おおかみと赤ずきん 鐘の音




会いたかったんだ

触れたかったんだ

話したかった

本当は――――




ざぁ、という音と共に風が木々の隙間を、草花をすり抜けていく。その風に乗って小さな花弁や草の欠片はさらわれ、山の向こうへと旅立つように舞っていった。地にしっかりと根付いているものは後から追い付いてきた微弱な風にゆらゆらと葉や茎を動かす。空に浮かぶ雲は、相も変わらず自由気ままにゆっくりと形を変えながら移動している。綿花のような柔らかな白と対比するように突き抜けるような青が、木々の隙間から陽の光とともに降り注ぐ。木漏れ日の下には、青々とした葉を精一杯広げ少しでも栄養を蓄えようと様々な植物が光合成に勤しんでいる。 そんな、穏やかな時を刻み続ける森の奥の奥。開けた場所に静かに佇む大きな樹木。いつからそこにあったのか、生まれてから幾年過ぎたのか、それがわからない程ここに鎮座する巨木は、しかし震えあがるような恐怖も崇めたくなるほどの壮大さもなく、例えるなら孫の成長を見守る老婆のようにただただゆるやかに日々を過ごし優しく森全体を見つめている。 もぞりと、その木の下で黒い影が小さく動く。尖った耳、細長い顔、鳶色(とびいろ)の剛毛に覆われた四肢。犬によく似た形(なり)をした獣。いや、犬が彼らから派生して生まれたというべきであろう。犬の祖先であり原種である彼らを、人は狼と呼ぶ。背中を丸め、組んだ前足の上に顎を乗せて眠る彼の上には、小鳥が数羽。呼吸に合わせて上下する背に、まるでいつものことだとでもいうように落ち着いた様子で羽を休めている。 今から十年程前、狼はこの森にやってきた。元々彼らは基本的に群れを成し小さな組織の中で暮らしているが、雄は2年ほど経つと群れに残るか新たな群れを作るために離れるかの選択に迫られる。そして2年の月日が流れ、成熟した彼は後者を選び、一匹狼として様々な森を山を草原を勝手気ままに放浪していた。何故群れを飛び出したのか、その確固たる理由はなく、強いて言うならば”何となく旅に出たかった”というどこか青臭くとても曖昧なものだった。それでも飛び出したことに後悔はなく、寧ろその決断によりこの森で呑気で気楽な暮らしができていることに満足していた。―――ただひとつの事柄を除いては。
―――ざぁぁ。先程よりも強さを増した風が彼らの体毛や羽毛をなびかせて通り抜ける。木々の擦れる音、地に生えた雑草特有の青臭さや湿った土の香り、川の流水音を森の外へと運んでいく。小鳥たちは楽しそうにぴぃぴぃと鳴き声を風に乗せると、彼方から同じ鳴き声がピィピィと聴こえてきた。詩人がここにいたらその自然が奏でる音色にうっとりと目を細めながら詩を歌いだしたことだろう。それでも大きな獣は身動き一つせず、目を閉じたままだ。
――――――……―――…――――――……
ふいに鳥とは違う、しかし澄んだ音が森に小さく響いた。ぴくりと三角形の耳がその音に初めて動く。
――――ン………カ…ン……―――――
自然のものとは異なる、無機質の音。狼のまぶたがゆっくりと開く。体毛と同じ赤褐色の、力強さを感じさせる瞳。頭を気だるげに持ち上げて、その音色だけを捉えようと耳を前後に動かす。天敵である彼が起きたにもかかわらず、小鳥たちは遠くの仲間と大合唱中だ。
――――…ラァ…―――――カラ…ン……
この森を出た先。子供の足でも1時間程で辿り着く所に、町がある。街と言うには小さく、村と言うには人の往来が激しい、人々が穏やかに暮らす場所が。その町の中にある、白い壁と黒い屋根を持ったどこか異彩を放った建物。その傍に同じく白い柱と黒い屋根を持った建築物の頂上で金色に輝く金属物。それが揺れ、空洞の内部にぶら下がった振り子が丸みを帯びた台形の外部とぶつかり合った音。それがこの音の正体。重たく、鈍く、しかし己の背でさえずっている鳥たちにも似た澄んだ音色。風の強弱によってそれも大きくも小さくも耳に届いた。 彼ら人間がどのような人生を歩みどのように暮らしているかなど、獣はさして興味もない。一般的な狼の寿命を軽く吹っ切っている故か、たまたま人語を理解したまたまそれを発音できる能力をいつからだか記憶にないほど知らぬ間に身に付けていた彼であるが、それでも人について知ろうとも近付こうともしなかった。自分がどのような姿か、そしてどんな存在か、それがわかっていたから。 だからこの鐘がどんな意味を持っているのか、何故今鳴っているのかなど知らず知る由もなかった。その筈、だった。
――――私ね、結婚するの……
そう告げられた。その日その時、時間がわからずとも鐘が響けばそれが合図だと。 狼は、その知らせを耳に捉えながらのそりと起き上がる。バランスを崩した小鳥たちはぴちち、と鳴きながら空へと羽ばたいていった。その背に悪いな、と小さく呟きながら、狼は町のある方向へと顔を向けた。その大地の色を切り取った瞳は、まるで人間であるかように様々な感情を複雑にからませた色を宿して揺れ動いていた。
今日は、結婚式。いつも赤い頭巾をかぶっていた、小さな女の子だったあの子の――――――。








あとがき
書こうと思ったきっかけはボカロ曲の「おおかみは赤ずきんに恋をした」のメトメイver.を聞いたからでした。リンレンの原曲も大好きで今も時々歌う。
シブに上げていたのを徐々にこっちにも上げていこうと思います。



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