澄んだ草原の瞳を細めて穏やかに微笑んだのだった。



「それで?晴れて自由になってやりたいことがこれなワケ?」
『うるさい。俺の勝手だろう』
「過保護ー」
「エドナちゃん、あれは過保護ってんじゃなくてストー―――」
『てめぇにだけは言われたくねぇっ!』
エドナとザビーダにからかう声に、デゼルの怒声が頭に響き渡る。陪神契約を終え、今まで以上に賑やかになりそうな旅路に、スレイは苦笑いを零す。
デゼルが選んだ道は、スレイ達と共に旅をすることだった。それが今の自分のやりたいことだと。
最期に会ったラファーガの意志を叶えるため、そしてデゼル自身の意志のために。
―――『それに、昨日のヤツの言葉が気になる。あいつはおそらく、俺と同じだ』
デゼルを罠にはめた紫紺の天族、サイモン。彼女が言い放った『疫病神』という言葉、その意味。
それを知るためにも共に行動したいと、デゼルは言った。
今はまたロゼの中へと入ってしまった彼に、スレイは笑みをこぼす。
デゼルが救われたのかどうかはわからない。けど、前に進もうとしている。
きっとそれは悪いことじゃない。そう確信できた。
「あ、そだスレイ。伝言」
「え、オレに?」
くるりと振り返って、ロゼが肩を叩く。きょとんとした顔で彼女を見つめていると、にやりと悪戯好きな子供のような顔をした。
「スレイ達と旅できて良かったって。誰かさんから」
『っ!?おいロゼっ!』
「……デゼルの言葉、確かに受け取ったよ。ありがとう、これからもよろしくな」
そう言って笑うと、デゼルは黙りこくってしまった。
否定はしないということは、嘘ではないらしい。そのことが素直に嬉しかった。
「へぇ…まさかデゼルからそんな言葉が聞けるとはね」
「そう、そんなに嬉しかったのね。つまんなそうな顔しつつ楽しかったのね。感謝の印にお姉さんにバームクーヘンでも作ってくれてもかまわないわよ」
「エドナさん、こういう時は私たちがお赤飯を炊くんですわ!」
『てめぇら…出てこれるようになったら覚えてろよ…!』
「ねね、ロゼちゃん。それ以外に何言ったかおにーさんに教えてくんないかなぁ」
『黙れ!ロゼ、これ以上は何も言うんじゃねぇぞ!』
「え〜、どうしよっかなぁ」
賑やかな声を聞きながら、ペンドラゴの門をくぐる。
石畳の床から一転、広大な草原と畑、それから鮮やかな青空が視界いっぱいに広がった。
まずは当初の予定通り、グレイブガント盆地へ向かう。災禍の顕主、ヘルダルフに近づく手掛かりを探すために。
「スレイ、それに皆さん」
よし、とパルバレイ放耕地に足を踏み出した矢先、凛とした声音がスレイ達を呼び止めた。
身体を向けると、綺麗な姿勢で佇むアリーシャがいた。
「アリーシャ?」
スレイは訝しげに彼女を見遣る。先程の思い悩むそれとは違った、別の雰囲気を感じ取って身体に力が入った。
仲間全員の視線も、張り詰めたような空気を放つアリーシャに降り注ぐ。
騎士の出で立ちに身を包んだ少女は、やがて意を決した様子で翡翠の双眸を上げた。
「私は、レディレイクに戻ろうと思います」
自然豊かな放耕地に、遊ぶような風が草木を揺らして駆け抜けていく。
つい先ほどまで騒がしかったスレイの周りは、いつの間にか水を打ったように静まり返っていた。








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