悪態の理由


──『シリウスは、カイチョーのこと嫌いなの?』

「……ったく、ガキのくせに、面倒なことに食いついてきやがる」
屋上で寝転がっていたシリウスシンボリは、トウカイテイオーの問いを思い出して顔をしかめた。いや、むしろ幼いからこそだろうか。どちらにしても適当やって誤魔化されるだけ可愛いものだ。
さっきまでつっかかってきていたテイオーは既にこの場にはいない。今は授業中だ。テイオーどころから誰も来やしないだろう。
見上げれば雲がちらほら浮かぶ青空。程よく風も吹いている。こんな良バ場の天気に、サボって昼寝をしない手はない。座学など適当に答えを埋めれば点は取れるものだ。
「なんつーか、昔のアイツに似てたな」
まん丸の目を吊り上げて、全身で不満を訴えてくるあの姿。事情を知りもしないくせに、いきなり核心をついてくるところもよく似ている。
ふっと口唇がゆるく吊り上がる。気付いてすぐさま笑みを消した。
クソっ、と苛立ちのままに舌打ちをする。本当にアイツの周りは面倒なヤツらばかりだ。
シリウスは仰向けのまま空を睨みつける。絶好の昼寝日和だというのに、妙に目が冴えてしまった。それもこれも元を辿ればアイツのせいだと思うと余計に眠れやしなかった。
「……好きとか嫌いとか、そういう次元の話じゃねぇんだよ」
先ほどテイオーに返した言葉を、シリウスは宙に放り投げる。シリウスの内側で渦巻いている感情は、からまりにからまってもっと複雑だ。
最も、向こうは違うようであるが。堅苦しい講釈を聞かなくても、そのくらい顔を見ればすぐわかる。
「これだから腐れ縁ってのは嫌だな」
わかりたくもないのにわかってしまう。こんなもの、捨てられるものならとっくのとうに犬にでもくれていた。
シリウスは深いため息を吐き、目を閉じた。寝転がっていればそのうち眠気がやってくるだろう。嫌なことは眠って忘れるに限る。
好き嫌いの問題ではない。
もう一度、頭の中でそう独りごちる。
そんな単純なことじゃない。単に嫌いなだけであったらどんなに楽だったか。ああ本当に面倒くさい。
知っている。向こうがシリウスと和解したいと思っていることくらい。変わった自分を理解したいのだろう。昔のように戻りたいのだろう。
そんなこと、誰に指摘されずともシリウス自身が一番よくわかっているのだ。


嫌いというなら、ガキの頃から誰かに命令されることが何よりも嫌いだった。ああしろこうしろと頭を押さえつけられ、大人たちがこぞって自分を『良い子』の型に無理やりはめ込もうとしている気がして、嫌で嫌で仕方なかった。
それでも何とか耐えて言うことを聞いていた時期もあった。だが、我慢なんてのはいつか限界がくるというものだ。
ある日を境にブツンと、緒が切れた。理不尽だ、やってられるかとブチ切れたのだ。
言うことを聞けと言われれば反発した。止めろと言われればなら止めてみせろと駆け出した。
アイツに出会ったのも、丁度それくらいの時期だ。アイツも自分と似たような境遇だった。だが、アイツはそれを平然と受け入れていた。
バカなヤツだと思った。きっと誰かに指示されなけりゃ何もできないんだろうと、シリウスはそう思っていた。
だからちょっかいを掛けた。そうしたら、想像していた性格とはかなり違っていた。
ウマ娘のくせに外でも分厚い本を読んでいるようなヤツだった。頭でっかちなヤツかと思っていたら、意外と好奇心旺盛で何にでも興味を示した。だが世間知らずで、突拍子のない発想もよく飛んできた。それがシリウスのツボにハマって、面白がって色んな遊び場へ連れ回した。
温厚そうなのは顔だけで、納得がいかなければテコでも動かない。大の大人相手でさえ不満があれば噛みついていく気性難な面も持ち合わせていた。
極めつけはレースの走りっぷりだ。ガキの頃から速かった。大人いわく"走り方"を知っていた。
そのうえ根っからの負けず嫌いときたものだ。競い合うのが楽しくてたまらなかった。

──そう、アイツは面白いヤツだったんだ。

だから誘った。海外に。アンタの爺さんみたいに色んな国を巡って、そしてレースに出ないかと。
アイツもノリ気だった。君と一緒ならどこでだって面白いレースができるだろうな。そう言って楽しそうに笑っていた。

なのに、よりにもよってシリウスが発つ直前でやはり行けないと断ってきたのだ。

叶えたい夢ができたとか、すまないとか、何か言い訳を言っていた気がする。聞きたくもなかったから覚えていなかった。
嘘吐き野郎。裏切り者。テメェなんか大嫌いだ。
とにかく思いつく限りの罵倒を投げつけた。投げつけっぱなしのまま、シリウスは海外へ飛んだ。
外国では色んなヤツらと出会った。あっちのヤツらもこっちとそう変わらない。気持ちの良いヤツもいれば、鼻につくヤツもわんさかいた。
ラフプレーギリギリのレースはスリルがあってたまらなかった。ビリヤードや賭け事も最高だった。
だが同時に、世界の壁を痛感した旅でもあった。それもそうだろう。海外のノウハウも知らないガキが、ほぼ着の身着のまま突っ込んでいったのだ。練習場だけは両親のツテでまともな場所に行けたが、それ以外は現地で見繕ってレースに挑んでいた。
要は甘く見ていたのだ。それで一着を獲れるほど、海外のレースは甘くなかった。

──そして、誰かに管理されなければレースにさえ出場できないこの競技のシステムに、言いようのない理不尽さを感じた。
トレーナー制度に疑問を感じたのだ。スカウトされなければ、公式のレースには出場できないという妙な規則に。トレーナーへの印象が悪いせいで、実力があるのにレースに出走できなかったウマ娘を、シリウスは海外で何人も見てきた。
何でコイツがレースに出れないんだと、何度憤ったかわからない。実際噛みついたこともあった。逆にスカウトされてもトレーナーが低能すぎて、そのまま故障して落ちぶれるヤツもいた。
そしてシリウスもまた、身をもってそれを経験した。誰も彼もがとやかく指示を出してきて煩わしかった。こっちが意見を言っても、土地勘のないヤツは黙ってろと言わんばかりに無視された。勝ったらあっちの手柄、負けたらこっちのせいだとふざけたことを言ってくるヤツもいた。
制度自体を恨みもした。トレーナーがいなければならない理由がてんでわからない。結局はウマ娘よりも能力の劣る人間たちが、少しでも食い扶持を稼ぐために取って付けたような職じゃないかとさえ勘ぐったほどだ。
たまったもんじゃなかった。何で自分の夢を叶えるために、ひとの手を借りなければならない。そんな規則がこの競技以外のどこにある? 他人の物差しで良し悪しを決めつけられる人生なんざクソくらえだと心底思った。

辛酸をなめつくした遠征は二年間続いた。トレーニング内容はともかく、各国を渡り歩いて自分の実力を思い知った。
だから一度、故郷に戻って鍛え直そうと決意したのだ。
トロフィーをひとつも持たずに帰ってきた自分を嘲笑うヤツらはいるだろうが、きっとアイツは笑わない。喧嘩別れをした手前会いづらいが、それでもアイツだけは味方でいてくれるだろうという信頼は二年経ってもシリウスの中にあった。
そうして戻ってきて──シリウスは帰って早々、鈍器で殴りつけられたような衝撃を受けたのだ。


「──君は相変わらず高いところが好きだな、シリウス」
ふと、頭上から穏やかな声音が聞こえた。やや呆れた、苦笑まじりの声だ。
シリウスはうっすらを瞼を開ける。寝ぼけ眼に、黄昏に染まる幼馴染みの顔がぼんやりと映った。
三日月のような前髪が揺れている。自分のそれよりも明るくて柔らかい色をした瞳が、じっと自分を見下ろしていた。
そういえばこんなこともあったか。随分と懐かしい記憶だな。
シリウスはひょいと口の端を上げる。
「……ああ、何だ、ル──」
言いかけて、シリウスはがばりと起き上がった。「うわっ」と慌てたような声がしたが知ったことではない。その程度平気で避けるに決まっている。
「……何でここにいやがる?」
「君を探している教員を、偶然見かけたのでね」
案の定軽々と衝突を回避したシンボリルドルフは、シリウスの横に座ったままそう答えた。
「今日出された課題だ。せめてこれだけでも出してくれと」
「ああそうかよ。そいつはわざわざご苦労なこった」
差し出されたプリントをひったくるようにして受け取り、シリウスはごろりと背を向ける。しかし一向に立ち去る気配がない。
「……何だ? 用がないんならさっさと消えろ。こっちはアンタの顔見るだけで気分が萎えるんだ」
「いや……久しぶりに、君が私の名を呼んでくれそうだったものだから」
「ぁあ? ついに耳でも悪くしたか?」
思わず振り返って鋭く睨みつける。ルドルフは顔色一つ変えずに、穏やかに微笑んでいた。
まるで臆する必要などないのだと言わんばかりの顔だ。シリウスはわざと聞こえるように舌打ちをして起き上がる。
「シリウス?」
「アンタが去らないなら、こっちがどくまでだ。せいぜい高みの見物でも決め込んでろよ、皇帝サマ」
立ち上がりかけたその時、ようやく表情を変えたルドルフが待ったと制止の声を掛けてきた。
「邪魔をするつもりはなかった。すまない、もう行くよ」
そう言って、シリウスの代わりに立ち上がる。シリウスは当然とばかりにまた寝転がる。こう言えば引き下がることは知っていた。
背中越しにはしごを下りる音がした。カンコンと鳴る金属音がやがてアスファルトを叩く音に代わり、扉が閉まってさらに足音が遠のいていく。
そこでようやくシリウスは、ルドルフがいた場所を振り返った。
「……本当に、退屈なヤツになっちまったな」
赤い瞳を複雑に揺らめかせ、シリウスはぼそりと独り言ちる。
気に食わなかった。あの目も、態度も、顔も、何もかもが。

二年ぶりに再会した幼馴染みは、とんでもなくつまらないヤツになっていた。
まるで別のウマ娘だ。何だアイツは。あんなヤツは知らない。本気でそう思った。
自分がどれだけ罵倒しても怒りを見せなくなった。まるで怒ることすら時間の無駄だとでも言うように。シリウスには怒りを見せる価値すらないとでもいうようなその態度が、余計にシリウスを苛立たせた。
そういう意味では、テイオーの言う通り確かに自分はルドルフのことが嫌いなのだろう。自分の知らぬ歳月で作り上げた、"皇帝"の仮面を被ったアイツが。あんなヤツを玉座に縛り続けて振り仰ぐ民衆もいけ好かなかった。
今のルドルフは、退屈でつまらない。周囲の望むとおりの顔を見せるお人形だ。
──だが。
「……違うだろ?」
なあ、とシリウスはひとり呟く。
──本当のお前は、あんな澄ました面して走るヤツじゃなかっただろ?
走ることが好きで、そのくせ誰かに前を走られることが嫌いで、追い抜くとめちゃくちゃ悔しそうな顔で差し返してきて……ギラギラした目で、楽しそうに走っていた。
そうやって感情剥き出しにして競ってただろ。昔はそうだっただろうが。
だってのに。シリウスはぎり、と歯を食いしばる。
何でなに言っても怒らない。私がどれだけ罵倒して煽っても、何で澄ました顔で流しやがる。
ふざけるなと思った。返せとも、目を覚ませとも思った。……それがアイツ自身の望んだ姿だと知った時、どれほど失望したかわからない。
あまりにも変わり果てた幼馴染みの姿に、シリウスは和解することなど頭から吹き飛んだ。
わかりあえないと、直感で気付いた。二年の歳月が、シリウスとルドルフの価値観と立場を大きく変えてしまったのだ。
そんな自分たちがわかりあえるとしたら、もうひとつしかない。
「──レースで決着をつけるしかねぇ」
最強を追い求める競技者。自分たちに残った唯一の共通点がそれだった。それだけしかなくなった。
玉座にふんぞり返っているヤツが危機感を抱くほどに強くなって、勝負を挑む。そうして退屈でつまらないあの仮面を、真正面から殴り割ってやるのだ。
シリウスは反動なしで上体を起こし、夕暮れの空を鋭く睨みつける。
本格化したウマ娘は、いつかはピークを過ぎて競技者としての生命を絶たれる。自分に残された時間はあとどれほどあるかはわからない。
だがシリウスは知っている。追い詰められたヤツが、どれほど貪欲に力を追い求めることができるのかも、また。
諦めるものか。海外制覇の夢も、玉座を奪い取ることも、全て。

シリウスにとっての”皇帝”は、絶対に倒さねばならない敵なのだ。






あとがき
9割方ねつ造です。新シナリオでシリウスの登場シーンを読んでいたらシリウスの家庭環境が気になって仕方なくなって思わず色々ねつ造してしまいました…。
会長と幼馴染でコース料理も食べ慣れてて、そのうえ学生のうちに小型飛行機免許持ってるくらいだからシリウスも裕福なお家なんだろうなと思います。そしてあのひねくれっぷりと不良チームのリーダーになってるのを見るに、大人たち(家族や教員)に相当振り回されたりかなりのところまで追い詰められた経験があったんじゃないかなと……。余談ですが飛行機免許の取得に必要な費用調べてひっくり返りました。たっっかい…。

会長が走ることが楽しいと思っていた頃にシリウスは隣で一緒に走ってたんだろうな…とか考えたらもう水と油のまんまでいいから一緒にバチボコ楽しく競走してほしい気持ちでいっぱいになりました。会長にレースを走る楽しさを一番最初に教えたのがシリウスだったらいい。いつか海外のレースにも出場できるようになったらいいな。

この話を書くにあたって史実のシリウスについて少しだけ調べましたが、媒体によって気性難だったり甘えただったりとけっこう性格がまちまちらしい、ということを知りました。
じゃあこっちのシリウスの不良のリーダーやるような見るからに気性難な性格は、何の媒体をモデルにしてるのかな?と思ったんですが、「子供のころは活発でありつつも優等生な子だったが、大人たちに(もしかしたらルドルフにも)振り回された結果グレた」っていう両方取りがアプリのシリウスなのかなぁと思いました。



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