裏側の裏の表事情


赤い提灯が吊るされた野外に、和太鼓の低い打撃音がよく響く。大きな太鼓が乗るやぐらの下では、その音色に合わせて人間もウマ娘も関係なく皆一様に陽気な顔で踊っていた。
カラコロと下駄を鳴らしながら、エアグルーヴは賑わう神社を見渡す。遠征先の夏祭りは、例年と変わらず大盛況であった。
この夏祭りには、学園の生徒たちもほぼ全員参加する。そのためこの合宿を取りまとめる生徒会役員は、神社の見回りを行うことが必然となっていた。
当然副会長であるエアグルーヴもそのローテンションメンバーに入っている。つい三十分ほど前にその任務を全うして後任へ引き継いできたところだ。
ふと、手に持っていたスマホが震えた。ロック画面に表示された名前を見て、すぐさまチャットアプリを開く。

『ありがとう。何か冷たいものがあれば食べたいな』

「冷たいもの、か……」
『わかりました』と返信を打ちながら、エアグルーヴはこれまでに見かけた屋台の品を思い出していく。といっても冷たいものに絞るならそれほど数はない。
浮かんだ選択肢は、さほど時間をかけずにラムネとかき氷の二択に絞られた。にんじんジュースでもよかったが、きっと彼女は屋台物の方が喜ぶだろう。
(そういえば、炭酸飲料を飲んでいるところをあまり見たことがないな)
炭酸水にちなんだダジャレは言っていたが。その場ですぐに気付けなかった悔しさを思い出してしまい、かすかに耳が下がる。
かくいうエアグルーヴも、正直炭酸は苦手な部類にあたる。飲めなくはないのだが、刺激の強いものは総じて好みから外れる場合が多い。
ならばかき氷にしよう。そう決めて脳内で見取り図を広げていると、すっと目の前を緑色の耳が横切った。
「何だか嬉しそうね、エアグルーヴ」
気付けばサイレンスズカが覗きこむように顔を寄せてきていて、エアグルーヴは驚きに肩を跳ねさせた。
「っ、別に嬉しそうになど……!」
「嘘。だってさっきから、スマホを見るたびに笑っているもの」
そして思いもよらぬ指摘に絶句する。一体いつから見ていたのか。
会場の熱気とは別の理由で頬に熱がのぼるのを感じて、恨みがましく親友を睨む。
「……趣味が悪いぞ、スズカ」
「ふふ、ごめんなさい。すごく楽しそうにしていたから、邪魔しちゃ悪いと思って……」
口元に手を当て、言いながらスズカはくすくすと笑う。からかうな、と言い募ろうとしたところで、背後から威勢のいい声が飛んできた。
「お待たせシマシター! オウ、スズカが笑ってマース! ソーキュート! 何か楽しいことでもあったのデスカ?」
「何でもない、気にするな」
「ええ。何もないわ……私には」
「スズカ!」
「ワッツ?」
「……っ、ほら行くぞ! 次はたこ焼きを買うんだろう、タイキ?」
「イエス! コナモノ全部コンプリートしまス! 今度こそデビルフィッシュにだって圧勝デース!」
タコ相手に何の勝負をしているんだと口を挟みたくなったが、ぐっと堪えた。逸らした話を蒸し返されたくはない。
ふうと肩を落とすと、またくすりと笑声が聞こえた。横目でじとりとスズカを見るが、彼女はどこ吹く風だ。
事情を知られているだけに、どうにも分が悪い。今度は別の意味でため息をつく。
その時、ちかりとスマホが光った。再びチャットアプリを開けば、ハムスターだかモルモットだかわからないフェルト状のキャラクタースタンプが出現していた。
これはテイオーの趣味だろうな。そう思いながら呆れまじりに耳を揺らす。
かき氷の屋台はどこにあっただろうか。そう思案するエアグルーヴの口元には、スズカに指摘された通りの微笑みが無意識に浮かんでいた。


からん、ころん、からん。三人の歩みに合わせて、軽やかな音色が後を追いかけてくる。石畳を叩く下駄の音は、どこか川の流水音を彷彿とさせて耳に心地いい。
三人で浴衣を着て祭りに行くのは、これが初めてではない。というより出会ってからは毎年、学園付近の神社の夏祭りには揃って出掛けていた。
──『ユカタ! 着たいデス! ワビサビ! サマーフェスティバル! ヤタイにシャテキに盆ダンス! 全てユカタ着てエンジョイしたいデース!』
そもそもの発端はタイキがそう騒いだのがはじまりだった。日本文化に触れたいと熱弁する彼女に、季節行事を楽しみたいとは殊勝な心掛けだと勇んで承ったのがエアグルーヴ、だったら三人で浴衣を着ようと提案したのがスズカだ。つまり三人とも最初から乗り気であった。
以来、浴衣と日本の祭りを大層気に入ったタイキが、当たり前のようにエアグルーヴとスズカを巻き込むようになった。今では新しく浴衣を新調するときは、自然と互いに相談を持ちかけるほどには共に行くことが当たり前になっている。
ただ、遠征先の祭りにまで浴衣を着たのはこれが初めてであった。そしてその理由を、この二人だけは知っている。

(……というより、二人が背中を押してくれたと言うべきか。……言うべきなのだろうな)
──『この間の浴衣、折角だから着て行ったらどう?』
特にスズカがそう提案してくれなければ、この浴衣は来年までクローゼットに眠らせるか実家に送っていたことだろう。

──『夏祭りの夜に、少しだけ二人でお会いできませんか?』

勇気を振り絞ってそう誘った時、想い人であるシンボリルドルフは、ひどく驚いた顔をしていたのだから。
夏祭りをエアグルーヴと……恋人と過ごすという発想が、彼女の頭にはなかったのだろう。
断じてルドルフが気の利かない人物というわけではない。それだけは絶対にあり得ない。彼女を知る者は揃って首を横に振ることだろう。
寧ろ非常に広い視野を持ち、目に映る全てに手を伸ばして細やかに気を配る方だ。その底の見えない博愛心と熱心さは、こちらが目を光らせていなければ過保護が過ぎるほどに。
(だからこそ、なのだろうな)
常に周囲を注視しているせいか、こういった恋愛事、ひいては己が中心となる事象にはひたすらに疎くなる傾向があるらしい。自身の感情に触れるとき、彼女は驚くほどの無垢さを曝け出してくる。
距離が近くなるにつれ、朧げに感じていたその憶測は確信に変わっていった。故に自分が誘わなければ二人で過ごすこともないのだろうなと、悲観でも憤りでもなくただの事実としてエアグルーヴはそれを受け止めていた。

だから、声を掛ける後押しをしてくれたスズカたちには感謝している。してはいるのだが。

「ヘイ、エアグルーヴ! オコノミベイクありマス! サプライズギフトは元気になりマス!」
「お好み焼きは、二人だと食べづらいんじゃないかしら……? 串についてるならともかく……」
エアグルーヴは目を伏せて拳を握る。だからといって、これを許容するかどうかは別の話だ。
「じゃあポテトバターはどうデスカ? 二人でシェアしたらハッピーですヨ!」
「エアグルーヴ、にんじんパフェがあるわよ。冷たいものが食べたいって、そう言っていたのでしょう?」
「ええい、かき氷だけでいいと言っているだろう! いらん気を回すなっ!」
神社の通りを歩きながらあれこれと口を出してくる二人に、とうとうエアグルーヴは吼えた。
何故今日はこんなにも世話を焼いてくるのか。いや理由はわかっている。だからこそ非常にいたたまれない。やめてくれ。
げんなりと額に手を押し当てていると、丁度かき氷の旗が揺れる屋台を見つけた。逃げるようにして屋台の列に向かうが、タイキも一緒に並んできた。
「ついてくるな!」
「ワタシもかき氷食べたいデース!」
「その手の中にある大量の料理は何だ! 完食してからにしろ!」
「今はスイーツが食べたい気分デス!」
アメリカンドッグを頬張りながら言う台詞ではない。しかし指摘する前にふっくらとしたきつね色の揚げ物は彼女の口の中に消えていってしまった。
もっとよく噛んで食べろ、とため息をつきながら、エアグルーヴはスマートフォンを取り出す。
『今、かき氷の屋台に並んでいます。味の希望はありますか?』
素早く打ち込んで送信ボタンを押す。するとすぐに返事が返ってきた。浜辺のトレーニング場も今は平和らしい。
ぽん、ぽん、と軽やかなテンポで会話が続く。連なる文字は他愛ない。まるでタイキやスズカと交わすような、ありきたりな会話。
叶うのなら、と。小さく夢見ていた光景だったなんて、画面の向こうにいる彼女は知りもしないのだろう。アイコンの花の意味にも、きっと気付いてはいまい。
『それは気になるな。ではブルーハワイで』
来たばかりの返信に、あの方らしい、と自然と笑みがこぼれた。味の種類を送った時点でそれを選ぶのだろうなと予想はしていた。
かの皇帝は、意外にも好奇心旺盛だ。興味のあるものにはとりあえず触れてみる。耳をぴくぴくと揺らしながら目を輝かせる姿は子どものようで、エアグルーヴが密かに可愛らしいと思っている一面だ。
そして幅広く興味を持ち、躊躇いもせずに未知の領分に踏み込んでいく姿に、同時に尊敬と羨望を抱いていた。

エアグルーヴとルドルフは似ている、と周囲から称されることがある。
前を見据えて突き進む姿が似ているという者もいれば、堂々とした立ち振る舞いが似ていると評す者もいる。二人揃って生真面目すぎて堅苦しくて面倒臭い、とはサボり常習犯のもう一人の副会長からの評価だ。最後の言葉については大いに異議を申し立てたが、彼女が覆すことはなかった。
しかしエアグルーヴからしてみれば、自分たちはあまりにも違う。
物事の考え方も、持っている能力も、育ちも性格も。
ともすれば仲違いを起こすほどに合わない部分もある。実際にそれで口論になったこともあった。どちらかと言えばエアグルーヴが一方的に叱り飛ばすことが多いのであるが。
だが、それがどうしたと思う。

「ンフフ〜。エアグルーヴ、ハッピーフェイスですネ」
ソーキュート! と言いながら抱きついてこようとするタイキをやめろと手のひらで押し返す。感情が高ぶるとこうなるタイキを流すことも、そういえばもう随分と慣れた。
「お前も、今日はいつにも増して機嫌が良いな。祭りなどもう見慣れただろうに」
「ハッピーフェイスなエアグルーヴは新鮮デース!」
「おい、だから飛びついてくるな!」
ばっと満面の笑みを浮かべるタイキの腕から逃れながら、二人は列を進んでいく。その光景を見られていたらしく、屋台の前に辿り着くと「お嬢ちゃんたち仲いいね〜」と店主に笑われてしまったのは不覚だった。
騒がしくしてしまったことを謝罪しながら、気まずい思いでかき氷を注文する。隣のタイキも元気よくメニューを読み上げ、結果的に全種類注文する形になった。
店主は終始朗らかに笑いながら氷を削っていた。四つともまとめるか、と言われ、自分とタイキの分は別々にしてほしいと頼むと、それぞれを仕切り箱に入れてくれた。
お待ちどう、と袋にまで入れてくれた店主に礼を言い、エアグルーヴとタイキはスズカの元へと戻っていく。
「スズカはどっちを選びますカネ〜?」
「お前はどっちが食べたかったんだ?」
「どっちもデス! だからスズカに選んでもらいマス!」
「なら、スズカに一口貰えばいいだろう」
「ワォ! ナイスアイデア! エアグルーヴもそうするつもりだったのデスネ!」
無邪気この上ないタイキの発言に、ぼっと顔に火が灯った。
「ばっ、ち、違う! 私は単にレモンが食べたいから違う味を選んだのであってだな……!」
「スズカー! かき氷シェアしてクダサーイ!」
「話を聞け! おい!」
制止の声は届かない。ぶんぶんと尻尾を振りながらスズカの元へと駆け寄っていくタイキに、エアグルーヴは言葉にならない声で呻く。
「まったくあいつは……」
悪気がないのはわかっている。しかし威力も気にせず勢いよく投げつけるだけ投げつけるのはいただけない。想像してしまったではないか。いやだから違う。
言い損ねたいくつもの苦言を深いため息に変えて吐き出し、気を取り直してタイキとスズカの元へ歩く。それぞれにひまわりと菖蒲の花が咲いた浴衣は、やはり二人によく似合っていた。三人で顔を突き合わせて選んだ甲斐があったなと、少しだけ満足感に浸る。

タイキとスズカには、自分とルドルフの関係を打ち明けていた。二人以外でエアグルーヴがそれを告白したのは、あとは同室のファインモーションくらいだ。
頭の中には懸念が常に居座っている。この選択が世間一般的にどう見られるか、当然考えないわけがない。
だから理解を示してくれるスズカたちを、おそらく彼女らが思っている以上にエアグルーヴはありがたく思っていた。
彼女らに出会えてよかった。改めて、心の底から噛み締めるほどに。
(……そうだ。こんなにも違っていても、我々はわかり合える)
趣味や性格が合わなければ笑い合えない。その道理が通るならば、自分とスズカとタイキはとっくに相容れずに終わっている。一見すれば自己中心的なナリタブライアンとも、生まれも嗜好も異なるファインモーションとも縁が切れていたはずだ。
そして、歴然とした差を見せつけて孤高の頂点に君臨する、皇帝シンボリルドルフとも。
けれど、そうはならなかった。そうならずに済む手段を知っていた。

例えば、そう。
折角なら声が聞きたい、と彼女はよく電話を繋いでくれる。
それも嬉しい。程度を表すならば舞い上がるほどに。
しかしエアグルーヴは、その上で文字も残したい、と伝えた。
──声だけでは足りない。あなたを知りたい。あなたを憶えていたい。余すことなく、全て。
その胸の内まで告げることは流石にできなかった。けれどそうして望めば、彼女は嬉しそうな笑顔を浮かべて願いを叶えてくれる。
それができるひとだから、エアグルーヴはルドルフと共に在ることを選んだ。

違っているなら歩み寄ればいい。わからないならぶつかり合えばいい。試行錯誤を繰り返し、寄り添って。
そうやって互いの歯車を噛み合わせることが、自分たちはできる。
共に走りたい。隣に立ちたい。傍で支えたい。
──あなたと想いを、分かち合いたい。
「……分け合うのもいいかもしれんな」
あの方が望むのなら、と言い訳まじりにエアグルーヴは呟く。やわく細められた目元は、先程の名残もあって未だに火照っていた。


◆  ◆  ◆


『そろそろ到着します。どちらにいらっしゃいますか?』
『海の家にいる。待っているよ』


連日トレーニングに利用している砂浜は、日中の騒がしさが嘘のように静まり返っていた。穏やかなさざ波の音と、背後から太鼓の音が微かに聞こえてくる程度だ。
「なぁ、スズカ、どこかおかしなところはないか?」
「大丈夫よ。ちゃんと崩れも直したし……綺麗よ、エアグルーヴ」
「ソーグッド! とってもビューティフルですヨ!」
不安げに振り返ると、スズカとタイキは笑顔で頷いてくれた。友人の太鼓判に、エアグルーヴはほっと安堵する。
ルドルフに着崩れた姿など見せられない。彼女の目に映るなら、いつだって美しくありたいと思う。想いを自覚してからは一層、その意識が強くなった。
胸を撫で下ろしたエアグルーヴに、タイキが嬉しそうに笑う。そして次には勢いよく両手の親指を立てた。
「イエス! ワタシ知ってマース! こういうときに言うコトワザ! スエゼン食わぬは──」
「違うっ!!」
「うーん……合っているような、間違っているような……?」
「スズカまで何を言うんだ!?」
「ふふ、冗談よ」
珍しく悪ノリしてきたスズカに目を剥く。しかし彼女は笑声を立てたまま、エアグルーヴの背を押してくる。
「ほら、早く行かないと……かき氷が溶けちゃうわよ」
「あ、ああ……」
確かにその通りなのだが、何故だろう。丸め込まれたような気分だ。
若干の悔しさが募ったが、二人の表情はただただ優しかった。そのせいで文句を言う気も失せてしまい、代わりに苦笑まじりの息を小さくこぼす。
「それじゃあね、エアグルーヴ。今日は楽しかったわ」
「ワタシもとってもエキサディングしまシタ! グッドラック! ファイトですよエアグルーヴ!」
「ああ。私も二人と巡れて楽しかった。また宿屋でな」
手を振る二人にエアグルーヴも振り返して、そのまま砂浜へと足を踏み出す。
柔らかな砂の上は、下駄だとそれなりに歩きづらかった。裸足に比べたら当然か。転びでもした目も当てられんな、と慎重に足を進めていく。
かさり、とかき氷の入った袋が揺れる。この静寂の中で、ルドルフは何を思いながら過ごしていたのだろう。生徒たちに分け隔てなく優しさを振りまく彼女は、役目とあれば自ら中心を生み出して先導するくせに、そうでなければいつも輪から外れた場所で皆を見守って微笑むのだ。
気を遣いすぎだ、と思う。思うだけでなく実際に指摘したこともあったが、それでも彼女が首を縦に振ったことは一度もない。
今日も言ったところで頷きはしないのだろう。まったく妙なところで頑固者だ。
湧き上がるもどかしさに唇を引き結びかけて、あっと緩める。ふと思いついたことがあった。
「……強請って、みようか……」
あなたとも祭を巡ってみたい、と。
自分が願えば、きっとルドルフも応じてくれる。それは経験則からの確信だった。
はたから見れば友人同士に見せかけて、けれど実際は忍んで逢瀬を楽しむ恋人として。
柄ではない。正直気恥ずかしい。けれど。
おもむろにスマートフォンを取り出し、『関東 秋祭り』と検索バーに打ち込んでいく。躊躇は未だ燻っているが、心は既に決まっていた。
どうせなら、ルドルフにも浴衣を着てもらいたい。どんな柄を着てくるのか興味がある。
持っていないのであれば、スズカたちと同じように共に選びたい。自分が頭の先から足の先まで彼女を見繕うのも、それはそれで楽しそうだった。
そう思案しながら浜辺を歩いていく。エアグルーヴの艶やかな黒い尻尾は、いつも以上に機嫌よくひらりひらりと舞っていたのだった。



エアグルーヴの姿が海の家に隠れたところで、スズカとタイキはどちらともなく宿屋へと歩き出した。
フンフンと耳に届く鼻歌は聞き覚えのあるライブ曲で、そういえばここのステップがなかなか上手くいかないのよね、とスズカは合宿前のダンスレッスンを思い出した。
「スズカ。エアグルーヴの浴衣のフラワー、ツリーピオニーでしたヨネ?」
「ええ、そうね」
肯定しながら、深い青の布地に咲く白い牡丹を思い出す。牡丹のイメージでぱっと思い浮かぶのは赤やピンクであったから、エアグルーヴに教えてもらわなければ二人ともわからないままであっただろう。
ルドルフは気付くのだろうか。花に詳しい、という印象はあまりない。
「フラワーワード、マイホームでは『Compassion』言いマス。日本語で言うと……ムムム……!」
「思いやり、だったかしら?」
授業で習った英単語を思い出しながら呟けば、正解だったようだ。ぱっと目を輝かせて、タイキはパンっと両手を合わせた。
「イエス! 思いやり! なのでワタシも、エアグルーヴに思いやりしたいデス。エアグルーヴには、ハッピーになってほしいですカラ」
そうして続けられた言葉に、スズカははっと彼女を見る。タイキは跳ねるような動作で歩きながら、けれど真剣な眼差しで夜空を見上げていた。
「こちらはホームよりもわかってくれるヒト、まだ少ないと聞きマス。だから、エアグルーヴのこといっぱいいっぱい応援したいデス。ハッピーになれるお手伝い、いっぱいいっぱいしたいデス」
「タイキ……」
優しい表情で笑う彼女をまじまじと見つめながら、スズカ自身も考える。
エアグルーヴとルドルフの選択を受け入れてくれる人は、この世にどれほどいるのだろう。
ましてや二人とも実力者として、非常に高い知名度を得ている。レースを走るウマ娘の宿命のようなものだ。
スズカだって知らぬ間にそのうちの一人に連なっていて、いつの間にか増えていた数えきれないほどのファンたちに、ひどく困惑した。今だってファンの皆にどんな風に接したらいいのか、よくわからなくなる時がある。
もし、今。彼女たちの関係を心ないメディアに取り沙汰されでもしたら。
そう考えるだけで、世間の評価に無頓着なスズカでさえぞっとしてしまう。
けれど、いいや、だからこそ。
「……そうね。私も、エアグルーヴには幸せになってもらいたいもの」
スズカもタイキと同じように、心の底からそう願う。
ならうように星の散らばる夜空を見上げて、スズカは穏やかに微笑んだ。
反対するという考えは、最初からなかった。力になれることがあれば、なんだってしたい。
他でもないエアグルーヴのライバルで、大切な親友だからこそ。
孤立しかけていた自分に手を差し伸べて、誰かと競いながら走る楽しさを教えてくれた。そんな誰よりも優しくて、強くて、真っ直ぐな彼女だから。
「スズカ、ソーキュート……! もちろんスズカにもハッピーになってほしいデース! みんなスマイルだとワタシもハッピー!」
「ふふ……私もタイキが幸せだと嬉しい」
「……っ! スズカぁ〜!」
飛びついて来ようとするタイキをスズカはくるりと避ける。耳を伏せながら「ツレないです……!」と呟いていたが、すぐに元気を取り戻してタイキはむん、と笑顔になる。
「明日はエアグルーヴに、『夕べはお楽しみデシタネ』って言えばいいんデスネ!」
「タイキ……それは絶対に怒られるから、やめた方がいいわ……」
間違ってはないけど。腰に手を当てて自信満々に言ってきたタイキに、スズカは苦笑いをこぼした。





あとがき
夏祭りの話のルドルフと合流する前のエアグルーヴとスズカとタイキのの話。この話の番外編です。ルドエア前提なのでタグ付けさせていただきます。
蛇足かなと思って削った部分を勿体ない精神で形にしました。別名小ネタ明かし回。
エアグルーヴとスズカとタイキの、趣味も性格も全然違ってそうだけど三人でよく出かけるほど仲良しなところがすごくいいなぁと思います。ウマ娘はそういった仲良し組が多くて本当に素敵ですね…BNWとか98世代とか…クリーク育成ではオグリとタマモとの天然×2とツッコミのほんわか仲良しっぷりが微笑ましかったです。史実がドラマとロマンに溢れてる。すごい。

情が強い(重い)のがルドルフ。無自覚ですら相手を縛るように愛して、大抵の人だとその苛烈さに怖がられる。そんなイメージで書いてます。
ブライアンは情が固い娘だと思います。懐いたら余程のことがないかぎり縁切らない。

おまけ:
グラジオラス花言葉:花全般は「密会」「用心」。ピンク色は「ひたむきな愛」。
牡丹の花言葉:「富貴」「壮麗」「恥じらい」「風格」。西洋では「思いやり」。「百花の王」とも呼ばれる。

浴衣の話:
エアグルーヴの浴衣:藍色の布地に白い牡丹。帯は明るい黄色。
花びらが折り重なる牡丹は、可憐なデザインとしても人気の柄。「立てば芍薬、座れば牡丹」と言われるように、美人を表現する花としても知られている。柄の意味が海外では「「compassion(思いやり)」。
スズカの浴衣:白地に葉っぱ入りの菖蒲、緑の帯。「しょうぶ」と読む音から、勝負強さや礼儀正しさを意味するとされている。 5月の節句に名残が残るように、菖蒲には魔除けの効力があると信じられていた。
タイキの浴衣:黄緑生地(勝負服)に大きなひまわり。赤い帯。ひまわりは「憧れ」「情熱」「熱愛」「あなただけを見つめる」という意味合いがあるけどタイキの場合は「元気がデマス!」ってノリで選んだと思う。



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