花と言の葉が舞う



暖かな光が瞼に当たる感覚に、エアグルーヴは目を覚ます。習慣でまず時計を見れば、普段より二十分ほど早い起床だった。
目覚ましが鳴らぬようにアラームをオフにして、静かに起き上がる。足を床に下ろし、スマートフォンを取るためにサイドテーブルに腕を伸ばす。
充電コードを外して画面を見れば、チャットアプリからの通知が来ていた。宛名を見てすぐさまアプリを開く。昨夜連絡した母からの返信だった。
『お誕生日おめでとう! プレゼントはちゃんと届いたみたいね。今年もかわいい愛娘にとって、とびっきり素敵な一年になることを祈ってるわ!』
それが一通目。二通目を見れば『でも寂しいからたまにはこっちにも帰ってきなさいよ〜!』と続けられていて、思わず口元が緩む。
今年のGWは帰省しようかと考えながら、机の上に置かれた縦長の箱に視線を向ける。母から贈られてきた、エアグルーヴ好みの花瓶がその中には入っていた。
「んん……ふわぁ〜」
エアグルーヴとは反対側の壁際から間延びした声が聞こえてくる。視線を向ければ、ファインモーションがゆっくりと起き上がるところだった。
「おはよう。今日は早いじゃないか、ファイン」
「ん〜、おはよう、グルーヴさん。陽射しがあたたかくて、目が覚めちゃったみたい」
まだ眠たそうな顔をしてファインが微笑む。ちょうど彼女の枕元には、柔らかな日差しが降り注いでいた。
「えーと、今日の予定は……あ、そうだ!」
エアグルーヴと同じようにサイドテーブルに置かれたスマホを取った彼女は、画面を開いた途端に目を見開く。そして寝起きとは思えないような速さでベッドから飛び降りて、机の引き出しから何かを取り出した。
「お誕生日おめでとう、グルーヴさん!」
未だベッドに座っていたエアグルーヴにぱたぱたと駆け寄った彼女は、はい、とそれを手渡してきた。両手の平に収まるくらいの箱を見たエアグルーヴは軽く目を見開き、次いで緩やかに細める。
「プリザーブドフラワーか」
「どうかな? 教えてもらった時よりもね、上手くなったと思うんだ」
「ああ、世辞抜きに素晴らしい出来だ。ありがとう、大切に飾る」
紺碧色の箱庭に敷き詰められた枯れない花々を、透明な蓋越しにそっと撫でる。薄い桃色の花弁が可憐なゼラニウムとローダンセ、それから彼女の故国の象徴である『約束』のシャムロックが上品に詰め込まれている。『尊敬』と『信頼』、『終わりのない友情』と、選んだ花も彼女らしい。
──お母様。おかげさまで、誕生日から素晴らしい一日を迎えられそうです。
友人から受け取った花束を両手で包みながら、メッセージ通り娘の幸せを願ってくれているであろう母に向けて囁く。
「ふふ、喜んでもらえてよかった〜! あ、そうそう、お姉さまからもね、あとで贈り物が届くみたい。今年もものすごく気合い入れて選んだって言ってたな〜」
「…………それは朝から聞きたくなかったな……」
──訂正します。多少の困難も待ち受けているようです。
いっそのこと寮母さんに即返品してもらうように頼んでおこうか。そんな失礼なことを考えながら、エアグルーヴは早朝から顔を引き攣らせたのだった。


◆  ◆  ◆


まったくあいつらは、と額に手を当て、エアグルーヴは栗東寮を出ていく。まだ朝トレすらしていないのに既に疲れた気分だった。
朝食前の出来事にげんなりと肩を落としていると、ふと美浦寮の方から人影が近づいてくるのに気付いた。スカートを翻して駆け寄ってくるのは、美浦寮寮長のヒシアマゾンだ。
「おはようさん、エアグルーヴ! その顔を見るに、朝っぱらからフジにしてやられたって感じかい?」
「……ああ、その通りだ」
挨拶もそこそこにそう指摘する彼女に、エアグルーヴは半眼のまま頷く。悪戯好きの栗東寮寮長は、例に漏れず自分にもサプライズを仕掛けてきたのだ。
身支度を整えて自室のドアを開いた。瞬間、目の前に白い煙幕が立ちのぼった。
何事だと慌ててファインを庇うように後退して様子を窺った。息を詰めること数秒、煙が消えた先には、小さなフラワーバスケットがぽつんと置かれていた。
青いベルフラワーが鈴なりに咲いたそれを呆然と見つめていれば、ドアの向こうからフジキセキがひょっこりと顔を出したではないか。
「サプラーイズ!」と清々しいほどの笑顔でそう言ってきたファインとフジキセキを再び思い出して、エアグルーヴは額に手を当てる。日頃の『感謝』を込めてと言っていたが、そう思うのなら普通に渡してもらいたかった。素直に礼も言えやしない。
「あっはは! ほんと歪みないねえ、アイツ。ほら、祝いと労いを込めたプレゼントだ」
事の次第を知ったヒシアマゾンはからからと笑ったあと、そう言って持っていたランチボックスをエアグルーヴに差し出してきた。
「誕生日おめでとさん。ヒシアマ姐さんお手製、花とハーブの特製弁当だ!」
「ああ、昨日言っていた……ありがとう」
誕生日祝いに旨いものを作ってやる。そう声を掛けられたのは覚えているが、まさか弁当だったとは。香辛料と華やかな香りが微かに漂ってきて、エアグルーヴは僅かに口の端を上げる。
「食用花……エディブルフラワーだな」
「そうそう、確かそんな名前だったね。中身はチキンの香草焼きだろ、じゃがいもとタコのハーブ炒めに、花とクリームチーズのフルーツサンドとフラワーサラダってのと……まあ色々詰めてみたよ。デザートは砂糖漬けの花を入れたゼリーだ。味も見栄えもバツグンさ!」
ほぉ、と受け取ったランチボックスを興味深く見つめる。随分と手の込んだものを作ってくれたらしい。
「今度レシピを教えてもらってもいいか?」
「そう言うと思ってレシピも挟んどいたよ。ま、自己流にアレンジしてあるから、本場とはちっとばかし違うのは勘弁しとくれ」
「お前の料理の腕前なら大歓迎だな。恩に着る」
「へへ、いいってことよ! んじゃ、ちょっくらタイキを呼んでくるよ。今日は一緒に早朝ランニングに行くんだろ?」
「ああ。何から何まで助かる」
ヒシアマゾンがひらひらと手を振りながら美浦寮に戻っていく。それを見送ってから、エアグルーヴは手持無沙汰に空を見上げた。
冬が明け、随分と朝日が早く昇るようになった。うららかな春の陽気につられるようにして目を細める。今日は花壇の花たちにとっても、良い一日になりそうだ。
「エアグルーーーーヴっ! ハッピーバースデーーーー!!」
「ぐっ!?」
そんな気を抜いているタイミングで横から突進され、避けることもできずにタックルを受ける羽目になった。
「タイキっ! いきなりはやめろと何度言えばわかるんだ!!」
「オウ、ソーリー! ですが今日は許してくだサーイ!」
危うくヒシアマゾンからもらった弁当が潰れるところだった。自分より体格のいい身体を押しのけて睨めば、タイキシャトルは両手を合わせて謝ってくる。けれど顔は眩しいくらいの笑顔だ。
「ワタシからのプレゼントは、バーベキューパーティでス? なので夕食は覚悟しておいてクダサイ!」
「そこは『楽しみに』だろうが……だとは思ったが、ちゃんと寮長の許可は取ってあるんだろうな?」
「イエス! ウマアネゴには朝メシ前にお願いしてきまシタ!」
「だから何故そうも妙な日本語の使い方をするんだお前は……!」
いや、言葉通りに解釈すれば合っているのだろうか。だがエアグルーヴの知る意味とは異なるためいちいち混乱する。難しい言い回しなど無理に覚える必要などないだろうに、何故かタイキは好んで使いたがるのだ。一体何を見聞きして覚えてきているのだか。
やれやれと首を振り、気を取りの直して顔を上げる。こんな問答をしているうちに時間が過ぎてしまう。
「そろそろ行くぞ。スズカも学園で待っているだろうしな」
待っているというか、グラウンドを走っているのだろうが。鞄とランチボックスを持ち直して促せば、タイキも大きく頷いた。
「レッツゴー! 今日はバックマウンテンでトレイルランでース!」
そして彼女の答えには? と胡乱な目を向ける。
「裏山だと? 待て、その話は聞いていないぞ。──っておい、どういうことか説明しろ!」
「ンフフ〜、トップシークレット! アトのお楽しみデス!」
にんまりと笑いながら人差し指を口元に当て、タイキは踵を返して走り出す。その後も更衣室に向かうまでに何度も問い詰めたのだが、結局タイキは黙秘したまま口を割ることはなかった。


◆  ◆  ◆


──エアグルーヴに、見せたい景色があるの。
案の定グラウンドを走っていたサイレンススズカを捕まえて尋ねてみれば、彼女はそう言って裏山の方を指し示した。どうやら提案したのはスズカの方らしい、とそこで知った。
しかし詳細についてはタイキと同じように着いてからのお楽しみだと言われてしまい、エアグルーヴは目的地を知らぬまま山道を走っていた。
早朝の山は、街中よりも湿度と酸素が満ちて涼やかだ。日が昇れば植物は光合成をはじめて酸素を作り出し、葉に付着した朝露が蒸発して中空に霧散する。森特有の空気は、そうして作り出されているのだ。
葉や枝先に集まる雫がきらきらと日光を反射していて綺麗だった。戻ったら花壇の花たちにも水を与えてやらねばな、と僅かに笑みを浮かべて思う。
それにしても、とエアグルーヴはジョギングしながら周囲を見回す。随分と奥地まで来たが、未だスズカとタイキが足を止める様子はない。
「……で、私に見せたい景色とやらは、どこにあるんだ?」
「ええと、確かもう少し先に……」
「スズカ、こっちじゃありませんデシタカ?」
「……まさか道に迷ったのではあるまいな?」
その問答に不安がよぎり、前を行く二人に問いかける。スズカが軽く振り向いて、こちらを安心させるように微笑む。──が。
「大丈夫よ。走っていればそのうち着けるから」
「イエス! 本能に身を任せマース!」
「それは迷った挙句に偶然辿り着いただけだ! 登校時間に遅れると判断すれば問答無用で引き返すからな!」
あまりにも安心できない一言に、エアグルーヴは思わず声を張り上げた。念のためここまでの道を覚えておいて正解だった。
そうだった。スズカもタイキに負けず劣らず大雑把な性格をしているのだった。失念していた己にため息を落とす。
「あ……着いたわ、ここよ」
その時、少しばかり弾んだ声音でスズカが知らせてきた。無事に辿り着いたことに対し心の底からよかったと安堵しながら、エアグルーヴは速度を落とした。
生い茂る木々の隙間を潜り抜けると、開けた場所がそこにあった。こんな場所があったのかと顔を上げ、エアグルーヴは目を見開く。
「ワォ、何度見てもビューティフル……! これがジャパンのワビサビってやつデスネ!」
「山桜……いや、八重桜か、これは」
赤みを帯びた葉と共に、菊咲きの花が綿帽子の如く咲き乱れている。見た瞬間に樹齢はどのくらいだと考えてしまうほどに、随分と大きな樹木だった。
八重桜の前を風が通り抜ける。さぁっと枝葉が音を立てて揺れ、薄紅の花びらがエアグルーヴたちの前で優雅に舞った。
「この景色をね、どうしてもエアグルーヴに見せたかったの。……お誕生日おめでとう、エアグルーヴ」
「ハッピーバースデー! エアグルーヴ、ハッピーな気持ちになりましタカ?」
スズカとタイキが祝いの言葉を口にする。一方は柔らかな優しい笑みを浮かべて、もう一方は弾けるような明るい笑顔で。
「……お前たちは、八重桜の花言葉を知っていたのか?」
桜全般ではなく、八重桜のみに付けられたものを。尋ねると、二人は揃って首を傾げた。
「ワッツ? フラワーワード、ですカ?」
「花言葉……は、ごめんなさい、知らないわ。すごく綺麗で、エアグルーヴにも見せたいなって、そう思っただけだったから……もしかして、友達に贈るにはよくない言葉だったのかしら?」
「いいや……寧ろその逆だ」
エアグルーヴは首を振り、それから微笑みながら口を開く。
「八重桜には『豊かな教養』、『善良な教育』と、理知や教育に関する花言葉がつけられているんだ」
「ワオ! エアグルーヴにぴったりなワードですネ!」
「ええ。私もそう思うわ」
素直にそう告げてくる友人らに、エアグルーヴは誇らしい面持ちで笑みを深めた。
「まだまだ道半ばだが……そうだな。少しずつ、前に進めている手応えは感じている」
憧れる母の姿に。そのような己でありたいと強く願った理想像に、着実に近付いけている。
この八重桜を見て、改めて実感できた。いっそう身が引き締まる思いだ。
そして、とエアグルーヴは笑んだままゆっくりとまばたきをする。
スズカとタイキが、この景色を自分に見せたいと考えてくれたことが嬉しかった。特にスズカにとって『景色』というものは、彼女が最も重きを置いている事柄だ。
彼女の宝物のひとつであろうそれを見せたいと、エアグルーヴに対して思ってくれたことが喜ばしかった。
「ありがとう。随分と大きな花束を貰ってしまったな」
喜色を滲ませ、そんな思いを込めて礼を言う。
部屋に飾れないのは惜しいが、また花見に来ればいい話だ。これだけの大樹であれば、葉桜になった姿もさぞかし立派なことだろう。
「イエス! 持って帰れないのでしたラ、ピクチャー撮りまショウ! オイシーサクラと一緒に!」
「え、美味しい……?」
「どういう意味だ?」
首を傾げるエアグルーヴたちに、タイキはにやりと笑う。腰に巻いていたウエストポーチを開き、彼女が取り出したのはころりとした丸い食べ物だった。
「タダーン! イッツサクラ餅! 三人でチェリーブロッサムを見に行くと言ったら、フラワーが作ってくれマシタ! それからエアグルーヴに『お誕生日オメデトゴザマス!』とメッセージをお願いされてマス!」
自慢げなタイキの手の平に収まる、桜の葉が巻かれた桃色の餅をまじまじと見つめる。次いでエアグルーヴとスズカは同時に吹き出した。
「ふ、はは……! ああ、確かにそっくりだな」
「ふふ、本当ね。ここの桜は葉っぱと一緒に咲いているから、なおさらかしら? 桜と一緒に撮ってスぺちゃんに見せたら、「どっちも美味しそう!」って言いそうだわ」
「ワタシもファミリーに送るピクチャー撮りマース!」
タイキの手から桜餅を受け取りながら、エアグルーヴは小さく心優しい少女を思い浮かべる。ニシノフラワーに会ったら礼を言わねば。あの子のことだ、きっと今日も朝から花壇の世話をしているのだろう。


◆  ◆  ◆


桜の花弁が餡に入った桜餅を堪能しながら花見をしたあと、エアグルーヴたちは裏山を降りた。ちなみに帰りはエアグルーヴが先導を務め、その甲斐あって無事に登校時間内に戻ることができた。
通りがかる生徒たちがエアグルーヴを見かけるたびに足を止め、「おめでとうございます!」とお辞儀をして去っていく。少しばかり面映ゆく思いながらも、エアグルーヴも心を込めて感謝を返す。
山を下りたあとに花壇へ向かえば、予想通り水やりをしていたニシノフラワーに遭遇することができた。美味しかったと桜餅の礼を言えば照れたような笑顔を見せて、今の彼女たちと同じように祝いの言葉を贈ってくれた。それを思い出して、エアグルーヴは目元を和ませる。
「エアグルーヴ先輩!」
「すみません。少しだけお時間いいですか?」
その時、廊下からぱたぱたと忙しない足音が聞こえてきた。振り返れば、顔なじみの二人がエアグルーヴのもとに駆け寄ってくるところだった。
「スカーレットとドーベルか。どうした?」
自分によく懐いてくれている後輩たちに、エアグルーヴは軽く微笑んで尋ねる。彼女たちは互いに目線で合図をするように頷くと、メジロドーベルが後ろに回していた腕をずい、と前に出した。
「これを、先輩に。お誕生日おめでとうございます……!」
「おめでとうございます! アタシたち、みんなの代表で……エアグルーヴ先輩にお世話になってる全員で、これを作ったんです」
ドーベルとダイワスカーレットが口々にそう言って、黄色いカーネーションをエアグルーヴに差し出す。淡い青の不織布に包まれた花束が、彼女たちの尻尾と一緒に小さく揺れる。その時、ふわりと甘い香りが鼻先を掠めた。
「いい香りがする……ドーベルのアロマオイルか?」
「あ、そうなんです。造花に少し、セージのアロマを垂らしたので……アタシたちの意思を『尊重』しながら、たくさんの『知恵』を授けてくれた、先輩を思って」
「ですね! そしてそんなエアグルーヴ先輩を『いつか越えるため』に……アタシたちからの感謝と、決意表明です」
「……そうか」
真っ直ぐに見つめる二対の瞳。そこに揺るぎない強さを感じて、エアグルーヴはふっと目を細める。
「お前たちの意思共々、喜んで受け取ろう。だが、そう簡単に越えさせてやるつもりはないぞ? ドーベルも、二度目はないと思え」
「もちろんです! もっともっと成長して、絶対1番とってみせますから!」
「望むところです。そんな先輩だからこそ、憧れてやまないんですから。だから、これからもよろしくお願いします」
礼儀正しく、それでいて勝気な顔をしてしっかりと頷いてみせる。その様子に、エアグルーヴはさらに笑みを深めた。
「あ! エアグルーヴいたー!」
突如、よく通る甲高い声が廊下に響いた。耳が先に声のした方向に傾き、次いで視線が動く。たったったっと軽い足音と共に、小柄な少女が笑顔で手を振っていた。
しかし近寄ってきて早々、トウカイテイオーは「うえっ」と妙な声を上げて眉を下げる。
「お花かぶちゃったか〜! カーネーションはボクだけだと思ってたのになあ……」
そう呟いた彼女の手には、一輪のピンクのカーネーションがラッピングされていた。あからさまにがっかりと肩を落とすテイオーに、ドーベルとスカーレットは苦笑する。
「大丈夫よ。花言葉の意味は全然違うから」
「っていうかそれ、エアグルーヴ先輩宛てだったんだ。てっきりテイオーのママさんに送ってあげるのかと思ってたわ」
「え? 逆だよ逆! これはボクん家から送ってもらったの!」
「は……?」
何故花を買うのに家を介する必要があるのか。理解の追いつかないエアグルーヴの傍らで、ドーベルだけは得心がいった様子で頷いた。
「そっか……テイオーの家にもいるんだ、庭師さん」
「うん! こないだ電話してお願いしてね、母の日用に育ててた花を一本分けてもらったんだ」
「やっぱりこの時期はどこの家もそうなんだ。アタシたちも毎年母の日はそれやってるよ。そういえば頼んで育ててもらってる花、どうなってるかな……?」
さも当然のようにそんな会話を交わす二人に、エアグルーヴとスカーレットは顔を見合わせた。
「そういえばテイオーのお家って、使用人さんがいるくらい大きなお屋敷なんでしたっけ……」
「そうだったな……日頃の態度で忘れがちだが……」
メジロ家のご令嬢やファインモーションと比べて、テイオーはかなり庶民慣れしているためだろう。だからこそ時折垣間見せる、およそ一般家庭ではあり得ないスケールの大きさにいちいち驚いてしまう。
この世間のどこに昆虫採集やゲームセンターに夢中になっているご令嬢がいるだろうか。いや確かに日々ラーメン巡りを楽しむご令嬢もスイーツが関わると我を忘れてメニューを制覇するご令嬢も筋肉に並々ならぬ熱意を見せるご令嬢もここにはいるが。しかもそのうちの一名は王族である。
「ってことで、はいこれ! 誕生日おめでとう!」
「あ、ああ、ありがとう」
思わず遠い目をしてそんな詮無いことを考えているうちに、ピンクのカーネーションをぽんと手渡された。
「にしし! いつもありがとね、お母さん!」
「誰がお母さんだ! まったく……感謝だけは受け取っておこう」
からかいまじりの祝いの言葉に反論しつつ、エアグルーヴは透明なフィルムに包まれた一輪を丁寧に受け取る。呼び方はさておき、わざわざ家から調達してきた心遣いは純粋に嬉しかった。
「ところでさ、エアグルーヴが持ってるその枝、なに?」
「あ、アタシもちょっと気になってました。何ですか、それ?」
「枝というか、実ですか? ……あれ? そういえば今朝、それと同じものを教室で見たような……」
「ああ……つい先ほど、フクキタルにもらってな。ツルウメモドキの造花だ」
花言葉は『真実』、『大器晩成』、そして『開運』である。
肩を竦めて解説すれば、かわいい後輩たちは呆れたような眼差しで朱色の実が連なる枝を見つめ、マチカネフクキタルらしい、と苦笑いをこぼしたのだった。


◆  ◆  ◆


昼休みになって生徒会室に向かう頃には、プレゼントは教室のロッカーには収まりきらないほどの量になっていた。道行く先でも多くの生徒から祝いの言葉や品をもらいつつ、エアグルーヴは贈り物を抱えて生徒会室へと歩いていく。
今日はヒシアマゾンから弁当がある。折角ならゆっくりと楽しんで味わいたい。それには昼食時間は比較的静かな生徒会室が最適だった。
それに今朝は朝のルーティンができなかった。その分の生徒会業務も行おうと思ったのだ。
もしかしたら既に終わっているやもしれんが、と廊下を歩きながらエアグルーヴは半眼になる。脳裏によぎるのは無論、三日月型の白い前髪だ。
紙袋の向こうに生徒会室の表札を見つけ、近付いてドアをノックする。「どうぞ」と聞き慣れた声色に失礼します、と断ってから扉を開ければ、ちょうど執務席から立ち上がるシンボリルドルフがいた。
「おっと、間に合わなかったか。ドアを開けようと思ったのだが」
「お気遣いいただきありがとうございます。この程度でしたら問題ありません」
机に手をついたまま苦笑するルドルフに、エアグルーヴは笑みを返して扉を閉める。自分がプレゼントを抱えてくることを予測していたらしい。
毎年のことであるから、当然といえば当然か。余談だがルドルフの誕生日の場合は、生徒会室前がプレゼントの山になるのが恒例である。
「例年に漏れず大量だな。君の徳高望重(とくこうぼうじゅう)ぶりが窺えるというものだ」
「ええ……本当にありがたく思います」
祝いの言葉や贈り物は、エアグルーヴへの信頼や敬愛の表れだ。彼女らの笑顔と花と、そして花言葉が雄弁に物語っていた。
ルドルフが折り畳み式のテーブル──書類が机に積みきれないほどの多忙期に活用しているものだ──を設置する。彼女の気遣いに礼を言いながら、抱えていたプレゼントをテーブルに置いた。
ドーベルたちが気を利かせて用意してくれた大きい紙袋の中を眺め、エアグルーヴはそっと頬を緩ませる。
HR前、クラスメイト全員から祝いの言葉を貰い、クラスの代表としてナリタトップロードから小さな袋いっぱいのアサガオの種をもらった。さらには育て場所まで確保したのだという。問題児の多いエアグルーヴのクラスを上手くまとめている彼女は、エアグルーヴ相手にも気配りの鬼を遺憾なく発揮したのだった。
そして同じくクラスメイトのビワハヤヒデからは、カモミールの種をもらった。アサガオはクラス全員からではないのかと不思議に思って尋ねれば、これはブライアンと合わせての祝いだと彼女は言った。
せっついたのはビワハヤヒデだが、種を選んだのはブライアンだと知ったときは驚いた。選んだ理由は「茶になると話していたから」だそうで、意外と話を聞いているのだなと妙に感心してしまった。
休み時間の合間には担当トレーナーと出くわした。おめでとうと祝いの言葉のあと、貴方宛てにファンレターがたくさん届いているわと嬉しそうに知らせてきた。そして、おそらくトレーナーも何かしら用意をしているのだろう。口も煩いが顔も喧しい人間なのですぐにわかる。
「バレンタイン同様、量が多すぎるのは困りものですが……彼女らの期待に応えねばと、より強く決意を抱かせてくれますから」
もらい受けた贈り物を、これからもらい受けるであろうそれらを思い、エアグルーヴは穏やかに目を細める。
その想いがエアグルーヴの糧となり、前へと駆ける力になる。時に重くのしかかることもあれど、いつだってそれらは先を目指す自分の背を押してくれた。
「そうだな……その気持ちは、私もよくわかる」
エアグルーヴの傍に並んで、ルドルフは噛み締めるように呟く。ちらと視線を向ければ、その横顔には綺麗な弧が描かれていた。
「そして、そのような君だからこそ誕生日を祝福したいという、生徒たちの気持ちも同様にね」
あたたかな光を湛えた紅梅の瞳が、ふいにこちらを向く。そしてエアグルーヴが向き直り、何か口にするよりも早く、目の前に青と紫の花弁が現れた。
「我が同志にして、誇らしき右腕。秀外恵中である君が、この日に生まれたことへの感謝を込めて、これを」
そう言ったルドルフの手には、一本の青いバラとそれらを囲むように紫のバラたちが、透明なフィルムの中で束ねられていた。
五本のバラを恭しく差し出したまま、ルドルフは柔らかく微笑む。
「誕生日おめでとう、エアグルーヴ。君と出会えたこと、心の底から喜ばしく思うよ」
その言葉通り、喜色に溢れた眼差しを注がれ、エアグルーヴはぐっと息を詰めた。
ルドルフは、エアグルーヴが母と同様に尊敬する相手だ。そんな彼女からの掛け値なしの賛辞と信頼が、嬉しくないわけがない。
舞い上がりそうになる己を何とか宥めて、息を静かに吐き出す。
「……ありがとうございます、会長」
ゆっくりとまばたきをしてから、エアグルーヴは寒色の花束を受け取った。下部に巻かれた青と黄のリボンを指先で撫で、鎮めきれなかった喜びが唇にじわりと滲む。
「あなたから青いバラ、ですか。であれば、絶対を見せなければいけませんね」
そして瞳を不敵にきらめかせて前を向けば、ルドルフはくすりと笑みをこぼした。
「ああ、是非とも見せてくれ。君ならば絶対に夢を叶えることが可能だと、信じているからね」
赤紫の双眸が真っ直ぐな信頼をエアグルーヴに向ける。自分と同じく果てなき理想を志した彼女からの太鼓判は、エアグルーヴの胸の内にさらなる自信と決意をみなぎらせた。
それにしても、とルドルフは笑んだまま眉を下げる。
「君が多くの生徒から贈り物をもらうと想定して、これだけに留めたが……正直、君への報恩謝徳を伝えるにはまだ足りなくてね。これは私の我が儘になってしまうが、もし何か要望があれば言ってほしい。できる限り叶えよう」
いえ、と断ろうとして、エアグルーヴははたと口を閉じた。わずかに逡巡したのち、顔を上げる。
「では、早速お願いしたいことがあるのですが」
「何だろうか?」
「本日、栗東寮に私宛の荷物が届くそうです。おそらくは部屋に収まりきらないほど、大量に」
わずかに目を丸くした彼女が、ああ、と合点がいったように苦笑する。
「ファインの姉君か」
「はい。実はスズカやドーベルたちにも声を掛けていまして……よければ会長にも、その仕分けを手伝っていただきたいのです」
同じ笑みを浮かべてそう願い出る。例年通りであるならば、おそらく帰る頃には部屋を埋め尽くすほどの荷物が届いていることだろう。
「わかった。微力ながら、私も助太刀しよう」
「ありがとうございます。助かります」
迷う素振りもなしに頼もしく頷いたルドルフに、エアグルーヴは唇を綻ばせた。
気心の知れた者たちが手伝ってくれるのであれば、あの途方もなく思える作業も少しは楽しく思えるだろう。
今日は最後までとても良い一日だったと、そう母に返信を打てるほどに。

ファインに告げられた通り、夥しい数が届いた贈り物の仕分け作業が夜の栗東寮で行われた。
いったいいくらするのかと触れるのも恐ろしいような服飾品の類に辟易することもあったが、仲間たちとの共同作業は悪くなく、エアグルーヴの口元には終始笑みが浮かんでいた。
そうして彼女たちのおかげで、山のような荷物はその日のうちに仕分けて返送手配まで済ますことができたのだった。
そして余談であるが、贈り物の中にはアイルランド産のにんじんや食材も何故か大量に入っていた。結果、タイキが主催したバーベキューパーティは栗東・美穂寮生のほぼ全員が参加しても余裕があるほどに、それはそれは盛大なパーティになったのであった。



Happy Birthday ! Air Groove !

あとがき
エアグルーヴがみんなにお祝いされているところが見たかったんです。私はどうもたくさんの人に祝福される推しを見るのが好きみたいです。聞き飽きるくらいにみんなからおめでとうって言われてほしい。
お誕生日おめでとうございます!!いつだって理想のために不屈の精神で登りつめていく女帝が大好きです!

会長誕と副会長誕、どっちも書いてみたら思った以上に二人それぞれ違った話になって面白かったです。誰かが手を引っ張らないとなかなかみんなの輪の中に入ろうとしない会長。誰かしらがやって来たり自分から声を掛けたりしてるうちに気付けば輪の中心にいる副会長。そんな印象。



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