もしもの物語-5-



がしゃんと、目前の通路に突如として石の扉が降りてきて鼻先を掠めた。ひやりと背筋が凍り付く前に、背後からも同じような鈍い音が響く。
「……なに?いきなりこれなの?」
「あはは……どうしましょうか…?」
あからさまに機嫌を損ねた声音と、引き攣った笑いが広い空間に放り出される。自分と同じく奥の間へと行こうとした少女は、あまりの事態に唖然として声も出ないようだった。
「やれやれ…いきなり出鼻を挫かれるとは…」
幼い頃から共に遺跡を探索していた親友の、呆れながらも何処か慣れを感じさせる声に、スレイは乾いた笑い声を零すしかなかった。


災禍の顕主の手掛かりを探しに行こう。そう意気込む導師の少年と騎士の少女を遺跡に引きとめたのは、彼らに同行する天族の三人だった。
何を言っているんだ無謀すぎる、今の自分達では到底敵わないと思い知ったはずだ、それに二人に必要なのは手掛かりではなく休息だと、叱られ諭され宥められの三大拍子で説得され、戦場の跡地へ赴くことを留まった。
最初の内は完全には納得できず、不満が胸にこもっていた。が、広間の扉を調べているうちに、そんな気持ちは霧散していた。
―――『入口自体が閉じてる遺跡か……やはり閉じられてる意味があるんだろう』
―――『けど、封印の類じゃないな。カギ穴すらないし…アリーシャはどう思う?』
―――『え?そう、だな…扉の周囲に擦れたような跡があるから、横に動く仕掛けなんじゃないかと…』
遺跡の仕掛けを解くのは初めてだろうアリーシャの手を取り、折角だからとミクリオとの競争に参戦させて、先ずはと押しても引いてもびくともしない半円状の扉を調べた。
誰が先に仕掛けを解くかという競り合いなのに、ああでもないこうでもないと三人で交わす議論に熱が入るくらいに、スレイ達はいつの間にかすっかり扉を開ける事に夢中になっていた。
―――『よっしゃ、開いた!』
扉はスレイが最初にからくりに気付き、閉ざされた通路を見事開くことに成功した。
その瞬間の胸がすくような達成感に、凝り固まっていた心が解きほぐれる感覚を覚えて、本当に余裕がなかったんだなと苦笑いした。
それはアリーシャも同じだったようで、転がるように開いた仕掛け扉に、翡翠の瞳を陽光にかざしたガラス玉のようにきらきらと輝かせて感動していた彼女と目が合って、皆の言う通りだったねと二人して笑ってしまった。
長年人が立ち入らなかった遺跡の湿っぽい臭いに、レディレイクの地下に広がる水道遺跡を探索した時の……否、それ以上の高揚感に胸が躍った。
久しぶりにがっつりやるか。そう意気込んで深部へ続く間へと入り……そこまでは良かった。

遺跡に興味はないけど、スレイには興味がある。
にやりと悪戯(いたずら)な笑みを浮かべて、憑魔がいるから危険だと止めたにもかかわらず一緒についてきた赤髪の少女。昨日の商団の衣装から冒険者風の服に出で立ちを変えたロゼが、奥にあるいかにも怪しそうなレバーを何の躊躇いもなく引いてしまったのだ。
結果、仕掛け扉を抜けた先の広間に五人は閉じ込められた。
室内を調べてみるも、スイッチも妙な凹凸もない、何の変哲もないただの壁が四方にあるだけ。一部の隙間もない、驚くほど精度の高い構造には興味をそそられるが、今のところわかったことは『外側からでないと開けられない』ということだけだった。
閉じ込めた張本人であるロゼはごめんごめんと軽い調子で謝って、奥の部屋を調べてみると早々に姿を消してしまった。
その後は……予想通りというか案の定というか予感はしていたというか。天井からぼとぼとと気味の悪い音を立てて落ちてきた憑魔の群れに、スレイは懐かしさを覚えつつも若干遠い目になった。
悪意がないとはいえ、今まで罠に嵌めてしまっていたミクリオの心情がちょっとだけわかった気がした。
今度ミクリオに改めて謝ろうかなと思案しながら、気配しかわからないと申し訳なさそうに言ったアリーシャを下がらせて、蛇の形(なり)をした憑魔を浄化する為に駆け出した。


「何とか片付いたな…」
降ってきた憑魔を一掃して、もう大丈夫だと笑みを向けながらスレイはこちらに手を差し伸べてきた。少年の笑顔と手を交互に見ながら、アリーシャは躊躇いがちに自身の手を乗せる。
常にミクリオ達の声が聞こえていた方が楽だろうと、装備を整えた後にスレイがそう提案してからずっとこの調子である。
だが、それもそうかとすんなりと一回り大きな手の平を握ったことを、アリーシャは今更ながら少々後悔している。
導師を介することで、天族と意思疎通をはかることができる。それはスレイを通じて知った知識で、実際に彼の主神であるライラと会話することができた紛れもない真実だ。
しかし、それは事実であって、『常識』ではない。
繋いだ直後、耳朶に響いたミクリオの盛大な溜め息にあることに気付いて、はっとして恐る恐る周囲を見渡した時の、肩が飛び跳ねる程の驚愕といったらなかった。
何故ならティンタジェル遺跡を一時の宿としていたセキレイの羽の者達が、皆一様に微笑ましいような呆れたような生温かい眼差しを自分たちに向けていたのだ。
そこでやっと他人から自分達がどう捉えられるかに思い至り、羞恥に顔が真っ赤になった。
慌ててスレイを見てやっぱり必要に迫られた時だけでいいと言おうとしたのだが、彼の無邪気な屈託のない笑顔の前に何も言えなくなってしまった。
故に、現在に至る。
流石に街中入る時は理由(わけ)を話して遠慮しようと決意しながら、気恥ずかしさやいたたまれなさを払うように深部へ続く扉に視線を向けた。固く閉ざされたその先には、自分たちを助けてくれたセキレイの羽の一員がいる。レバーの仕掛けといい、先程の憑魔といい、扉を開けるために奥へと進んだ彼女に大事はないだろうか。
「こんな憑魔がいて、ロゼは大丈夫なんだろうか…」
「うーん…確かに、ちょっと心配だな…」
「大丈夫なんじゃないか?あのデゼルというヤツもついていったし。あの男の力なら、今くらいの憑魔なら追い払えるだろう」
遺跡の壁に寄りかかっていた、デゼルと名乗る長身の男。銀髪の先が草原のような緑色に染まった、黒いシルクハットを目深にかぶった彼は、風の骨との接触の際に度々あいまみえた風の天族だった。遺跡に入る前に見かけて、いくつか質問を投げかけて言葉少なに去っていった。
確かにミクリオの言う通り、彼は相当の手練れだと感じた。少なくとも自身より数段強い。
だから、例え浄化の力がなくともいらぬ心配なのだろう。だが、待つことしかできないとどうしても気を揉んでしまう。
「……この状況でよく他人の心配なんてできるわね…」
彼らの会話を聞きながら、エドナは雨露を落とす動作でトントンと武器である傘で床を叩きながらぼそりと呟く。
未知の遺跡に踏み込み、何が起こるか閉じ込められているこちらも、充分危険な状況であるのではないだろうか。
呑気なのか先の見えないバカなのか、判断しかねる。
「それがスレイさんたち、なのでしょう」
呆れかえる彼女に、ライラは柔らかく微笑みながら言うと、そうみたいねと半ば投げやりな相槌が返ってきた。少しばかり機嫌の悪い少女に、ライラは更に笑みを深める。
彼女は見かけに寄らず饒舌(じょうぜつ)な上に言葉巧みで、変化に乏しい表情によって真意が汲み取りにくい。けれど、よくよく彼女を知って、よくよく見てみれば、その薄青の瞳に浮かぶ感情の色を窺い知ることができる。
今朝方、エドナはアリーシャに叱咤に混じって自分の事を考えろと言った。おそらくそれと同じ理由で、彼らの思考をあっさりと受け止めたくはないのだろう。
何よとじとりと下から睨まれて、ライラは何もと楽しそうに笑った。何ともわかりにくい、彼女の優しさだ。
「デゼル…先程会話した、風の天族の方も一緒に奥に?」
「あ、うん。扉を開いてからずっとロゼの傍にいたから」
少しばかり思案して尋ねてきたアリーシャの問いに、スレイは頷いて返答する。
手間はかけさせない、とデゼルは言っていた。その言葉から、多分これまでも今回のようにロゼや風の骨の仲間達を陰ながら守ってきていたのかもしれない。
「デゼル様は、神依の力を欲していらしたな…」
「しかも、それをスレイにではなくロゼに求めていたな。目的があると言っていたが、一体何のために……」
少女と親友の言葉に、ひとり壁に寄りかかるデゼルの姿が脳裏によぎる。その時の、会話というよりも一方的な質疑応答もつられて思い出す。
「さあ?彼らについていったらわかるんじゃない?」
「ロゼ達に…?」
「それか仲間にするとか」
さらっとこともなげに言ったエドナの言葉に、アリーシャとミクリオは揃って目を見開いた。ライラも軽く目を瞠り、何かを考え込む素振りを見せる。
ロゼはスレイに比肩する力を持っていると、ライラがデゼルに伝えていた。天族を心の底から拒絶してはいるために見えてはいないが、霊応力自体は申し分ない素質の持ち主だと。
もし、天族という存在を受け入れて、力になってくれるのだとしたら。三人の頭の中に、それぞれの思いが巡る。
「…導師の宿命に、二人を巻き込む訳にはいかないよ」
しかし、その中でスレイは、眉根を寄せて顔をしかめて首を振った。
それは、何度も聞いた台詞だった。アリーシャの時もミクリオの時も、彼が気にする点は自分ではなく、相手のことだった。
ですが、とライラは端麗な面差しに憂いをのせる。何でもひとりで抱え込んでしまっては、いつか身を滅ぼしてしまう。そんな者達を、彼女は何人も見てきた。
ライラは彼を諭そうと言葉を掛けようとして、しかしその声は喉から先へ出ることはなく、耳に響いたゴトリという鈍い音に遮られた。
「…………何か、音した?」
「したわね」
辺りを見回しながら呟いたスレイの問い掛けに、エドナの面倒そうな肯定が入る。
今までの会話など綺麗に忘れて、誰もが思った。
――――嫌な予感しかしない。
口にしたら本当に起こってしまいそうで全員が胸の内に留めたが、その祈りにも似たささやかな抵抗も虚しく、周囲の壁から白い煙がシュウシュウと勢いよく噴き出してきた。
「……ホント、大変ね」
「何か他人事なんですけど!」
エドナの棒読みの発言に、スレイは抗議の声を叫ぶ。
一先ず態勢を整えましょうと、焦る彼らの耳にライラの落ち着き払った声が聞こえた。スレイ達は意識して冷静になろうと深呼吸を繰り返し、危機を脱すべく仕掛けの解除に走り回ったのだった。






◇   ◆   ◇   ◆


「止まった、ようだな…」
手を繋いでいるスレイが霞(かす)んで見えるほど充満していた煙が、見る見るうちに薄くなっていく様子を眺めながら、アリーシャは息も絶え絶えに呟いた。一瞬、もうだめかと思った。
隣にいるスレイがうん、と頷いた。やけに清々しいな顔をしているなと感じたのはアリーシャだけではなかったようで、エドナもなんだか楽しそうね、とスレイに問い掛けてきた。
「うん。何かこういうの、久しぶりだなって感じるよ」
久しぶり、ということは、今までにもこんな状況が何度もあったのだろうか。あったのだろうなと思う。きっと自分と出会ったマビノギオ遺跡で、ミクリオと共に。
深緑の瞳に浮かぶ感情の色が、懐かしさのそれだ。
「そう。その感じを大事にすることね」
生き生きとした、それでいて穏やかな表情にアリーシャも頬を緩ませていると、僅かに柔らかさを纏ったエドナの声音が耳朶に響いた。
もしかしたら、あの小さな少女も自分と同じような顔をしているのかもしれない。そう思うと何だか嬉しくなった。
「これで、ロゼも遺跡探検好きになってくれるといいな」
「……身体張ってるわね」
しかし、次いで出てきたスレイの台詞に、一転していつものような呆れた声に戻ってしまった。アリーシャも思わず苦笑する。
冗談ではなく本気で言っているのだから、本当にすごい。
きっとロゼも聞いていたら呆気にとられるのではないだろうかと目を細めて、アリーシャは目をしばたかせる。
煙が噴き出す前、繰り広げていた会話を今、思い出した。
やっとらしい台詞が出てきたな、とミクリオが小さく吹き出しながらそう言って、茶化すようにそう?と笑うスレイに、アリーシャは声を掛ける。
「スレイ、ロゼのことなんだが―――――」
そう切り出して、先程の話に戻そうとした、その瞬間。
音を立てて開いた扉と同時に、胸を重たいもので塞がれるような感覚が彼らを襲った。
「っ、この感じ…領域?」
「かなり強力だぞ。しかもこの穢れ…憑魔だな」
開いた扉の両脇にスレイとミクリオが控え、奥の様子を窺う。先程までの和やかな雰囲気は消え失せ、緊迫した空気が周囲を支配する。
神経を研ぎ澄ませ、憑魔の気配を捉えようとしたその時、奥から甲高い悲鳴が遺跡に響き渡った。
「ロゼの声だ!」
色を失ったミクリオの叫びに、スレイ達は遺跡の深部へと走り出す。
「なになになになにっ!?」
ひどく混乱したロゼの声が遺跡内に響き渡る。それはスレイを介して、天族の声を聴いた時と似た反応だった。ならば、ロゼの近くに、この穢れた領域を展開させている憑魔がいるのだろう。
彼女の声を頼りに駆けつけて、そこにある光景に足を止め、息を呑んだ。
恐怖に怯えて座り込んだロゼの近くで、繰り広げられている戦闘。ペンデュラムという飛び道具を駆使しながら、デゼルが己の倍ほどの図体を持つ戦士風の出で立ちをした憑魔と対峙していたのだった。
『そんな!ドラゴニュートっ?!』
「ヤバイヤツなのか?」
驚愕するライラの声が頭に響いてきて、スレイは儀礼剣を構えながらそう問うと、ドラゴンの幼体のひとつだと答えてきた。
ドラゴンの幼体は数種類の形態が存在するのか。マーリンドで空から射ち落とした、ドラゴンパピーとの戦闘を思い出す。あの憑魔も幼体のひとつであり、かなりの苦戦を強いられたものだ。ならばあれと同様、もしくはそれ以上の強敵なのだろう。
自然、剣を持つ腕に力がこもる。
「…アリーシャ、目の前にいる憑魔、見える?」
「……すまない、小さな竜巻が起こっているようにしか…」
心苦しそうに肩を落として謝る少女に、だったらとスレイは己の主神に語りかける。
「ライラ、アリーシャに従士契約を」
「スレイ、それは…!」
「大丈夫。確かに反動はあるけど…多分、一人じゃ押さえきれない」
慌てて口を挟んだアリーシャを宥めるように、スレイはドラゴニュートから視線を外さないまま彼女に言い添える。
正確には、前衛ひとりでは押さえきれない。天族達は、天響術を主な戦術とする。ミクリオはスレイの剣の稽古に付き合ってくれていたおかげで近接戦もある程度こなすが、どちらかといえば術を駆使した戦闘の方が得意だ。
自分だけでは防戦一方になると、直感が告げていた。
スレイの意図を察したライラは、彼の中から現れると静かに頷き、アリーシャの手をそっと握った。その感覚にアリーシャは瞠目して反射的に手を引きかけるも、グローブ越しに伝わるあたたかな感触に、火の天族の女性が思い浮かんで何とか押し留まった。
「…本当に、大丈夫なんだな?」
「うん。寧ろ一緒に戦ってくれると助かる」
肩越しに笑った少年を見て、アリーシャは躊躇することをやめた。いざとなったら身を呈して彼を守ると意を決し、力強い表情で頷く。
「では、従士契約を――――」
ライラの契約の文言を背後で聴きながら、スレイ達はそろそろ限界の近いデゼル達を助けるべく地を蹴った。
「おい!憑魔!お前の相手はこっちだ!」
ドラゴニュートの気を引く為に、あらん限りの力を込めて声を張り上げた。ロゼとデゼルが驚きに満ちた表情で振り返ったのを視界の端で捉えながら、自身の存在に気付いた憑魔に向かって突撃した。
「敵わないようなら逃げるわよ」
「ああ。とにかくロゼたちが逃げられる時間さえ稼げば!」
エドナとミクリオが口々に言った言葉に頷き、迫る不可視の敵を避けようと震えながら立ち上がった赤髪の少女を庇うように、巨大な両刃剣を持った憑魔の前に立ち塞がる。
「ロゼ、逃げろ!」
「け、けどさ、あたしのせいでしょ?そんなになってるの!」
「気にしてないから!」
ロゼは自分の行いでことごとく罠が発動したことに、そして今の状況に責任を感じているようだった。涙ぐんだ声で、それでも気丈に腰に携えた双剣を抜いて立ち上がった少女に、けれどスレイは余裕のない声でそう返した。
確かに閉じ込められている最中に起こったこと関しては否定できないが、ドラゴニュートの出現は彼女のせいではない。しかしそれを伝えるには、状況が切羽詰まっていた。
ぐっと膝を曲げて勢いよく突進してきた憑魔に、相手の進行方向から避けるようにロゼを突き飛ばし、スレイはその攻撃を剣でいなした。
「む〜…!」
海を切り取った双眸に悔しさを滲ませて、ロゼは唸る。どう目を凝らしても、スレイの目の前には大きな砂埃があるようにしかみえない。
せめて、姿が見えれば。
ロゼは二振りの短剣をきつく握りしめる。
得体の知れない存在は、怖い。どんなに恐ろしい形相をしていても姿さえ見えれば、こんなにも身体が竦む事もなく、剣を振るうことができるのに。
「……………」
唇を噛んで頭を垂れるロゼの姿を、ミクリオは横目でちらりと見つめていた。
「……スレイ、僕抜きでしばらく耐えてくれ」
押し出すように前に突き出してきた盾を、高速で回転させた長杖で弾き飛ばしてから、ミクリオはスレイに声を掛けた。
突然戦闘から離脱すると言ってきた幼馴染の意図がわからず、スレイはえ、と驚いたように目を見開く。
「エドナも。少しの間、頼む」
「さっさと済ませてきなさい。くたびれるのは嫌よ」
天族の少女は彼の思惑を察したのか、多くは語らず、ただ面倒そうにそう返した。
おもむろに翳した少女の傘の先にいるスレイの周囲に、白い光の膜が現れてすぐに消える。敵からの受ける攻撃から衝撃を吸収する天響術、バリアーだ。
少女の支援技を受けて、戸惑いながらも何とか一身に敵の攻撃を引き受けようとするスレイに内心で礼を言って、ミクリオは赤髪の少女の許へと駆け寄っていった。
「――――ロゼ」
静かな、けれどはっきりとした声音で、彼女の名を呼ぶ。ロゼはひっと短い悲鳴を上げて、挙動不審に周囲を見回した。
怯えてはいるが、本能的な拒絶から抗おうとしている意思が見られて、ミクリオは意外そうな顔をした。
「感心にも、今度は耳を傾けているね」
だが、やはり恐ろしいのだろう。喉の奥で必死に押し殺した悲鳴が、うぐぐとくぐもった呻き声となって漏れている。
それでもいい。こちらの意思を知ろうとしてくれているのなら。
「ロゼ、怖がってもいい。そのまま我慢して聞いて欲しい」
震える少女に、できるだけ穏やかな口調で語りかける。
やや離れたところから、鍔迫り合いの音が聞こえる。キンと澄んだ音もあれば、叩きつけるような鈍い音も。
「スレイはあんなヤツだ。幼馴染みの僕でも、見ててハラハラする」
今のように他人の事ばかりに心を配って、なのに自分を顧みない。いつもいつも、こっちの心臓に悪いことばかりをしでかしてくれる。
心配されているとわかっているのに、ごめんと謝りながらも意思を曲げないのだから、尚のこと性質が悪い。
「僕たち天族は、確かにスレイの仲間だ」
特に自分は、幼い頃からスレイと共にいた。親友だと、胸を張って言える程に。
だけど、とミクリオは声を落とす。
「スレイと同じものを、見たり聞いたりできてるのか……正直、わからない」
自分は、ライラやエドナは、人間ではない。姿形は似ていても、同じように感情を持っていても、自分達は天族なのだ。
ずっと気にしたこともなかったその違いが今、越えることのできない壁のように思えてならなかった。
果たして本当に真実、同じように感じることができているのか、自信がない。初めてアリーシャと出会った時もそうだ。自分は人間だと警戒して、スレイは放っておけないと躊躇いもせず助けに向かった。
ミクリオは、ゆっくりと瞬きをした。いつも片手にキセルを持っていた、皺だらけの老人の顔が瞼の裏に浮かぶ。
――――同じものを見て、聞くことのできる真の仲間。
スレイにはそんな存在が必要だと、ジイジは言っていた。その言葉が、心の中でずっと引っ掛かっていた。何もない水中にぽちゃんと投げられた小石のようなそれを、時折取り出しては手の上で転がして、ためつすがめずしながらその真意を探していた。
導師となった彼には、尚更必要だろうと思ったから。そして、そのような存在は自分ではないと、思ったから。
「…スレイには本当の意味で、導師の宿命を共感できる仲間がいないんだ」
自分とスレイの絆を卑下した訳ではない。彼と同じ人間であるアリーシャのことを、蔑(ないがし)ろに思った訳でもない。
決して驕りでも何でもなく、スレイには自分もアリーシャも必要だと思っている。もちろんライラやエドナも。少なからずスレイもそう思ってくれている筈だ。
ただ、エドナの冗談混じりの台詞を聞いて、思ったのだ。

導師に比肩する程の霊能力を持つ少女。
彼女こそジイジの言っていたような、スレイにとって『真の仲間』と呼べる存在なのではないだろうか、と。


◇   ◆   ◇   ◆


自身の周りに浮かび上がっていた光の陣が、音もなく消えていくのを感じた。そっと瞼を持ち上げると、目の前に天族の女性が、穏やかな笑みをたたえて佇んでいた。
「ライラ様…」
無意識に口から零れ出た名に、ライラは嬉しそうに目を細めた。ただそれだけで、アリーシャの胸にあたたかいものが込み上げてくる。
見えない、聴こえないことが今まで当たり前だった。なのに、彼女の姿をこの目に映すことができる。その事に、ひどく安心している自分がいた。
「―――ロックランス!」
離れたところから気の張った声が聞こえてきたと同時に、地響きを感じた。顔をそちらに向ければ、人の倍以上はあると思われる鎧を身に纏った竜の下から丁度鋭利な岩が隆起したところだった。
足下を崩した憑魔に、すかさず剣を振り下ろす人影を捉える。スレイだ。
常よりも険しい表情で敵に挑む彼の姿に、アリーシャは首を傾げた。余裕がないのは確かなのだろうが、どこか違和感があるように思えた。
どうしたのだろうかと眉を潜めて、ふいに視界に端に水色の服の端がちらついた。
「……ミクリオ様…?」
思わずそちらに視線をずらすと、頭を少し俯けて何かを呟いている天族の少年がいた。彼の目線を追えば、そこには怯えながら挙動不審に辺りを見回す、ロゼの姿。
「ミクリオさんは、ロゼさんを説得しているのですわ」
「ロゼを…?」
僅かに目を瞠るアリーシャに、ライラの柔らかな声がはいと肯定の意を示す。
説得。その意味を、少女は脳裏に浮かぶ選択肢に迷うことなく理解した。
ミクリオとロゼの二人をまじまじと見つめて、それから屈強な憑魔と戦うスレイ達を見る。
「……………」
向かうべきは、苦戦しているスレイ達の方だ。マーリンドで遭遇したドラゴンパピーだって、五人で攻撃を仕掛けてやっとのことで浄化したのだ。それにミクリオ一人でもきっと、ロゼの事を説得することができる。
そう思い悩んでいると、アリーシャさん、と傍にいる女性に優しく名を呼ばれた。
「私たちは、どちらに向かいますか?」
「ライラ様…」
まるで自分の迷いを見透かされているかのような、けれど自由に選び取れと言われたようなその問い掛けに、ぐらりと心が片側に傾いだ。
客観的に見て、優先すべき方はどちらかはわかっている……けれど。
考えていることがあった。伝えたいことがあった。どうしても、自分で。
「…ライラ様、私もロゼの許へ、行ってもよろしいでしょうか?」
ちらりと、憑魔と戦うスレイ達に視線を向ける。ドラゴニュートの間合いの外で術式を展開していたエドナと目が合った。幼い容貌をした彼女は、詠唱の合間に溜め息をひとつついて、ひらひらと手を振ってきた。
任せろ、ということなのだろう。それともさっさと用を済ませてこい、だろうか。
アリーシャはエドナに感謝を、今もひとり応戦しているスレイに謝罪を胸の内で述べて走り出した。


「ロゼ!ミクリオ様!」
声を張り上げて駆け寄ると、二人は弾かれるようにアリーシャを見た。
「アリーシャ、僕の姿が見えるんだね」
「はい、今しがた、従士契約を終えました」
後ろに佇むライラに視線を送りながら、力強く頷く。どこか嬉しそうにほっと目元を緩ませた少年に、自身も唇に小さな微笑みを乗せる。
「アリーシャ姫…」
呆然とした口調で名を呼ばれ、ぽかんと口を開いて座り込む少女を見つめる。ちらりとミクリオを窺うと、彼は意を汲んでそっとロゼから一歩下がった。
「ロゼ、聞いてほしいことがある」
背後から、肌の粟立つような獣の咆哮が聞こえた。怒りに満ちたその雄叫びに、残された時間は少ないと直感が警鐘を鳴らす。
「私は、スレイのように天族や憑魔を視る力がない。共に闘うにも、スレイに負担を強いらなければならない」
今だって、その反動で視力が悪くなっているはずだ。
自分に力がないから。自分の力で、スレイと同じ景色を視ることができないから。
「同じ人間でも、力があるかないかで、こんなにも違うんだ…。頼らなければ見ることの叶わない景色なんて、彼と同じものを見聞きしているとは言えない。……少なくとも私はそう思う」
そう言って、苦しそうに顔を伏せる。自分にもっと、力があれば。才能があれば。そう強く願っても、現時点での自分は情けないほど無力だ。
けど、とアリーシャは真っ直ぐな眼差しをロゼに向ける。それでもスレイは、自分のことを友達だと言ってくれた。
仲間だと、自らが離しかけた手を引き戻してくれた。
「ロゼ、君ならきっと、スレイと同じものが見える。共に戦うことができる。その素質が、ロゼにはある」
ならば自分は、彼のために心を砕こうと決めたのだ。
細い針で刺されるような胸の痛みを見ないふりをして、アリー シャは続ける。自身の無力感に浸るなど、そんなことは後でいい。
力のなさを嘆いても、悲観することはしない。現実に打ちのめされることには慣れている。その度に、折れるものかと立ち上がってきた。諦めるつもりは毛頭ない。
「あたしに…」
独り言のようにぽつんと呟いた彼女に、力を込めて頷いた。
「きっと本当の意味で、スレイのことを……導師の宿命を、わかりあえることができると思うんだ」
想いが伝わるように強く、アリーシャはよく通る声で言葉を紡ぐ。
霊応力が高いから、だけではない。似ていると思ったのだ。
スレイの纏うものと、ロゼの醸し出す雰囲気が。何物にも縛られず、己の意志で自由に生きるその姿が。
セキレイの羽の仲間に囲まれて晴れやかに笑う彼女を王宮で見かける度に、スレイに出会った時と同じように思っていた。

導師という者はきっと、彼女のような人なのだろうな、と。

「だから――――」
「アリーシャさん」
ライラのたしなめる声に、はっと我に返る。目を忙しなくしばたかせてこちらを見るロゼに、アリーシャは慌てて謝った。
「すまない、押しつけがましいことをした」
自分の悪い癖だ。すぐに熱くなってしまう己を恥じて俯く。いつもこうだ。改めなくてはと反省するのに、いざこういった状況になるとこれだ。
湧くように黒い欠片が浮かび上がる石造りの床が、目の前に広がる。穢れのせいばかりでなく、空気が重苦しく感じた。
息を吸って、吐き出して。それを何回繰り返しただろう。
その沈黙を破ったのは、床にへたり込んでいたロゼだった。
「……あたしに、スレイの仲間になって欲しいんだ」
先程の困惑した声音とは一転、落ち着いた声で少女はアリーシャ達に言葉を返す。
「決めるのは君だけどね」
無理強いするつもりはないと暗に告げて、ミクリオは轟音が鳴り響く場所に目を向けた。
跳び上がって重力のままに突き下ろしてきたドラゴニュートの巨大な両刃剣を、丁度スレイが寸での所で避けているところだった。その衝撃に動きの止まった憑魔の隙をつき、剣を数回打ち込む彼の顔つきを見て、ミクリオは怪訝な顔で眉を潜めた。
「スレイのヤツ、何怒ってるんだ?」
ぼそっと独りごちた少年の言葉に、アリーシャは思わずスレイに視線を向ける。そうか、先程感じた違和感は、彼が珍しく怒っているからなのか。
納得して、首を傾げる。何故怒っているのだろうか。
「アリーシャ!ミクリオ!」
そんな疑問が湧いてきたところで、スレイが余裕のない叫びで自分達を呼んだ。その声音からして流石にもう限界のようだ。ミクリオに目配せをして、行こうと頷く。
「――――ミクリオ!」
だが、踵を返した背後から突然ミクリオの名が呼ばれた。驚いて思わず二人して振り返ると、先程まで座り込んでいたロゼがいつの間にか立ち上がり、険しい顔をして目を固く瞑っていた。
むむむ…!と唸り声を上げながらじりじりと近付いてくる少女に、天族の少年は反射的にたじろいだ。ロゼが近付いては、ミクリオが後退する。その何とも奇妙な光景に、アリーシャは息を呑んで二人を見守った。
「むむむ!」
ミクリオの距離が半歩ほどまで狭まったところで、ロゼがカッと大きく目を見開いた。瞼に隠れていた海の色をしたその二対の瞳は、宿した覚悟に力強くきらめいていて、アリーシャは彼女の選択した道を知った。
睨みつけるかの如く眼前を見据える赤髪の少女に、聖堂で剣を引き抜いたスレイの姿が重なる。
―――やはり、そっくりだ
その双眸を横から見つめながら、やはりスレイに似ていると、アリーシャは眩しそうに目を細めた。



◇   ◆   ◇   ◆


ティンタジェル遺跡内に、静けさが戻った。あれほど周囲に浮かんでいた黒い欠片は、今はひとつたりともない。
遺跡内はただ、地下特有の湿気と喉を僅かに刺激するような埃が漂う室内へと戻っていた。
「言っておくことがあるわ」
崩れた柱に寄りかかっていたエドナの前を通ると、目を眇めた彼女に呼び止められた。
何?とスレイは立ち止まる。表情の読みにくい彼女の線の細い面差しは、ライラの膝に頭を乗せて眠っている少女に向いていた。
「あのロゼって子だけど、簡単に力が通り過ぎる。気絶している間に、勝手に神依を発現して操れるほどね」
「…どういうこと?」
霊応力が高いということは、そういうことではないのだろうか。だが、今小さな少女が纏う空気は険を帯びている。その様子からして何か問題があるのだろうが、それが思い浮かばない。
訝しげに首を傾げていると、エドナは天族の力の馴染み過ぎているのだと言った。
「おそらく、デゼルが長い間、いびつに干渉し続けた結果ね」
ロゼに向けていた眼を、ちらりと寡黙な風の天族に目をずらす。全身黒い衣服に身を包んだ男は、エドナの視線に気付いたのか、装飾品のついた黒い帽子に片手を乗せて目深に被る仕草をした。
「彼は、これまで何度も意識のないロゼを操ってたんじゃないかしら。そうでないと、あの力の通り方に説明がつかないわ」
彼女の静かな、明らかに警戒を含ませた声音に、先程のデゼルとのやり取りを思い出す。
ロゼが従士となる決意をした後、驚いたことにデゼルもライラの陪神となり、スレイ達の旅についてくることとなった。幸か不幸か、風属性に弱い憑魔は彼らのおかげで倒すことができたが、その後何故デゼルも契約を結んだのかと問い詰めたのだ。そして、訳を聞いたスレイ達は予想を越えた返答に、言葉を失った。
―――『復讐だ。俺の友を殺し、『風の傭兵団』に濡れ衣を着せ、犯罪者へと堕とし、暗殺ギルドとしてしか生きていけなくした、憑魔へのな』
デゼルの目的。それは、彼の友と現在の風の骨である『風の傭兵団』の仇射ち。
仇である憑魔を、『鎮める』ことを良しとせず、救わずに『殺める』ことだったのだ。
「…デゼルは復讐のために、ロゼを利用し続けてきたってことか…」
「そして、彼の望むとおり、ロゼは神依を発現させたわ」
一呼吸置いて、少女は再び口を開く。
「意識を奪えば自由に操る事ができる、理想の器に仕上がったってことよ」
自分とエドナの台詞を思考の波に乗せて、そういうことかと理解する。
デゼルの意図を考えるならば、それは仇を取るための武器ということ。エドナが懸念しているのは、現時点でその刃をいつでも振りかざすことができる状況にある、ということだ。
ロゼの意思に関係なく、デゼルさえその気になれば、いつでも。
「覚えておく事ね」
二人と旅を共にするということは、その危険が伴う。それを常に頭に入れておけとエドナは言っているのだ。
「……わかった」
彼女の念を押す声に頷きながら、スレイは内心ででも、とデゼルとロゼを交互に見遣る。
憑魔を浄化した直後にロゼが倒れた際、デゼルは誰よりも早く駆け寄り、彼女の身を案じていた。彼女を抱きとめて焦るその姿に、偽りがあるとも、彼女を道具として見ているとも思えなかった。
ロゼに、自分がずっと風の骨を見守っていたことも、自身の目的も話すなと警告された。己の力でこれまで生き抜いてきたと信じている彼女に、影に潜んで動いていた自身のことなど知らなくていい、と。
ロゼがその事実を知り、反抗されないための口止めなのかもしれない。だがそこには、彼女の身と心を案じる気持ちが、存分に込められてはいなかったか。少なくともスレイには、そう感じられた。
「…それで?さっきまで怖い顔していたけど、誰かに用があったんじゃないの?」
「え……あっ!」
思案に暮れていたスレイは、彼女の言葉にはっと我に返る。
そうだった。思い出して、再び顔をしかめる。やっぱり、一言言っておかないと気が済まない。
「心配してくれてありがとう、エドナ」
気を付けとくよと軽く笑ってから、少年は目的の場所へ向けて駆け出していった。
去っていく彼の背中が、気の緩んだ表情で談笑している少年と少女の所で立ち止まったのを見て、礼を言われた少女は僅かに口元を緩める。彼女にしては珍しい、小さな花が咲いたような優しげな笑みだったが、それを見た者は残念な事に誰もいなかった。
自分にしてみればまだまだ未熟な子供達を暫く見つめてから、さて、と両手を乗せていた傘の柄をくるくると回す。
「干渉し続けた結果、ね……」
そっと瞼を伏せてぽつりと独りごちたエドナは、再度視線を滑らせて、横たわる赤髪の少女へと空色の瞳をきらめかせたのだった。


先程よりも気の抜けた空気が漂う遺跡の中を、スレイは厳しい表情を崩さないまま穏やかに会話している少女と親友の許へズカズカと近付いた。
「アリーシャ、ミクリオ。二人とも、そこに正座」
どうしても二人に、言いたいことがあった。
「「は?」」
異口同音。座れと命令された二人は同時に疑問符を発して、色の異なる二対の眼が怪訝にスレイを凝視した。
訳がわからないと首を傾げる二人に早くと急かせば、ひどく困惑しながらも石の床に座る。彼らに続いてスレイも正座し、一呼吸置いてから話を切り出した。
「オレさ、二人に怒ってるんだけど」
早々に口を開いて、憮然とした口調でそう告げた。
彼らの説得は、戦いの最中に聞いていた。ロゼを導師の宿命に巻き込む訳にはいかないと明言したにもかかわらず、二人が彼女を仲間に誘おうとしたのには驚いた。
しかも、襲いかかる憑魔の猛攻を必死にかわしながら何故と耳を傾けていれば、彼らは揃いも揃ってもっと仰天するようなことを言ってのけたのだ。
「何で自分達がオレの仲間じゃないようなこと、言ったの?」
きょとんとした表情で互いに顔を見合わせるアリーシャとミクリオが、その非難するような台詞に大きく目を瞠った。
「スレイ、僕もアリーシャも、そんなことを言ったつもりはない」
「同じようなことじゃないか。何、本当の仲間って?まるでミクリオたちは違うようなこと言ってさ」
むすっとした表情で、心外だと言わんばかりに唇を尖らせる。
驚いた。それにすごく悲しかった。鋭い棘が突き刺さるような痛みを胸に感じながら、身体の奥底から燃え立つように憤りが熱を伴って湧きあがってきたことを思い出す。
本当に、衝撃的だったのだ。
「違うんだ、スレイ。君のこともミクリオ様たちのことも、仲間ではないと思ったことなどない。ただ、導師の使命を共感できるのは――――」
「仲間だよ。アリーシャもミクリオも」
少女の言葉を遮って、スレイは真っ直ぐな眼差しで射抜くように二人を見つめた。
「色んな考えがあって当然じゃないか。だからアリーシャとミクリオは、オレが反対してもロゼを仲間にしようとしたんだろ?」
理由は納得できないけど、と押し黙るアリーシャ達を見つめながら付け足す。そもそも二人のその行動が、言動を裏切っているではないか。
共感はできなくとも、心に寄り添おうとしてくれた。自分のために、懸命になって考えてくれた。
そこに、何の違いがあるだろうか。
「オレにとって、ロゼのような仲間が必要だって思ったから、なんだろ?でも、同じ考え方ばっかだったら、そうやって反対を押し切る人も、叱ってくれる人もいない。それって、すごく危ないことだと思うんだ」
住む世界が違っていても、価値観が異なっていても。言葉を受け止め、返して、何を考え、何を思ったのか知っていく。その繰り返しや積み重ねが、今の自分達を繋いでいる。
「共感できるとかできないとか、そうじゃなくてさ。大切なのは、お互いに意見を言い合って、理解しあうこと、だと思うんだけど?」
相手に近付きたいから、こうやって言葉を尽くす。
だから自分達は、仲間になれたのではないのだろうか。
「スレイ…」
「……今回ばかりは、スレイの言い分の方が正しいな…」
彼の言葉をじっと座って聞いていたミクリオは、観念したとでも言うように溜め息をついた。隣で慣れない正座をするアリーシャを見遣れば、彼女は眉尻を下げて笑っていた。困った表情は恐らく、自分と同じく己に対する呆れなのだろう。
その通りだと思った。自分達の絆を否定した訳ではないけれど、その価値を軽んじていたかもしれない。
「悪かった。僕も相当、気負ってたみたいだ」
「私も…視野が狭くなってしまっていた。スレイ、すまなかった」
座った姿勢のまま、頭を下げてスレイに謝る。
その体勢のまま彼の反応を窺っていると、やがて怒りを纏っていた空気が消えて、小さく息をつく音が聞こえてきた。
「特別に許してやろう。我が従士に陪神よ」
わざとらしい厳かな口調が頭上から降ってきて顔を上げてみれば、そこには胸を大きく逸らして不遜な笑みを浮かべた導師の姿があった。しかし正座した状態のせいか、微妙に決まっていない。
それを見て、ふ、と自身の身体から力が抜けていくのを感じた。
「はいはい。ありがたきお言葉です。導師スレイ」
「寛大な処置、心より感謝いたします。導師様」
「うむ。よいのだ」
彼にのって大袈裟に敬って平伏すると、やはり偉そうな返事が返ってきた。
数秒の間の後、ちらりと互いに目を合わせて、三人は込み上げる可笑しさに堪え切れずにぷっと吹き出した。

ああ、確かに。こうして自分達は、違いがあっても許しあって、わかりあえる。
だったら、人間も天族も、導師とそれ以外の者達も、そう変わりはないように思えた。
先程まで、あんなにも自分ではないと否定していたのに、まるで隔てていたものが消えてなくなったかのように、今はすんなりとその思考を受け入れることができる。
もしかしたら、と声を上げて笑いながらミクリオはひとつの可能性を見出す。

そう思わせてくれる存在が、導師となって人と天族を結ぶ。
導師の選定なんて、ただそれだけの基準なのかもしれない。


「今度オレの仲間じゃないなんて言ったら、ジイジばりの大声で『バッカもーん!!』て怒るからな」
ひとしきり笑った後、足が痺れたと、正座を崩したスレイは子供のような笑みを浮かべてそう言った。
「ジイジ…?」
「僕とスレイの育ての親さ。アリーシャも一度体験してみるといいよ。耳どころか、全身に響き渡るような怒鳴り声だから」
「それは……すごいですね…」
雷が落ちるような叱り方なのだろうかと呟けば、そんな感じだと十二分に実感のこもった返事が同郷組から返ってきた。それ程の怒声なのか。
「しかし、天族の方を怒らせるのは……」
「まぁ、アリーシャはそもそも、ジイジを怒らせるようなことはしなそうだけどね」
「大丈夫さ、スレイがいれば。日常茶飯事だったろ?」
「それはミクリオもだったろ!いっつも一緒に叱られてたじゃないか」
「僕のは半分以上君のとばっちりだ!大体、スレイはいつも僕の制止を聞かずに勝手なことばかりするから―――――」

ぎゃあぎゃあと言い争う声を聞きながら、ライラは嬉しげにくすくすと笑み崩れていた。
「私が言うまでもありませんでしたわね」
戦争に参加してからずっと、少年少女らには緊張の糸がぴんと張りつめていた。傍から見て恐い程に。
『導師』というものに、皆一様に何かを為さなければと、無自覚に必死になっていた。それが見えていたから、いつかその糸が己を縛り、がんじがらめになってしまうことを危惧していた。
しかし今、彼らはお互いの糸を緩ませ、強張っていた心を解いた。自身の心配事がどうやら杞憂に終わったことに、ライラは安堵の息をつく。
こうして少年達は、成長していくのだろう。
今までの旅では得ることのできなかった感情が、彼女の中に穏やかに満ちていくのを感じた。
「ふふ、これが弟妹を持つ姉の気持ち、なんでしょうか?」
親、では少し自分が可哀想だ。確かに彼らより随分と長く生きているが、それよりも姉の方が近い気がした。
以前、妹について語ってくれた者がいたのだ。困ったところは自分に似ていると苦笑して、元気だろうかと故郷を見つめ憂いて、よく出来た子なんだと誇らしげに笑っていた。
あの時語った彼は、こんな気持ちだったのだろうか。ライラは浮かべていた笑みに一抹の寂しさを乗せて、少しだけ過去に思いを馳せた。
「うぅ……む…」
そんなことを考えていると、やや離れたところから低い唸り声が聞こえてきた。スレイ達から目を離してその方向を見遣れば、犬の形をした背中がぴくりと動いていた。つい先程まで対峙していたドラゴニュートの穢れを祓い、そこから現れた天族が目を覚ましたようだ。
むくりを起き上がって辺りを見回す白い犬に、スレイ達も気付いたのだろう。あっと声を上げて、こちらに向かってくる足音が耳に入ってきた。遅れてゆっくりと歩くものは、デゼルのものであろうか。
きっとこの後は、遺跡の最奥へと探索に向かうのだろう。そうして束の間の休息は終わり、導師の旅が再び始まる。
それでもきっと、辛い現実を突き付けられたとしても、彼らは今日のように乗り越えていけるのだろう。
そんな彼らを見守っていきたいと、これまで以上に強く思う。
小さく声を上げて膝の上で身じろぎする赤髪の少女を見遣り、ライラはそっと微笑んだのだった。








「がっはっは、それは助かった。礼を言うぞ。導師殿。天族の同胞(はらから)よ」
「わんこがしゃべった!しかも声しぶっ!」
「はは、そりゃあ天族だからね」
「犬と声の低さは関係があるのか…?」
「ほら、この大きさの犬ってもっと高い声できゃんきゃん吠えるでしょ?」
「ああ、なるほど」
「がっはっは、そこはワシが天族だからじゃのう」
「へぇー、天族の神秘って感じ!」
「よかったわね、ミボ。ボケが増えたみたいよ」
「全っ然嬉しくないんだが…」
「……おい、お前らはいつもこんな感じなのか?」
「はい。切羽詰まっている時以外は大体」





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