もしもの物語-7-



ありがとうございました!店の看板娘だろう少女に溌剌(はつらつ)とした声に見送られ、スレイは雑踏の中を歩き出した。
店の前で互いに競り合うように客引きをする声、大きな荷物を抱えてうろつく商人、積み重ねられた木箱の裏で昼間から酒を酌み交わしあう冒険者達。服装を見るだけでも、様々な職種の人々がこの街にいることがわかった。
商人と職人が集う街、ラストンベル。その噂に違わぬ活気ある風景は、自然とスレイをわくわくとした気分にさせた。
「ええっと…あとはグミとボトルと…」
街の中央に堂々と鎮座する名物のラストンベルの大鐘楼をくぐり抜け、赤茶の屋根が立ち並ぶ街道を進む。規則正しい街並みであったハイランドの王都であるレディレイクと比べて、ラストンベルはうっかりすると目的地とは別の道に入り込んでしまいそうなほど入り組んでいた。まるで思い思いに生きる街の人々の人柄をそのまま体現したかのようだ。
「それから干し肉と小麦粉と砂糖、か。どこに売ってるかな…デゼル、知ってる?」
一歩後ろで黙々とついてくる、緑に白いラインの入った以外は 全身黒ずくめの青年に問い掛ける。彼が荷物を何も持っていないのは、単純に彼が天族だからだ。普通の人間には天族は見えない。
だから荷物を持ってもらうと、袋が勝手に宙に浮いてスレイの後をついてきているように見えてしまうのだ。
デゼルと呼ばれた男は、表情を変えないまま思案して、ぼそりと返答した。
「…グミとボトルは宿屋の隣、食材はあそこの角を曲がった所の店が良心的だ」
「わかった。ありがとう」
イズチで自給自足の暮らしをしてきたスレイも、ここ最近でやっと買い物というものに慣れてきた。今まで狩りや採取で手に入れてきたものをガルドで買う、という行為は何とも不思議なものだったが、アリーシャに教えられて実際に利用すればすごく便利なものだなと感動した。
それに誰かが作ったものがずらりと並べられる様は見ていて面白いし、参考になる。店の人と品について話すのも楽しかった。
「フォエス=メイマ、ルズローシヴ=レレイ、ハクディム=ユーバ、ルウィーユ=ユクム…」
「ロゼ、また言っちゃってるよ」
スレイは苦笑いしながら、隣を歩く少女に無意識の独り言を指摘する。紙袋を抱えて小さな声でぶつぶつと呟いていた少女はへ?と顔を上げて、それから参ったと言わんばかりに声を上げた。
「あーもう!ライラのせいで口癖になっちゃいそうだよ〜」
鮮やかな深紅の赤髪を片手でわしわしと掻きながら、ロゼはこの真名とかいう文言を素晴らしい笑顔で三秒で覚えろと脅してきた美しい天族の女性に恨み言を吐いた。
ちなみに当の本人は、ミクリオやエドナと共に宿屋に待機している。
従士契約の際に言われた理不尽な出来事が、あの時の切羽詰まった状況も相まってなかなか頭から離れてくれない。
それはある意味ライラの脅しが功を奏したのだろうが、いい加減口に出すのはやめたい。不可思議な呪文を唱えている不審者か自分は。
眉間にしわを寄せて唸る少女は、ふと目をしばたかせてそういえば、と口を開く。
「あたしにもスレイが真名をつけてくれたよね。『ウィクエク=ウィク』って。あれってどういう意味?」
というか真名って意味あんの?と素直な疑問を投げかけると、契約を交わした導師の少年はあるよ、と困ったように笑う。
「『ウィルエク=ウィク』は『ロゼはロゼ』って意味」
従士契約の際、ロゼに名付けた古代語の名だ。ほぼ独学で覚えた古代語が、導師として役に立つとは想像もしていなかった。
自身を持って真名の意味を伝えると、何故かロゼはつまらなそうに唇を尖らせた。
「『ロゼはロゼ』……なんか手抜きっぽくない?」
「そう?ぱっと思いついたんだけど、結構あってない?」
不満げに自身を睨めつける少女に、スレイが不思議そうに首を傾げる。
セキレイの羽として明るい笑顔で接客する商人の姿。風の骨として陰で暗躍する暗殺者の姿。
その二つは裏と表のように真逆の仕事で、なのにロゼという人物が二つに分かれてしまうような違和感はない。
どんな時でも、等身大でありのまま。裏と表があるのに、裏も表もない。
だから『ロゼはロゼ』という真名をつけた。確かにあの一瞬で  閃いたものではあるが、決して手抜きではない。
「あ、ミクリオたちの真名は本人から聞いてみて」
話ついでに伝えた言葉に、今度はロゼが首を傾げた。
「何で?」
「天族の真名は、名付けられた本人の性質を表している。他人にはまず教えんものだからだ」
訝しげに問いかける彼女に、黙って歩いていたデゼルが口を挟む。未だ難しい顔をするロゼに、スレイは笑ってそういうこと、と頷いた。
誰かに名付けられるものなのか、それとも天族として生まれた瞬間から持っているのかはスレイもわからない。
幼い頃、唯一ミクリオが自分の真名を教えてくれたのだが、その時はジイジの特大の雷が落ちた。
それから小一時間ほど膝を突き合わせて長々と説教をくらい、泣きべそをかきながらスレイとミクリオの中で絶対に他人に教えてはいけないものなのだと心に深く刻み付けたものだ。
静かに語ったデゼルの説明に、ロゼは視線を上に向けながらふーんと相槌を打つ。
「プライバシーの侵害的な?」
「……まぁ、そんな感じ」
合っているような、そうでないような。そんな絶妙な例えで返してきた少女に、スレイはぽりぽりと頬を掻いた。
「じゃあ、アリーシャの真名は?」
「…え?」
曲がり角を曲がり、大通りの半分ほどの道幅になった街道を進むと、デゼルの示した通り食料品店があった。
そのまま店に入ろうと足を速めかけたところで、ロゼから思わぬ質問がきた。自分が話したのは、アリーシャは天族が見えないということだけだったはずだ。
「あたしのもあるってことは、アリーシャにも真名があるんでしょ?ちょっと前まで従士だったって、本人から聞いたし」
彼女の言葉に、スレイはそっか、と納得する。
一遍に難しい話を聞くと眠くなると言われたからおいおい話そうとは思っていたのだが、アリーシャ自身からそれを聞いていたとは。男女で部屋を分かれた時にでも話したのだろうか。
今は宿屋で眠っている生真面目な彼女を思いながら、スレイは口を開く。
「アリーシャの真名は『マオクス=アメッカ』。意味は『笑顔のアリーシャ』だ」
興味津々に耳を傾けているロゼに、スレイは苦笑しながらも誇らしげに声を出した。
彼女がマビノギオ遺跡に迷い込んで落としていった、王家のナイフを返した時のことだ。
アリーシャはまるで大きな蕾が花開いたように笑って、とても大切なものなんだと嬉しそうにナイフを抱きしめたのだ。
それは騎士姫や王女といった、肩書きに隠れた彼女の本質を一瞬だけ垣間見た気がして、同時にこっちの心まで華やぐような綺麗な笑顔を、また見たいと思った。
穢れのない故郷を見てみたい。世界中の遺跡を巡りたい。
そんなアリーシャの夢を叶えて。
それが、自分が初めて人に名付けた真名だ。
夏の草木のような深い緑の瞳を真っ直ぐに向けて、その真名を付けた理由を嬉しそうにスレイは語った。
ロゼはそれを呆気にとられたような顔で聞き、それから呆れたような色を乗せてにやにやと口端を吊り上げた。
「……わかった。手抜きじゃなくて、贔屓(ひいき)ですね?」
「えっ!?なんで?」
心の底から驚くスレイに、笑顔を絶やさないまま内心でさらに呆れる。
わかってはいたが、やはり天然か。
「あたしの笑顔だって、なかなかのもんなのになぁ」
「ろ、ロゼ?雰囲気怖いよ」
「…スレイ、俺は先に行って、品定めしてくる」
「ちょっ、デゼル?!」
「あ、あたしも行く行く!てことで、スレイは荷物持ちね」
「え、まっ―――ぐ、お、重っ…!!」
二人分に分けた荷物を無造作にスレイの腕に載せ、苦しげに呻く少年を置いてデゼルと共に店の中に入っていった。
いいのか?と躊躇いがちに尋ねるデゼルに、いいのいいの、とロゼは軽く答えた。惚気話を聞かされたお返しだ。
セキレイの羽もいくつかの商品を品卸ししている店で良さそうな商品を手に取りながら、ロゼはさりげなく出入り口で震えている少年に視線を投げる。
マオクス=アメッカ。その意味は、笑顔のアリーシャ。
彼女の本質だろうと語った真名に込められた、スレイ自身の願い。多分、スレイもそこまではわかっている…と思う。
だが、その願いに秘められたある条件には、絶対に気付いていないのだろう。
――――彼女の夢を叶えて、その笑顔をまた見たい。
その瞬間に必ず隣に自分がいるのだという、無意識の前提に。
彼女の呆れたようなため息に同意するかのように、店の外で大鐘楼の鐘が楽しそうに音を奏でていた。





「そういえばさ、アリーシャのことなんだけど、あたしが手を繋いでもライラたちの声が聞こえたよ」
「えっそうなの?!」
「うん。だからさ、今後はあたしがアリーシャと手を繋ごっか?ほら、アリーシャ、スレイと繋ぐの恥ずかしがってたし」
「え……」
「どしたん?スレイにとって何か不都合でもある?」
「い、いや、平気だけど…」
「だけど?」
「えっと……何か、オレの役目だと思ってたから…寂しいなって思っちゃって…」
「……………」
「……ロゼ、もうその辺にしておけ」
「…うん、そうするわ」
「ロゼ?デゼル?」
「スレイこそ、『スレイはスレイ』だよね」





[戻る]