五年分の想いを抱えて…
微精霊達の声が聴こえる。同時に、僅かばかりのマナの増加を感じた。
抜けるほど青い大空。以前とは違い、一面に生い茂り、生命の息吹をありありと主張する大地。幾つも重なりあった巨大な輪はなく、その代わり巨大な大樹が地面を大きな根を張り、壮大な雰囲気を醸し出している。
世精ノ途。精霊たちの間では、そう呼ばれていた。
その中で一人佇んでいた精霊―――ミラは、端正な顔をふ、と緩ませた。
新たな微精霊が誕生したのだ。
「ミュゼ、お前も感じただろう?………ミュゼ?」
もう一度自分の姉にあたる大精霊の名を呼び、振り向く。いない。
はて、とミラは首を傾げる。
「珍しいな…。あいつが何も言わず、私の傍を離れるなんて…」
出会った当初は全くと言っていいほど……というか、自分を対等として見ていなかった……いや、敵として死闘を繰り広げるくらい仲違いしていた。当初はほぼ初対面であり、仲違いも何もないのだろうが、適当な言葉が見つからなかったのでそういう事にしておいた。だが、ミラが正式にマクスウェルとなった時、一人で生きることに絶望していた彼女に手を差し伸べ、初めて彼女はミラをミラとして見てくれるようになった。
それ以来、ミュゼはかなりミラを慕っている。しかし、それはそれで今のところ少々問題が起こっているのだが。
長年ミラに付き添っていた四大精霊のうち、地を司る大精霊―――ノームが、あまりにもミラにべったりなミュゼに対して、相当機嫌を損ねてしまっているのだ。ちなみにその不機嫌で、世界のどこかで地割れやら地震やら地響きやらが発生していたりする。精霊界ならば自分が対処できるが、困ったことに人間界だとそうはいかない。さらに、そのノームの不機嫌っぷりに我慢しろと注意したイフリートが、そっぽ向いて無視された事にキレて火山が活性化。更に追い討ちとばかりにウンディーネが口ではなく力で黙らせて………一度人間の姿をとって旅をした身として、リーゼ・マクシアとエレンピオスの人々には同情はしている。一応不本意ではあるが原因は自分のようなので大変申し訳なかったが、注意しても度々起こるのでどうしようもないのだ。
そういえば、四大の姿も見えない。いつもはミラの傍でうるさいくらいお小言を言ってくるのだが、一体彼らは何処に行ってしまったのだろうか。
「……まぁ、いいか」
彼らにだって自分の時間というものが欲しいときだってあるだろう。
そう納得して、ミラはおもむろに手を前にかざす。すると、さざ波のような音と共に、何もない空間からやや大きめな封筒が現れた。紙が風化しないようにと、シルフが作ってくれた風の箱だ。そこにウンディーネが薄い水の膜を張り、上手く景色と同調させている。
何十と重なるその束を、ミラは嬉しそうに見つめ、目を細めた。そのまま静かに地に降ろし、一番新しい手前の封筒に手をかける。中に入っているのは、数枚の紙。かつて旅を共にした仲間達の、彼女に向けてのメッセージ。最初の手紙は受け取ることができなかった。いくら霊力野が発達している鳥とはいえ、自力で精霊界に来るのは、天に召されでもしない限りと流石に無理である。
今ここに、この封筒の束があるのは、一重にミュゼのおかげ。
あの見た目おっとりとした印象を持つ女性は、時空や次元を操る能力を司っている。一度、ふとシルフモドキの事を思い出し、そのことを彼女達に話したら、「なら、今度は私が迎え入れてあげるわ」と笑顔で告げられ、それが来た瞬間世精ノ途と人間界をその力で繋げるという大変便利な技を披露してくれたのだ。それ以降は、定期的に送られてくるそれをありがたく受け取っている。
封筒から紙を取り出す。カサ、と紙の擦れる音が静かに響いた。
シンプルな紙に無骨な文字。これはアルヴィンの手紙。
可愛らしい模様の描かれた便箋と、毎回添え付けられている押し花のプレゼント。それに、ガタガタで読みにくい文字は、エリーゼとティポから。
流れるような美しい字体。それをさらに引き立てるような繊細な模様の便箋。流石はローエンと言うべきか。
お世辞にも綺麗とは言えない字体、それに手描きのイラストが施されているのはレイアだ。
各々が語る近状を、ミラは何度も読み返していた。自然と口端が吊り上がり、心が穏やかに凪いでいく。眼を閉じれば、仲間達の姿と声が頭の中で映し出される。
当然だが、五年前と同じ姿で。
成長した彼らを、彼女は見たことはないのだ。
そのことを残念だと思いつつ、ミラはレイアの手紙をめくる。次に現れたのは、他のものよりシワが刻まれ、よれてしまった紙。
猫のように大きな瞳が先程より慈しみに満ちた色を宿し、ほんの少しだけ、揺れる。
丸みを帯びた、丁寧な文字。
それが過去の映像を、思い出させる。
浮かび上がる、あどけない少年の笑み。
少し癖のついた黒髪。
自分よりも大きな掌。
琥珀色に輝く、意志の宿った……―――。
「―――――ラ、ミラ!」
「―――っ?!」
ぱちん、と仲間達の姿が泡のように消える。同時に視界が開き、いつもと変わらない景色が広がっていた。
少しだけ落胆している自分を無理矢理黙殺して、名を呼んだ主の方に視線を向ける。
「あ、ああ…ミュゼか……」
「もう、何回呼んでも気付かないんだから」
不満げに睨んでくる姉にすまない、と謝罪した。
ミュゼは視線を落とす。それがどこに注いでいるのかわかったミラは、笑いながら紙を小さく掲げた。
「これを読んでいると、つい懐かしくなってしまってな」
「………そう」
心なしか、ミュゼの顔に険しさが現れた。何か気に障ることでも言っただろうか。
ミラも少々困った表情になる。
「どうしたんだ、ミュゼ。言いたいことがあるなら言ってくれ」
「なら……ミラ。貴女は今、幸せ?」
「幸せ…?」
予想外の質問だった。一瞬キョトンとして、それから腕を組んで考える。
微精霊の気配も増えた。減少傾向にあったマナが、段々とその勢いを無くしてきている。リーゼ・マクシアとエレンピオスの争いも、今のところはない。
「……そうだな。どちらの世界も平和。それはとても、幸せなことだな」
それもこれも、ジュード達の……精霊のことを重んじてくれている人々のおかげだ。
そう言って、微笑む。
だが、ミュゼの顔に浮かんだのは納得の表情ではなく、悲しみや憂い、悔しさなどが入り混じった、複雑な表情だった。
「ミュゼ……?」
「ミラ、あなた自覚してる?」
何を、とは言えなかった。
言う前に、彼女に指摘された。
「彼らの……それとも、”彼”かしらね…。それに関わる話をする度、泣きそうな顔になっているのよ?」
「――?!」
目を瞠るミラに、やっぱり、と呆れ混じりの声が飛ぶ。
「そんな泣き笑いの顔をされて、どうしたらあなたが幸せだなんて安心できるの?」
―――……泣き笑い?
誰が?私が?
“彼”の事を話す度に?
なら、彼とは………?
『―――ミラ、』
「あ……」
脳裏に浮かぶ、優しい笑顔。眉を下げ、癖なのか首を少しだけ傾けて笑う、黒髪の。
夜空を切り取って布にしたような服を身に纏い、見た目とは裏腹に素早くも力強い姿で拳を振い。
いつでも隣で支えてくれていた、自身が唯一、嫌われることを心の底恐れた、少年。
「ほら、また泣きそうな顔」
私が苛めているみたいじゃない、とミュゼは苦笑する。謝りたいが、喉に何かが詰まったような感覚に声が出せず、仕方なく首だけ横に振った。
「………会いたいのでしょう?」
真剣な声でミュゼは言った。
暫しの沈黙の後、ミラはこくりと頷く。
「………ああ、会いたい」
呟く。声を堰き止めていたのは、この言葉だったのだと気付く。
「会いたい……会いたいんだ…っ…」
押さえていた感情の、なけなしの枷を外す。
初めての恋だった。初めて、愛というものを知った。
それを教えてくれたのは、君。その君には、もう会えない……君に、私は見えない。
「マクスウェルとなった事は、後悔していない。寧ろ、誇りに思っている。……だが、」
この胸からせり上がってくるものは何なのだろうか。
溢れる想いが、零れる涙が止まらない。
「忘れるだろうとは、思っていない。忘れたいなどと、思っていない」
今日も昨日も、きっと明日も。どうしようもなく君に、想い馳せて。ずっとずっと、色褪せなどはしない、この、感情。
「ただ、思い出に変えていければ………懐かしいと、思えるものになれば……」
少しはこの、彼を思う度、胸をきつく締め付けられるような、細い針に刺されるような、そんな痛みを伴わなくなるだろうと。
笑って思い出せる、心穏やかなまま、自分の大切な人なんだと。
時が過ぎればそうなっていくものだと思っていた。自然と、心の空虚な穴が埋まっていくものだと、そう思っていたのに。
「あれから五年、経ったんだ」
その歳月は、空いた穴は塞ぐことはおろか、飽和しきれない想いを閉じ込めるために広がっていくだけに終わった。裂けた傷口から零れる血液のように流れ続ける感情を、消し去る術も、留める術も、ミラは知らない。
共にいたのは、人でさえほんのひと時の時間。人間として生きた20年の中の、ほんの一瞬。
それでも生涯で一番、心豊かな日々を過ごした、あの日々。
「傍にいてくれるのが当たり前で、名を呼んでくれるのが、いつの間にか当たり前になっていて……」
同じ未来を描いて、信じて、だからこそ自分達は、別れの道を選んだ。
決意したことだった。覚悟して、選択した道だった。
―――なのに、
「まだ、慣れないんだ……」
彼が………ジュード傍らにいない、今の日々が。
世精ノ途に、小さな嗚咽が静かに響く。主の悲しみに、生まれて間もない微精霊たちが彼女を気遣うように周りを飛び交う。泣きやまない彼女に、慰める術を知らない彼らはおろおろと困惑するばかりだ。
心底困り果てて、傍にいる大精霊を見るが、意外にも彼女は優しげな、それでいて寂しげな笑みを浮かべていた。
―――……?
何故、主は泣いているのだろう。何故、彼女はそんな表情をしているのだろう。
訳がわからず、微精霊同士でコソコソと囁き合う。
――――その刹那、
「ミラに何してるでしかぁぁぁぁぁ!!!」
「「!!?」」
彼らの話し合いは解決策を見出すことはできず、すぐさま中断を余儀なくされた。
原因は、突如ものすごい勢いでミュゼに突進してきた輪っかのついた岩の球。
それに気付いたミュゼは、間一髪のところで防御壁を築き、それを弾き返す。あの怒声がなかったら直撃していたことだろう。そう思うと僅かに背筋が寒くなった。
「………ノーム、いきなり何をするのかしら?」
常よりトーンの下がった声で、ミュゼは球体に乗った動物に尋ねる。その冷ややかな空気に、微精霊たちは怯えてミラの後ろに隠れた。
対する地の大精霊は、そんなことなどお構いなしに憤慨していた。
「ミュゼこそ、何でミラ泣かせてるんでし!そんなこと頼んでないでし!」
いつもはぺたんと垂れている耳が上下に激しく動いている。こんなに怒ったノームを見たのは初めてであったが、やはり迫力に欠けるなとミラは頭の隅で思う。
「僕たちはミラの本音が聞きたかただけでし!こんなことになるなら僕が行けば良かたでし!」
「私だって好きでミラを泣かせたわけではないわ!どうせあなたがやっても同じことよ」
「そんなことないでしー!」
突然勃発した言い争いに、ミラは流した涙も忘れて唖然とした。もう幼いとは言えない―――何せ内一方は数千数百年単位だ―――の二人が、何とも子供っぽい喧嘩をするとは何事か。
しかし、その幼い口喧嘩はまだまだ続く。
大体ミュゼはいつもいつもミラにくつき過ぎなんでし、あらあなただって人の事言えないのではなくて?、ミュゼがずとべたべたしてるから僕と遊んでくれる時間が減てるんでし僕の時間を返せでし!、そしたら私の時間が減るじゃない、そんなの理由にならないでしぃ!!………最早ベクトルがずれた争いになっている。
我に帰り、とりあえず(世界の平和のために)止めなければと思った矢先、自身の周囲に風の結界が生じた。
次いでちゃぷ、と液体が揺れる音。
あ、これは、と思った瞬間、自分達の周囲に影が掛かかる。
「二人とも、いい加減になさい」
呆れを含んだ女性の声が聞こえたかと思うと、ザッパーーン!、と勢いよく頭上から大量の水が降ってきた。当然、睨み合っていた彼らはずぶ濡れ。宙に浮いていたノームは水圧で地に伏し、ミュゼは不意の攻撃に声を出す間もなく膝をついた。
結界に守られ無事だったミラは、対象がミュゼだったこといがは見慣れた光景だったのでさして気にせず、視線を上へと向けた。
「お前たち……」
見上げた視線の先には、各々の元素を司る大精霊の姿。
生まれた頃からずっと、共に過ごした朋友。
「ったく、泣くくらいなら、最初っから言えよなー。ミラの頭って、イフリート並にカッチカチだよね」
勝気そうな眼に、小生意気な口調。風の大精霊シルフは、ふわりとミラの前へと移動した。
「あら、イフリートよりかは柔軟性がありますよ」
笑顔でさらりとさり気なく返した女性の名はウンディーネ。先程大量の水をぶちかました張本人である。
その言葉に炎を身に纏った大精霊は不服そうな顔をしたが、反論を返すことはなかった。口では彼女に勝てない、ということなのだろう。
「一体、どこに行っていたんだ?」
今の今まで不在だった理由を尋ねると、三人は意味深な笑みを浮かべた。イフリートは雰囲気で読み取るしかないのだが、そこは長年の付き合いからさして難しい事ではなかった。
「ああ、ちょっとね」
悪戯を企んでいるような笑みのまま、シルフは言った。
「…ここ最近、その言葉ばかりを聞くんだが……私には言えないことなのか?」
少々用事が、野暮用が。半年以上前から、何をしていたんだと尋ねればそのような曖昧な台詞を返され、別段深刻そうな顔をしていなかったこともあってか、ミラは彼らの行動の意味を聞けずにいた。だが、こうも長い間隠されていと、少々の不満も生じてくる。言うなれば水臭い、というやつだ。
自然、口を尖らせてしまっていたのだろう。ミラを見てウンディーネが慈愛に満ちた眼差しをしていた。
「ええ、そうでしたね。…今日までは」
「今日まで…?」
「ほら、二人ともいつまで伸びてんのさ。さっさと起きなよ」
ヒュ、と空気を震わせる音が聞こえたかと思うと、ノームとミュゼに張り付いていた水気が一瞬で弾き飛んだ。ばつの悪そうな顔で、二人はのろのろと立ち上がる。
「どういう意味だ?」
「そのまんまの意味だよ」
質問したらそのまま返された。わからないから聞いているというのに、と思いミラは顔をしかめる。
顔に出ていたのだろう、彼女を見て一同が可笑しそうに口の端を上げる。良くも悪くも、ミラは素直で正直者で、旅の最中も思ったことをそのまま歯に衣着せぬ状態で言ってしまうものだから、仲間たちは度々肝を冷やしたものだった。当の本人である彼女自身が気付くことはなかったが。
起き上がったミュゼがミラに近付く。微笑み、しかし真剣みを帯びた表情で、ミラ、と呼ぶ。
「私ね、あなたの事が大好きなの」
「僕の方がもっと大好きで――」
ミュゼの後に負けじと続けたノームの言葉は、突風と共に飛ばされた。数メートルほど吹っ飛ばされたノームはドス、と鈍い音を立てて地面にめり込んだ。流石大地の化身。見た目を裏切っての重さである。
「話が進まなくなるから黙ってなよ、ノーム」
「だ、だて…」
「ノーム、もう一度水を浴びたいのですか?」
笑顔である筈なのに纏う空気が違うウンディーネに、彼女を黒匣よりも怖いと評しているノームは慌てて口を噤むしかない。微精霊たちはいつの間にやらどこかへ避難したようだ。とりあえず静かになったところでイフリートが続けろ、とミュゼを促す。
「それでね、大好きなミラには、幸せになってもらいたいの」
だから、と。彼女はミラの手を握る。
「私もマクスウェルになろうかと思うの」
「……………は?」
ミュゼの言葉をしっかりと聞き、反芻してようやっと理解した所で思わず漏れた疑問符。穏やかな微笑みで告げられたことは、しかしミラの予想の範疇を超えていた。
「私がマクスウェルになって精霊界を見守っていけば、ミラも安心して人間界へ行けるでしょう?」
「それは…」
「それとも一度過ちを犯した私では信用できない?」
「いや、そういう訳ではなくて…」
「なら、いいでしょう?じゃあ、早速彼らと契約を…」
「いや、待て!……ミュゼ、とりあえず待ってくれ」
こちらの意見をほとんど聞かず、とんとんと話を進めるミュゼに慌ててストップをかける。背後で押され気味のミラってめずらしー、という声が聞こえた。同意する声も含めてこの際無視だ。
一呼吸して、ミラは再び口を開く。
「それは、私に使命を放り出せと言っているのか?だったらその話は却下だ」
「あら、誰がそんなこと言ったの?」
「……そういう意味ではないのか?」
それぞれ別の意味合いで二人は首を傾げる。話が読めない。
助けを求めるようにウンディーネに視線を投げる。聡明な顔をした彼女は先程と変わらず、しかし朗らかな雰囲気を纏った笑みで答える。
「ミュゼは、ミラと二人でこの世界を守りたいと言っているのです」
「二人で……だが、マクスウェルは、」
「マクスウェルが一人じゃないとダメだなんて、誰が決めたのさ」
無茶苦茶な、だが正論であるとも言える。世界が生まれたその頃から、マクスウェルは世界を統べ、世界で生きる者を見守り、時を重ねてきた。その存在は常に一人であり、ミラのような魂の一部を与えられたような者を作ることの方が異例であった。しかし、それはただ一人だけだったという事実。それが当たり前だと思い込むにはその積み重なった歴史だけで充分だった。
「う、うむ…言われてみればそうだが……」
丸めこまれた気がして仕方ないのはどうしてだろうか。その疑問に答えるものは、シルフの意見に同意するものしかいない為この場にいなかった。
それに、とシルフは付け加える。
「一体、君といつからの付き合いだと思ってるのさ」
「俺たちがお前の思うところを、見誤る筈がないだろう」
「ええ、それは少し私達の事を見くびっていますよ」
イフリートとウンディーネが微笑しつつ告げる。
ミラはやや面食らい、そして胸の内をくすぐられるような感覚を覚える。確かに、ミラの生涯で最も付き合いの長いのは彼らが、恐らく誰よりも彼女の事を理解しているのだろう。人間の概念からすれば、きっと家族のような存在。彼女の理解者で、保護者で、朋友でもある彼らにとって、それは少々心外であったようだ。
「ああ、そうだったな。…なら、こういうことか?」
私とミュゼ。二人がマクスウェルとなり、一人は精霊界を、一人は人間界を守っていく。
そして私は人間界に向かい、ついでにジュードや他の皆に会ってこい、と。
ミラの推測に、全員が頷く。
それ程あからさまに落ち込んでいたのだろうか。それとも彼らの観察眼が鋭いだけなのか。あるいは両方なのかもしれない。
思わず苦笑いを零す。使命と願い。それがどちらとも叶うのなら、叶えたい。
だが、それを叶えるには、どうしても必要なモノがあって……。
「それに、そのためにミラの眼を盗んでコツコツと頑張ってきたのだから」
「私の眼を盗んで……?」
ミラは首を傾げる。彼女に知られないように……ということは、先程の曖昧にされた返答に関わりがあるのだろうか。
「ノーム」
球体に乗った精霊は、その言葉でコクリと頷き、地中から何かを取りだした。岩の壁がその周りを覆っており、中は見ることができない。
「これは…?」
それを叶えるためには、どうしても必要なモノがあって。
ぼろぼろと、壁が崩れる。岩の壁はさっきまでの硬そうな形状が嘘のように、石となり砂となり、土に帰っていく。
そして崩壊した壁から現れたのは、一人の女性。
「なっ…?!」
でもそれは、どうしたって手に入らないモノで。
ふわりとした蜜色の髪。動きやすさを重視した服。白く細い、しなやかな肢体。瞼に隠された瞳は、恐らく紅赤。
だから、ミラは諦めていた。彼に会うことを。
ミラ=マクスウェルの……人間としての身体を。
「ミラの身体を治すの、中々大変だたんでしよ?」
これ以上ないほど目を見開くミラに、嬉しそうにノームが話し掛ける。
「ああ。流石の俺たちでも幾月もの時間を費やす程だった」
厳かな、硬い口調で語るイフリート。しかし、そこには優しさが含まれていることがわかる。
「これなら、人間に会いに行けるだろ?」
頭の後ろで手を組み、どうだと言わんばかりにシルフが笑う。
「お前たち……」
呆然と、震える声でミラが呟く。そんな彼女を、母のような慈愛に満ちた微笑みで抱き締める女性。
ふいに、ミラは何故だかどうしようもなく泣きたくなった。
「本音を言いますと、彼にあなたを取られてしまうのが嫌で、ミュゼの案にはあまり乗り気はしませんでした」
でも、と動物のような姿をした精霊が球体の輪をがらんと地に落としながら話す。
「手紙を読んで、あんな悲しそうな顔をしてるミラを見たら……」
「ここに引きとめるのは、俺たちの利己的なものでしかないと気付いたんだ」
「一番ごねてたあんたが何言ってんのさ」
ノームの言葉を引き継いだイフリートに、シルフの容赦ないツッコミが入る。意外そうにミラが彼に視線を向けると、言葉に詰まった彼が気まずそうに眼を逸らした。そんな彼の代わりに、ウンディーネがくすくすと笑いながら口を開く。
「皆、あなたの事が大切で仕方がないのですよ。故に……ミラ。私達はあなたの幸せを願おうと思います」
「……っ…」
鼻の奥がツンとする。目頭が熱い。ミュゼに本音を漏らしたときと同じ症状。だが、それに伴う感情が、顔に浮かぶ表情が違っていた。
ああ、これが嬉し泣きというやつか、と実感する。
「ああもう、折角久しぶりに会うってのに、そんな顔じゃ台無しじゃないか」
シルフがウンディーネに抱かれたミラの前に手をかざす。優しい風が、彼女の頬を撫で、伝う雫を拭っていく。
「君は女の子なんだから、おめかしぐらいしろって」
5年前、旅達の際に言われた言葉。懐かしい、と思った。
「あら、ミラはそのままでも充分綺麗で可愛いわ」
「でし!」
「うっさいミラバカども」
彼らのそんなやりとりに、ミラは泣いているにもかかわらず笑ってしまった。
「ああもう、本当、に……」
お前たちには敵わないよ……――――。
◆ ◆ ◆
青い、青い空を駆け抜ける。わたあめのような白い雲を避け、時々突っ切って身体を濡らし、シルフと共に目的地へと向かう。この心地よい浮遊感も久しぶりだ。
「…ふふ……」
「何さ、いきなり笑いだして」
「ん?ああ…先程の事を思い出してな……」
――――――『あ、転生する間はちゃんと私達を優先してね』
『人間の器でも、あなたがマクスウェルである事は変わりないのですからね。いつでも呼んでくださって構わないのですよ』
『そうでし!呼んでくれないと拗ねるでしよ!』
『……何かあったら、いつでも戻ってきていいんだぞ』
そう言って自分を送り出してくれた四大たち。最後までノームとミュゼが抱きついて離れなかったのには苦労したが、最後は皆で「いってらっしゃい」と言ってくれた。
「私は本当に恵まれていると思ってな…」
「あったりまえじゃん。今更気付いたの?」
人を小馬鹿にしたような口調に、とうに聞き慣れたいたミラは怒ることもせずいや、と首を振った。
「どちらかというと、心底実感した感じだな」
「……ふぅん…」
相槌のみであったならそっけないと思っただろう。だが、ちらちと横目で見た精霊の顔は、満足そうな顔で微笑していた。
「さってと、そろそろだよ。いきなり街中に移動させたら流石に目立つから、前みたいにその付近で落とすよ」
「ああ、頼む」
――――ミラ……
「……?」
「どうしたの?」
「……いや…」
突然辺りを見回すミラに、シルフが首を傾げて尋ねてくるが、彼女はすぐに頭を振って何でもないと続けた。
気のせいだろうか。今、彼の…ジュードの声が……。
――――…会いたい……
「―――!、」
気のせいでは、ない…?
まさか、彼も思っていてくれているのだろうか。自分に会いたいと、話したいと。
あれから、五年の月日が流れた。
半永久的に生き続ける大精霊と違い、寿命の短い人間にとっては、短いとは言えないほどの時間。その間に、多く出会いを繰り返し、別れを繰り返していく。
そんな月日の中で、心揺れ動く出会いも当然ある筈で…。
彼が他の女性と恋仲になっている、という事態を、ミラは想定していない訳ではなかった。
寧ろその確率の方が高いと、客観的に判断していた。
その事実からくる痛みは計り知れないものであろうが、それでも、二度と会えないよりかは……と思っていた。
せめて、彼が見ることのできる身体で、触れることのできる身体で。苦楽を共にした仲間としてでもいい、とにかく彼に会いたかった。
―――なのに、
―――…ミラ…会いたい……会いたい、よ……
彼は……五年経った今でも、自分を好きでいてくれているのだろうか…?
「……泣くな」
自分一人しか聞こえないような声で、呟く。
自然と零れた言の葉。だって、声が震えているから。
「泣くな…泣かないでくれ……」
ジュード。
彼が、自分を思って泣いてくれている。
何故だろう、自分が原因で泣いているのだというのに。
そのことが、どうしようもなく嬉しい。
「私も…早く会いたいよ……」
五年経った君はどうしているのだろうか。
気にしていた身長も伸びて、私よりも高くなっているのだろうか。
それに、源霊匣(オリジン)の研究も……君の事だから、多くの支持者を集めてより進歩させているのだろうな。
ああでも、それよりも、君の涙を止めなくては。顔も見えない位置ではなくて、真正面から向き合って、君の頬に伝う雫を払って。本当の君は泣いていないかもしれないが、きっと心では泣いているのだろうから。
そして心から笑顔を取り戻した君に、私の気持ちを伝えよう。
五年分のこの想いを抱えて、愛しい君に会いに行くよ――――。
あとがき
折角なので支部で1と2に分けていた話をひとつにまとめました。五年越しの思いを君に、のミラサイドの話。
けっこう気に入っています。特にミラ大好きなミュゼとノームのやり取りが。この時もまだTOX2が発売されていない状態で、勝手にその後のミュゼはこんな感じに拠り所を与えてくれたミラのことが大好きになってるかなぁと思いながら書いてたらTOX2でもミラ大好きになってて解釈間違ってなくてよかったなと思ったのはいい思い出。
ちなみにこの二つの話はTOXの主題歌である浜崎あゆみさんの「progress」が収録された「FIVE」というアルバムに入っていた「Why...」と「Another song」の影響を受けて書きました。テイルズもですが、浜崎さんも大好きです。
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