おおかみと赤ずきん ねがい





―――かわいい君と、優しい僕が、出会い結ばれる結末(エンド)


赤ずきんの少女が小さな幼子であった頃、お伽噺というものを楽しそうに語ってくれた。大抵登場するのは美しいお姫様と優しい王子様。そして彼らを助ける魔法使いと意地悪な魔法使い。そして最後はお姫様と王子様が結ばれ、めでたしめでたし。

自分の前足を見る。鋭い爪の生えた毛深くて硬い恐ろしい足。彼女の手を思い出す。陽の光の下では眩しいと思わせる白くたおやかな腕。

自嘲が零れた。明らかに不釣り合いだった。

それでも赤い頭巾を被った少女は慄くこともせず優しくメイト、と狼の名を呼ぶ。
それでも鳶色の毛並みの大きな狼は、声を出さずにその呼びかけに答える。
狼から話しかけることがほとんどない二人の、会話のはじまり。決まりごというには不変ではなく、かといって違うと否定するには当たり前になりすぎたこと。けれど枠に当てはめるような堅苦しいものではないことは確かで、しかし他にいい言葉が思い浮かばず結局首を傾げてしまうような。それでも敢えて言葉にするのならば、いつの間にか”溶け込んでいった”。それほどまでに続いていた。まるで土に根を伸ばす木々のように、ゆっくりと時間をかけて自分達の中に根付いていった。
そして、今も変わらずそのやり取りは交わされる。飽きることなく、……飽きる筈などなく、また彼女がここにやって来ては繰り返す。
幹を隔てた赤ずきんと狼。それは限りなく曖昧な壁で、お互いに違う存在だということを示すこれ以上ない程あからさまな壁。
背中合わせだけれど会ってはいない。会話は成り立っているがあくまでひとりごと。触れたことはあるが触れあってはいない。そんな屁理屈をこねたかのようなそれらこそが二人の決まりごとだった。その一線を越えてしまった時、どんな結末が待っているかわかっているから。
――――ただ、それを破らなくても終わりは来るのだと、知ってしまったけれど。



「……?」
ふわりと風に乗って花の香りが漂ってきた。辺りを見回しながら森の中をぶらついていたメイトは、その芳香に思わずそちらへと顔を向けた。振り返った動作で背の低い草木に身体があたり、葉についていた水が小さな粒となって跳ねた。
ここはありのままの自然が生きた森だ。花の香り自体は珍しいことでもない。ただ、今漂ってきた香りはここでは嗅いだ事のないものだった。メイトは口端を僅かに持ち上げる。森にないものを持ってくる者を、狼は気まぐれな風と一人の人間しか知らない。ここに住み続けて数年。四季を繰り返す森は狼に様々な花とその香りを教えてくれた。そしてそれらの花の名前を、森を訪れる少女が教えてくれた。
「久しぶりだな…」
穏やかさと切なさを湛えた褐色の双眸がすっと細くなり、森の中を見つめる。見える筈のない赤い頭巾と栗色の髪が視界で揺らめく。それに花のものとは別に芳ばしい香りもする。耳を澄ませば、遠くから聞き慣れた足音が聴こえた。
彼女だと―――メイコだとわかった狼の足は、自然と速度を増していた。雨季に入ってから久方振りに青空を見せた森は、彼の駆ける衝撃で雨露を宙へと飛ばし、きらきらと日射しを反射して輝いていては地面へと吸い込まれていった。



◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


狼が大きな木の下に腰を落ち着けて少しだけ乱れた呼吸を整え終えた頃と、幹の向こう側の草木ががさりと音を立てたのは同時だった。
「あ、いた。こんにちは、メイト」
―――あぁ。
大木に隠れて見えない筈の彼に気付いた少女は、歩を進めながら狼に話しかける。ぽすぽすと何かが弾む音が聴
「やっと晴れたわね。そっちは大丈夫だった?川の水が溢れたりはしなかった?」
―――大丈夫だ。長いこと続いたがそこまで豪雨じゃなかったからな
「そう、良かった。こっちは今日、町中洗濯物だらけよ」
笑いながらそう言ったメイコに、メイトも口端を上げてそうか、と言葉を返す。きっと以前彼女が落ちたあの丘から見たら無数の旗が並んでいるように見えるのだろう。木の幹に寄りかかった少女は、それを皮切りに会えなかった日々のことを話し始めた。


あの絶交宣言――というのは少し違う気もするが他に適当な言葉が見当たらなかった――をしてすぐに前言の撤回を求めそれに応じてから、メイトは満月を数回見上げた。それから自分達の関係がどこか変わったのかと言われれば、まったく変わっていないのが事実だった。自分達が望んだ結果なのだから当たり前と言えば当たり前なのだが、戻ることも進むこともないことに奇妙な感覚を覚えていた(進むことはあり得ないのであるが)。
ただ、不思議に思うも確信に近い思いはあった。またメイコが森を訪れてもこのままだろうと、まるであの出来事がありはしない一種の白昼夢だったのかと思わせる程に、変わりのない関係が続いていくだろうと。しかしそう思うと同時に滲むように湧き出てくる胸の痛みがあれが現実であったことを知らしめてくる。
楽しそうに町のことや人のことを話すメイコはやはり変わらない。相槌を打つ自分も、恐らく変わってはいない筈だ。
いや逆か、とメイトは考えを改める。違う、知っているから、だ。これが誤った道だと知っていて、けれど見えてしまった終焉を変えることなどできない自分達は、せめて目が逸らせなくなるその日まではと足掻いて伸ばしているのだとわかっているから、変わらない。
子供騙しだ、と自分でも思う。自嘲じみた笑みが零れるも、それでも今すぐの終わりを迎えるよりかはそれに縋りつきたかった。
「―――て、聞いてる、メイト?」
常よりか低めの声で名を呼ばれ、メイトははっと我に返る。いつの間にか片隅で考えていたことが随分と頭の中を占めてしまっていたようだ。そう理解するまでに空いてしまった間に気付く頃には、時すでに遅し。先程よりも不満を露わにした声音が狼の耳朶に響いた。
「聞いてなかったんでしょ」
むくれているであろうメイコに、流石にもうごまかしようもなかったメイトは悪い、と素直に謝った。その意思を汲み取ったメイコはもう、と呆れ混じりに溜め息をついた。苦笑いが零れるのはそれが本気で怒っているわけでも呆れているわけでもないと知っているから。
―――悪い悪い。お前の友達の話までは聞いてたんだ
「ルカのこと?じゃあカイトの話からね」
―――…あぁ、女と間違えたって言ってた、あの?
「そうそう!この間向こうの街に行った時、偶然会ったの」
前に彼女が対抗心というか向上心というかそういったものを燃やしていた際、その対象となっていた花屋の子供。その印象と事実だけで終わることはなかったらしく、話を聞く限りでは度々交流をしているようだった。ちなみに性別を間違えたのは中性的な面差しに加え可愛らしい防寒具(ケープというらしい)を身につけていたからだとか。おそらく花を売っていたというのも要因の一つだろうと踏んでいる。
―――へぇ、そいつの家でも見つけたのか?
「うん、思った通りとっても素敵な花屋さんだった。どこから摘んできたんだろうってくらいすごく綺麗な花がいっぱいあってね」
話していて思いついたのか、今度聞いてみようかな、呟く。尋ねているような口ぶりだが多分それは形だけでひとりごとだろう。
それで、とメイコは言葉を続ける。
「これ、もらったの」
さらさらと何かが擦れる音がしたかと思うと、次いでキュ、と小動物の鳴き声に似たそれが聞こえてきた。一体何なのだろうか。気になって振り向きかけた瞬間、ほの甘くそれでいて清々しさを感じさせるような、そんな香りが漂ってきた。
あの時嗅いだ花の香りだとすぐにわかった。
―――花…か?
メイトは首を傾げ、疑問形のままメイコに問う。確かに花のにおいではあるが、それと断言するには拭いきれない違和感が残る。
「ポプリっていうの。簡単に言えば乾燥させた花やハーブをビン詰め」
香りを楽しむための物よ、と説明され、メイトは納得した。なるほど、これは森……というか自然の中では生み出されないものだ。花の香りが強くて隠れているが、他にも草や実がひっそりとその存在を主張していた。
「しかもこれ、カイトの手作りなのよ。売れ残りの花がもったいなくて作っていたら、いつの間にか商品になっちゃったんだって」
―――面白いものを作るんだな
人間ってのは。そう続けるつもりだった言葉は飲み込んだ。幸いにもその意思は伝わることなく、メイコはくすくすと笑いながら口を開いた。
「でしょ。今度お礼に匂い袋でも作ろうかなって」
―――……男にあげるもんなのか、それ?
「あ」
―――……お前…
「や、あ、ほら、柄をカッコ良くすれば男の子だって…。そう、大事なのは気持ちよ気持ち!」
―――言わなかったら完全に女物作るつもりだっただろ…
「そんなことないってばっ。だったらメイトも考えてみなさいよ」
―――俺だったら食い物の方がいいけどなー
「それはメイトだからでしょ。あ、でも一緒に持っていくのもいいかも」
―――さらっとひでぇなおい
「だって本当のことじゃない」
言葉の端々に笑いが含まれていることがわかった。メイトは反論する気も失せて脱力する。それに気付いたメイコは今度は声を出して笑い、彼女の笑みにつられたかのように風がそよいでふわりとポプリの香りが舞ってきた。自然のそれよりも強く香るそれはまるで去りゆく季節を惜しんで詰め込んだような、そんな香りのように思えた。どんな柄にしようか、他に何を渡そうか。悩むことすら楽しそうに話す少女に、メイトも口端を吊り上げて笑った。流れ出した穏やかな空間に切れ長の瞳を細め、耳だけ彼女の方に向けてゆっくりと閉じた。

その双眸が寂しそうに揺れていたことに狼自身も気付かないまま、久方振りに顔を覗かせた太陽は彼らを見つめながらゆっくりと西へと傾いでいった。



◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


日の暮れかけた森の中、狼は自身が作り出した小さな道を踏みしめるように歩いていた。時折横の木から垂れ下がった蔦をくぐり、ひょこ、と小首を傾げながら顔を出してきた動物に一瞥をくれて、ぽてぽてと。そうして辿り着いた先は、町を見下ろす崖のような切り立った丘。木々の生い茂る森から一転、色濃くなり始めた青空や若葉の生い茂る大地が視界いっぱいに広がる。残念ながら洗濯物は既に取り込まれてしまったようで、町はいつもと変わりなく穏やかに夕焼けに照らされていた。
またね、とメイコが別れを告げてからさほど時間は経っていない。彼女の持ってきたパンは既に腹に収まっている。確実に上達してきている腕に彼女の努力が垣間見え、味を思い出して噛み締めるように目を伏せた。

特別になりたいと、そう思ったことはただの一度もなかった。そもそも彼女の何かになりたいなんて考えたことすらなくて、だからこれが友情なのか恋情なのか、言ってしまえばそんなことは本当にどうでもよかった。
ただ、傍に寄り添えれば、共にあれば。次の日には何を話したのか忘れる程取るに足らない会話をして、傍から見たら呆れてしまうような些細な事で笑いあって、疲れたら木の幹に寄りかかり四季折々のなす景色を風を香りを温度を感じて……そんな関係が続けばいいなと、思っていた。ずっと、ずっと……。
けれどそんなこと、笑える程滑稽で有り得ない未来で大それた願いだったのだと気付かされた。
だって、自分は狼で、彼女は人間だから。
例えば彼女が幼い頃に(一方的に)聞かせてくれた、お伽噺に登場する魔法使いのような、そんな存在がいなければ。しかし生憎とこの世界は魔法使いも魔女も悪魔もいなくて。野菜が馬車になることも植物がドレスになることも、ましてや動物が人間になることもない。だが、その世界と自身の姿を呪うほどメイトは被害意識が強いわけでもなかった。どうにもならないことなど、いくらでもある。それに恨みつらみを吐き連ねても栓のないことだ。
………ことだ、けれど。
そんなどこからどうみても決して変わらない事実が、今はどうしようもなく胸を締め付けじわじわと滲むような痛みを与えてくる。

「……?」
ふと、視界の端に何か動くものを見つけ、その方向に顔を向ける。その先に見つけたものを頭で理解するよりも早く口がメイコ、と呟いた。
町へと続く道のりを歩く赤い姿。短い栗色の髪と姿勢の良い背、幼いころから付けている――幼子の頃とは別物だろうが同じ色の―――頭巾を揺らしたそれを追いながらメイトは軽く目を見開いた。
いつの間にあんなにも成長したのか。時々ちらりとしか彼女の姿を見ることのないメイトは余計にそう思った。
容姿以外の変化には気付いていた。例えば鈴を転がしたような声が今は凛と静かに鳴らすような声になったこと、物言いが俗に言う子供口調が段々と少なくなっていったこと。それでもまだ落ち着きのなさは相変わらずであったし、メイトとのからかいからかわれる戯れのような会話は今なお続いているから見た目だってそこまで変わっていないだろうと思っていた。彼女を最後に見たのはまだ半年前の話だ。
遠すぎて表情はよく見えないが、それでも顔つきも幼さが消え始め大人のそれに近付いてきているように思えた。本当に子供の成長というものは早い。何度も実感してきたつもりだったが、やはり改めて思ってしまう。そしてその成長を、今では素直に喜ぶことのできない自分に笑ってしまう。浮かんだ笑みは自虐的なものだ。

狼が見ていることに気付かず、メイコはてくてくと歩を進める。そのまま町へと歩き続けるだろうと思っていた少女は、しかし狼の予測を裏切って足を止めて振り向いた。
「―――!」
気付かれたか、と一瞬心臓が跳ねる。が、彼女が見たのは丘の方ではなく道の延長戦であることを理解してほっと息をつく。安堵とともに去来した落胆は黙殺した。
やがて、さして時間を置くことなく彼女の視線の先から同い年くらいであろう子供が笑顔を浮かべて駆け寄ってくるのが見えた。驚いたように振り返ったメイコは、その少年を認めて同じように笑った。
白い襟のついた服に黒茶のズボンを身に付けた子供。遠目ということもあり男か女かわずかに迷ったが、すぐに男だと判断がついた。深い海の色で染め上げたような青い髪。おそらくあの子供がカイトだ。
二人は立ち止まって何事かを話し合っている。耳を澄ましても音としてしか聴こえず顔をしかめる。眉間にしわが寄ったところではっと我に返り頭を落とす。
「何やってんだよ…」
結局会話自体は聞こえなかったがやっていたことは盗み聞きだ。どうせ聴いたって何ができる訳でもないのに。そう自分自身を呆れ半分情けなさ半分で批難する。
しかし、一度向いてしまった興味に俯けた頭を緩慢にもたげて再び彼らのことを丘から眺めた。盗み見という言葉が頭をよぎったがそれはそれだと自分自身に言い訳をする。
丁度少年が口を開いて、少女がそれに答えるように頷いていた。身振り手振りを交えながら喋る彼に口元に手を当てながら少女は笑う。つられて笑う少年はさらに言葉を重ねて、それを楽しそうに少女は唇に弧を描いて聞いていた。じくじくと心臓に鈍い痛みを感じるが、それを無視して見つめ続けた。
しばし話していた少年は、ふと思いついたようにポケットから何かを取り出したかと思えばそれを彼女に渡した。それを受け取った少女はぱっと眼を輝かせて笑顔になる。勢いよく顔を上げた少女の視線の先には、照れくさそうに頭を掻いた少年の姿。
一連の流れをまばたきもせずに見つめていたメイトは、鉛を飲み込んだかのような重苦しさを胸に感じてようやく視線を逸らしてきつく眼を閉じた。いつの間にか握りしめていた前足は土を抉り小刻みに震える。
濁流のように込み上げてくる何か。悪戯に喉を塞いで口内の水分を吸い取って頭を掻き乱し全身で暴れる、メイトの中にある感情のひとつ。
「……はは…」
やがて、耐えきれず零れ出たそれは、からからに乾いた笑い声となって外へと出ていった。

―――化物め

地を這うような声が耳によみがえる。

ああ、きっとこういうことだったんだ。
わきまえろと。見た目も力も恐れられ忌み嫌われてきた自分が、その願いは分不相応だと。彼が見ていた夢となって現れた過去は、そのことを示していたのだ。
見えたと思った。見えてしまったと。脳裏によぎったある一つの可能性は今までぼんやりとしていたのが嘘であったかのようにはっきりとした輪郭を作り映像へと変わっていき、そしてメイトの目の前に突き付けられた。
まさかと鼻で笑って一蹴できるものだったらよかった。しかしそれはかちりと音を立ててメイトの頭に当てはまり、どんな可能性よりも正確な未来に見えた。
「……っ…」
そして、思ってしまった。これが最善の道だと。
成長した少女と少年が笑いながら寄り添い歩く光景。人間の世界ではどこにでもあるありふれた景色。それを今眺めている二人が、当然のように、自然のように。
その景色に爪と牙をもった毛むくじゃらの獣は入り込める余地などあるはずもなく、けれど、いやだからこそそんな光景をお似合いだと他ならぬ自分自身がそう思った。
苦しい。曖昧であった最も望ましいであろう未来がはっきりと見えてしまった。そこに自分はいてはいけないとわかってしまった。苦しい。このまま呼吸ができなくなってしまうのではないかと思うほどに。
「―――……」
けれど、一方でどこか安堵している自分がいた。
何故かと自身に問いかけて、疑問とともに取り出した心をじっと鑑みたらさして時間がかかることなく答えが出てきた。それは至って単純で、自分にしては気障すぎるもの。

――――彼女が幸せになれる未来が見えたから。狼と共にある未来が閉ざされても、彼女には幸せになれる道がある。それを見ることができた。

だからよかったと、本心からそう思った。

きつく閉じていた褐色の双眸をゆっくりと開く。視線の先には、大切で大切で仕方がないひとりの少女。とめどなく溢れる痛みや悲しみや嘆きや苦しみに苛まれながら、それでも少女を見つめて、メイトは歪んだ顔を自覚しながら笑った。
大丈夫だ。
メイコが幸せになることができるのなら、きっと耐えられる。
化物め。耳元を掠めた幻聴に、その通りだよと返す。あぁそうだ、何かを傷付けることしかできない化物だ。
そのことをもう否定する気はないけれど――そんな化物でも、ひとりの幸せを願ったっていいじゃないか。
夕焼けに照らされた瞳はその色を吸い込んで橙色になった。その一対の眼が様々な感情を孕み水滴の落ちた水面のようにゆらゆらと揺れている。
望もう。彼女の幸福を。触れることができないのなら、見守ろう。
隣を歩くことができないのなら、せめて。

じぃっと、その姿を焼きつけるようにメイコを見つめる。気付かないことをいいことに彼女に抱く想いを全てさらけ出して、飽くことなく視線を注いだ。
これきり、お前を見るのは最後にするから。共に生きることを望まないから。神様なんて信じちゃいないが、願うのはお前の幸せだけにするから。だから、どうか――――――――………

「…………らしくねぇ」
呼吸三回分。そうしていたところで柄にもないことをしたと気恥ずかしくなって軽口を叩いた。贅沢を言うならもっと近くで見たかったなんて苦笑いする。 いい加減戻ろう。そう思い立った狼は名残惜しげに踵を返した。



「―――――」
――ふいに、首のあたりにちりちりとした感覚が生じた。メイトはばっと周辺を見回した。少年と少女の立つ道、森の奥、切り立った丘の下。だが、何かの影も気配もない。
「…気のせい、か?」
誰にともなくぽつりと呟く。一瞬にして消えてしまったそれを、しかしすぐに探すのを諦めた。耳は未だにその気配を探してぴくぴくと動いているが、放浪し続けた結果身に付けた反射のようなものだ。その動作を止めるようにふるふると首を振り、小石一つ分の不審を頭からかき消す。未だ談笑を続けている二人を一瞥して、メイトは今度こそ森の奥へと戻っていった。


それから、数年の歳月が経ち――――――狼は、このときの気配が気のせいではなかったことを知る。








何回だって、何回だって願ったよ。
いるかもわからない神様に。
けれど叶えてくれそうにないから、君の幸せを願いました。



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