魔法使いたちは語る



       ──1st wizard:Trainer──


小さく揺れている細長い耳。きまりが悪そうな、照れくさそうな表情。それだけで何があったか察した。
けれどそれをおくびにも出さずに、トレーナー室に現れた担当を私は目一杯の笑顔で出迎えた。
「エアグルーヴ、誕生日おめでとう!」
「それは今朝も聞いたぞ」
「お祝いしたい気持ちは、何度だって言いたくなるものだよ。予定も、わざわざ空けてくれてありがとね」
さあ座って座って! と室内に招きながら、エアグルーヴを席に案内する。ミーティング時に活用している長机の前にどんと設置されたそれは、備品室から借りてきたちょっと良い椅子だ。パイプ椅子と業務用の長机の中で変に浮いてるとか気にしない。
主役の座る椅子は目立ってなんぼでしょう。エアグルーヴは呆れた顔をしていたけど、何も言わずに座ってくれたのでよし。
「まったく……頼んできたのが今朝でなければ、もう少し時間がとれたものを。貴様のその突発的に予定を立てる癖は、いい加減どうにかならんのか」
「あはは……ごめんなさい。何せ思い立ったのが昨日の夜だったから……」
電気ケトルのスイッチを入れながら、エアグルーヴの言葉に笑いながらそう返す。用意しておいたハーブティーの封を切れば、酸味のある香りがふわりと漂ってきた。
なんて、本当はプレゼントを決めた時点で思いついていた。それをあえて当日に言ったのは、他の娘たちがエアグルーヴを祝いたいと思っていることを知っていたからだ。
遠慮したわけではない。同じ気持ちの子がいるなら、その子たちにも目一杯エアグルーヴのことを祝ってほしかったのだ。同担大歓迎。いやぁもう先週からエアグルーヴの予定をどれだけ聞かれまくったことか。
案の定今日の予定はみっちりなようで、珍しくエアグルーヴの方から午後のトレーニングは早めに切り上げたいと言ってきた。流石は我らが女帝。推し……じゃなかった担当として誇らしい限りです。
だからダメ元だったんだけれど。何だかんだと言いつつ、エアグルーヴは私のためにこの時間を作ってくれた。そういうひとの気持ちを無下にできない優しいところに、友達や後輩の子たちは彼女を慕ってやまないのだろう。
レースとはまた違うけれど、そういう意味でも出会ってからずっと、彼女は理想の"女帝"であり続けている。
こぽこぽと音と立てていたケトルがカチリと鳴る。まずは空のティーポットとカップにお湯を注いで、温めてからお湯を捨てる。温まったポットに茶葉を入れて、もう一度お湯を注いで蓋をする。
「この香り……ローズヒップティーか?」
一瞬だけ漂った香りは、座っているエアグルーヴにも届いたらしい。こういう何気ない日常でも、ウマ娘と人間の種族差を思い知る。人間だったら絶対に気付けない距離なのに。流石ウマ娘。
彼女たちが五感で感じている世界は、一体どれほど色鮮やかなのだろう。トレーナーなら一度は抱くだろう興味を、例に漏れず私も抱いている。
「正解! そしてお茶請けは、今話題の洋菓子店で買ってきたこちらでございます」
じゃん! と冷蔵庫からそれを取り出して、ティーセットと一緒にエアグルーヴ前に出す。安っぽいラップを引っぺがせば、ふんわりときめ細やかなスポンジが顔を出した。
「お待たせいたしました。本日のメニューはチリ産のオーガニックローズヒップティーと、国産卵をふんだんに使用したシフォンケーキになります。ローズヒップティーの方は、こちらの砂時計が全て落ちてからお飲みください。限られた時間ではございますが、どうぞ心ゆくまでご堪能くださいませ」
「妙に慣れた口上じゃないか」
「ふふん、学生時代は接客系のバイト、けっこう掛け持ちしてたからね」
恭しくお辞儀をしてから胸を張ってみせたら、途端に感心の眼差しが呆れたものになってしまった。いつものことなので気にしないで、ところで、と私はエアグルーヴに問いかける。
「このあとはタイキシャトルたちとBBQだって聞いたから軽めのお菓子にしたけど、それでよかった?」
「ああ、正直助かる。そのあとは母とカフェに行く予定でな。それに夜はファインとラーメンを食べに行くことになった」
「へぇ……うーん、総カロリーすごそう」
「ふん、この程度、調整で何とかなる」
「必要であればサポートするからいつでも言って。それにしても、毎年スケジュールが過密になってってるっていうか……今年は門限ギリギリまで予定が詰まってたりして?」
「……うむ、まあ、な」
ふむ、なるほど。気まずそうに目を伏せる姿に、やっぱりかと推測が確信に変わる。脳裏に過ぎるのは、立っているだけで威圧感に圧倒されそうになるあの背中。
歯切れの悪い物言いを追及せずに、私はモテモテだね、とにやりと口の端を上げる。「茶化すな」と眉間にしわを寄せるエアグルーヴに「事実じゃない」と笑いながら、さり気なくお茶とお菓子へと話題を変える。
──ここに来る前に、シンボリルドルフに会ったの?
尋ねかけて飲み込んだ台詞がまた頭に浮上する。さっきトレーナー室に入ってきたとき、エアグルーヴは怒っている時とも照れているときとも(彼女は怒っている時と照れている時の態度が見分けづらいのだ)違った表情を浮かべていた。
吊り上がった眉はいつもよりも角度が緩く、人間と違って自由に動く耳は花を眺めているときのようにゆっくりと揺れていて、漂う雰囲気はどこか柔らかくて……そういうのを全部まとめて説明すれば、幸せを噛み締めているような、そんな表情。
私は知っている。そういう時は、決まってシンボリルドルフが絡んでいるのだと。
エアグルーヴは彼女のことをとても尊敬していて、そして信頼している。シンボリルドルフの言動に一喜一憂する担当を、私は近くでずっと見ていた。さらには彼女のことで悩み、戸惑い、時にはコンディションすらも下げてくる姿も……おっと恨み節が。ポーカーフェイスポーカーフェイス。
でもまあ、彼女がエアグルーヴのことを大切に想っていることも、エアグルーヴもまた彼女のことを想っていることも、私は知っている。
さっきも言ったが、傍でずっと見てきたのだ。伊達にデビュー前から推……ああもういいや。伊達に彼女のことを推していない。推しの夢を間近で応援しながら支え、成長を見守る。ここは最高の職場です。しまった話が逸れた。
まあ、だから丁度よかったかな。私は綺麗な所作でハーブティーを飲んでいるエアグルーヴを見つめて微笑み、今日の目的である誕生日プレゼントを渡す。
「それから、これも受け取ってくれる? 爪ケアセットとネイルオイル。トーセンジョーダンに手伝ってもらって、あなたに合いそうなものを選んだんだ」
「……そうか。ありがとう」
開けてもいいかと尋ねる彼女に、もちろんだと笑う。エアグルーヴは紙袋からネイルオイルを取り出して、マニキュアの小瓶によく似たそれをまじまじと見つめた。
興味津々なその表情が年相応で、そういう表情を私に見せてくれることが何とも嬉しかった。思わずにやけそうになった口元を笑顔でごまかしながら、それでね、と口を開く。
「トーセンジョーダンからケアのやり方も教えてもらってね。できたらレクチャーもしたいから、お茶のあとに爪を借りてもいい?」
あなたをずっと見てきたから、知っている。あなたのために何が最善か。
だから私は、持参してきたフィンガーボウルをひょいと持ち上げて、にっこりと笑ってみせる。
我が君の幸せのためだ。塩くらい、気前よく送ってやりましょう。




       ──2nd wizard:Mother──


あの子は昔っから頼もしい子だった。というか、私が頼もしくさせちゃったんだけどね。あの子がもっと小さかった頃は、今よりずっと忙しくて、とにかくしゃかりきで働いていた。きっと、色んなことを我慢させちゃってたと思うわ。
なのにあの子は文句のひとつも言わずに、どころか私をフォローするように家のことを率先して手伝ってくれた。妹たちの面倒だってよく見てくれた。
大雑把な私と違って、本当に色んな事によく気付いてくれてね。もうどっちが母親なのかわからないくらいよ。本当によくできた、自慢の娘。
だからこそ余計なのよね。あの子のやりたいことは、何でも叶えてあげたいって思うの。いっぱい応援したいって思うの。なのにあの子ったら、わがままのひとつも言いやしなくて。
いつも真面目でストイックで、誰に似たのか息抜きもしないでずーっと頑張っちゃう子で。まぁ誰かってあの人に似たんだけどね。性格は完全に父親譲りなのよ、あの子。ちょっとくらい私に似てくれたらよかったのになぁって、何度思ったことか。そんなところも可愛いし愛してるんだけど。
もちろん、私だってただ待っていたわけじゃない。この子に何か好きなことが見つかればって、お祭りやイベントがあればその都度連れ回してもみたのよ。ついでに私も娘と遊びたかったし、それでこの子に好きなことややりたいことが増えれば一石二鳥じゃない。
結局、息抜きどころか余計に頑張ることを増やしちゃったわけなんだけど。まぁあの子なりにお祭り好きになって楽しんでるみたいだから、そこは結果オーライだけどね。
だから初めてトレーナーさんに会ったとき、本当に安心したのよ。自分に厳しすぎて頑張りすぎちゃうあの子が、ちゃんと肩の力を抜いて、伸び伸びと学園生活を楽しんでいるんだなって。そう感じることができたから。

え、何でそれを思い出したかって?
今ね、それと同じくらい安心したのよ。

「それで、ルドルフちゃんはどんなのが好みなの? セクシー? キュート?」
段取りのいい娘が予約してくれたカフェで、美味しいケーキを食べながらおしゃべりをしてひと心地ついた頃。アイスコーヒーにミルクを入れながらそう聞いたら、向かいでホットコーヒーをすすっていた娘──エアグルーヴが大きく咳き込んだ。あらやだ変なとこ入っちゃったのかしら。
「ちょっと大丈夫? えーっとハンカチハンカチ……」
「お、お母様……? あの、一体どういう……?」
バッグをガサゴソと漁っているうちに復活した娘に呼ばれる。顔を上げれば、口元を押さえた娘が、目を白黒させて赤くなっていた。
どういうって、とそんな娘に笑いながら答える。
「そのまんまの意味よ。私がメイクしていいんでしょ? だったらルドルフちゃん好みに仕上げて、どきっとさせたいじゃない!」
──誕生日なんだからお願い事のひとつやふたつ言ってごらんなさい、お母さん何だって叶えちゃうから。
さっきね、この子にそう言ったの。普段なかなか我が儘を言わないから、そうやって記念日にかこつけたら言ってくれるかもと思って。
そしたらね、私にメイクをしてほしいってお願いされたのよ。いつもだったら「当日にお母様にお会いできたうえに、誕生日プレゼントまでいただいたのです。これ以上のことはありません」なんて返してくるこの子がよ?
それがどれだけ嬉しいことか、きっとこの子は知らないわ。お母さん、はりきっちゃうに決まってるじゃない。
「いえ、だから、何故あの方の好みに合わせる必要が……!」
「だって今日このあと会うんでしょう? ルドルフちゃんと」
そう尋ねれば、エアグルーヴは顔をもっと真っ赤にさせて俯いた。もう、ほんと可愛いんだから。
「わかるわよ~、そのくらい。何年あんたの母親やってると思ってるの」
会ったときから妙にそわそわしちゃって。時々はっとしてほっぺた赤くしてたのだって、ルドルフちゃんのこと思い出してたからでしょ? お母さん知ってるのよ。
私にメイクしてほしいって言ったのだってそう。ルドルフちゃんに素敵だって思われたいからなんでしょう。もっと好きになってほしいから、いつもは言わない我が儘を言ってきたんでしょう。
健気で可愛い愛娘が、そうやって目一杯に恋してるんだもの。全力で応援したくなるってものよ。
「ほらほら、はやく教えなさいよ。ルドルフちゃんはどんなあんたが好みなの?」
聞きながら、アイスコーヒーを勢いよく飲み干す。善は急げよ。ここから今日泊まるホテルに近いし、メイクルームもあったはずだから貸してもらって。メイクし直すんだから走っても大丈夫よね。もちろん法定速度はしっかり守るわよ。
早速プレゼントが役に立ちそうでよかったわ、なんて笑って、さっき娘に渡したばかりの紙袋を見つめる。
今年の娘への誕生日プレゼントは、メイクブラシセットと色付きのリップ。この子の肌質は繊細だから、なるべく肌に優しいものを選んだのよ。
まさかこんなすぐに活躍できるなんて、私の直感もまだまだ侮れないわね。
「し、知りません……」
「も~、そんな可愛い顔したって絆されないわよ! さっさと白状しなさい!」
「ほ、本当です!」
でも、恥ずかしがり屋のこの子はなかなか素直にならない。だから、照れ隠しもいい加減にしなさい、と言おうとしたんだけど……そのあと娘が言ってきた台詞に、喉の奥まで引っ込んじゃった。この子、何て言ってきたと思う?
「……っ、その、あの方は、私が私だから……好ましい、と、いつもおっしゃるので……」
だから、わかりません、って。湯気が出そうなほど顔を真っ赤にして、俯きながらぼそぼそと小声でそう言ったの。
思わずびっくりして、ちびちびとコーヒーをすする娘をぽかんと口を開けて見つめてしまった。
「──、やっだベタ惚れじゃないの! あんたってばやるぅ!」
「お、お母様……!」
「まぁあんたもあんたでルドルフちゃんのこと大好きだものね! よかったじゃない~! 相思相愛ってやつ──」
「わーっ! お母様っ‼」
声が大きいです! なんて大慌ての娘がもう本当に可愛い。ごめんごめんと手を合わせながら、むずむずと込み上げてくる微笑ましさにどうしても笑みがこぼれちゃう。
だって本当に嬉しいんだもの。すっごく安心したんだもの。今すぐルドルフにちゃんに会いに行って、ありがとね! ってお礼言いたいくらい。
だってね、この子ったらとっても幸せそうな顔をしているんだもの。
知ってる? ルドルフちゃんのこと話すときのあんた、私と話しているときのあの人とソックリなのよ。目尻を下げて、優しく笑って、きらきらした眼差しで。こっちまで笑顔になっちゃうくらい、嬉しそうな顔。
そういうところも父親似なのねぇ。ああ、耳を揺らすのはこの子だけの癖ね。あの人は人間だったから。
茹でダコみたいになった娘がカップを空にしたのを見計らって、「とびっきり素敵にしてあげるわ」と艶々の頭をぽんと撫でる。娘はびっくりしたような顔をしたあと、赤い顔をしたまま目を伏せて、ちょっとだけ口元を綻ばせてこくんと頷いた。その仕草が小さい頃のこの子と重なって、ちょっと泣きそうになっちゃった。

──ねぇ、あなた。
大事な娘が愛されてるって、本当に幸せなことね。




       ──3rd wizard:Roommate──


これはね、私だけが知る、とっておきの秘密。

静かに揺れる車内に座りながら、私は目の前の艶やかな髪に櫛を通す。さらりと音を立てる暗色の髪はとっても綺麗で、思わずうっとりとしてしまう。
「グルーヴさんの髪、さらさらしていて素敵だね。ずっと触っていたいくらい」
思ったことをするりと口にすれば、グルーヴさんは小さな笑声を立てて「ありがとう」お礼を言ってきた。凛とした声音は、当然だと言わんばかりに自信に満ちている。
それは驕りなどではなくて、努力を積み重ねてきた証そのもの。とっても素敵な音色だね。
「お前の髪だってそうだろう。手入れの行き届いた良い髪だ」
「本当? ふふ、ありがとう。学園に来てからは自分でお手入れをしているから、そう言ってもらえると嬉しいな」
寮に来たばかりの頃は、グルーヴさんにもいっぱいお世話になったっけ。大勢で食べる食堂、みんなで一緒に入るお風呂、視察ではないショッピング。共同生活の教養と楽しさを、グルーヴさんは誰よりも最初に教えてくれた。
そんな優しくて素敵なグルーヴさんは、今日が誕生日。グルーヴさんにとって特別な日に、私は彼女をエスコートする栄誉を賜ったの。
友達をお祝いするのって、すっごく楽しくてワクワクするね。トレセン学園に通うひとたちは、生まれも育ちも全然違っていて、だからこそどんなプレゼントなら喜んでくれるかなって、考えるのがとっても楽しい。
今日だって、吟味に吟味を重ねて選んだとっておきのラーメンを、グルーヴさんは嬉しそうに食べてくれた。今夜食べたラーメンの美味しさも、満足そうに目を細めた綺麗な横顔も、その時に込み上げた喜びとともに、私はずっと忘れないでしょう。
今はリムジンに乗って、グルーヴさんを送り届けている途中。ううん、用があるのはグルーヴさんだけ。グルーヴさんを送ったら、私は先に寮に帰る。
目的地はトレセン学園。グルーヴさんはその場所で、大事な大事な用事がある。
だから今、私はグルーヴさんに許可をもらって髪を触らせてもらっているの。
サイドの髪は残して、櫛で梳きながら髪を後ろに持ってくる。丁寧に丁寧にまとめて、テーブルに置いておいたゴムで結ぶ。ちょうど私と同じくらいの位置。グルーヴさんの長さでも私みたいなお団子にできるけど、あえてしないで髪を遊ばせる。うん、ぴょんと跳ねた毛先が可愛くていい感じ。
それから横の髪を少しだけ取って二房に分けてからくるくると簡単に編んで、毛先をお団子の近くで留める。左右どちらも編んだら、ヘアアレンジは完成。
あとは仕上げに。隣に控えていたSPの隊長から、こっそりと受け取る。髪を整えるふりをしてそれを挿し込み、完成したよ、と声を掛けた。
「どうかな?」
「これは……」
鏡を手渡して見てもらえば、グルーヴさんは目を見開いて振り返った。結い上げた髪の傍で、薄紫の小さなお花たちが細かく揺れる。近くで見れば四枚の花弁がとってもキュートで、けれど上品な色合いがグルーヴさんにぴったりで、私の心は満足感でいっぱいになる。
「うふふ、サプラーイズ! びっくりした? 実はラーメンと髪飾りの、二段構えのプレゼントでした!」
ああ、楽しい。くすくすと笑いながら種明かしをすると、グルーヴさんは「フジの悪影響だな……」だなんて、呆れ混じりに笑われちゃった。またひとつできた素敵な思い出に、心の中でシャッターを切る。
「ふふ、何だか魔法使いにでもなった気分」
うさぎのように跳ねる心のままに呟く。でも、私の言葉を聞いたグルーヴさんは、何だか複雑そうな顔をしてしまった。不思議、いつもだったら「どういう意味だ」なんて、訝しげな表情をするのに。
どうしたの? と尋ねると、グルーヴさんのお母さまも同じことをおっしゃったのだそう。
なら、私は二人目の魔法使いってことかな。ううん、もしかしたら三人目かも。だってグルーヴさんの爪、いつも以上にぴかぴかしていて綺麗だもの。それにほんのりとアロマの良い香りもした。
グルーヴさんのお母さまも、もう一人の魔法使いさんも、きっと私と同じ気持ちなんだ。何だか嬉しいな。
みんなグルーヴさんに、とびっきりの思い出を作ってもらいたいんだ。
「……言葉だけでも充分だと、思っていたんだ」
ふと、グルーヴさんが小さな声で呟いた。穏やかに揺れる車内に落とされた言葉は、私に話しかけているというより、独り言に近い。
「ありがたいことに、デビューしてからはより一層、祝ってもらう機会が増えた。一日があっという間に過ぎ去ってしまうほどにな。会長もそんな私の状況を理解しておられるから、祝いの言葉と贈り物をいただいて、それだけだった」
だが、とグルーヴさんが囁く。数拍ほどの間を数えてから、続きは紡がれた。
「……こんなにも、嬉しいものなのだな。当日に、会う約束を交わすのは」
ほろりと、花びらが綻ぶような音色。あっと、喉まで出かかった声を飲み込んだ。私としたことが、見落としておりました。
そうだったんだ。グルーヴさんの白い頬がふんわりと桜色に染まっているのも、いつもよりも艶やかに色づいた唇が弧を描いているのも。──その横顔が見惚れてしまいそうなほど、とっても綺麗なのも、全部。
会長さんが誰よりも早く、グルーヴさんにとびっきりの魔法をかけたからなのだと。
真実に辿り着いた私は、ふわふわと溢れ出てくる喜びのままに笑みをこぼした。
「……よかったね、グルーヴさん」
本当によかった。心からそう思って、声に出した。
あのね、私、とっておきの秘密を知っているの。小さい頃から私の傍にいてくれる隊長にも、大好きなお姉さまやシャカールにも……会長さんだって知らない、私だけの秘密。
私だけが知る、グルーヴさんの姿。……寮部屋で、電話越しに会長さんと話す、グルーヴさんを。
これは、私だけが見てきた変化。最初はビジネスライク。それがいつからから尊敬へ。尊敬から敬愛へ。敬愛から親愛へ。
まるでこの国の四季のように、グルーヴさんの感情は彩りを変えていった。
鮮やかな色彩は表情に浮かんだ。瞳に宿った。声色に現れた。冬を越した種が芽吹き、茎を伸ばして蕾を膨らますように、徐々に、徐々に。
そうしてすくすくと育っていくのを、つぶさに見てきたから。今、目の前で素敵な花を咲かせているグルーヴさんを見て、私は自分の身に起きた出来事のように嬉しくて仕方がないの。
全身で喜びを露わにする私に、グルーヴさんは虚を突かれたように目をしばたかせていた。そのあとで、少し眉を下げて照れくさそうに微笑んだ。
「ああ。……ありがとう、ファイン」
お礼を言われて、私はもっと嬉しくなる。お姉さまには少し申し訳ないけれど、私はグルーヴさんのことも大好きだから。大好きなひとには、ずっと幸せでいてほしいの。
私の幸せをいつも願ってくれているお姉さまなら、わかってくれるでしょう?
「──殿下、エアグルーヴ様、到着いたしました」
運転手の方が私たちに声を掛ける。気付けば窓越しに、夜の学園が現れていた。
「グルーヴさん、いってらっしゃい。……あ、12時の鐘が鳴っても、魔法は解けないから安心してね」
ちょっとした思い付きでそう付け加えると、グルーヴさんはたわけ、と呆れた顔に戻っちゃった。少しだけ困惑の混じったその表情は、ラーメンにお誘いしたときにも見た表情。ああでも、目元がほんのりと赤く染まっているのは違うね。
「まだ片付けが残っているだろう。お前のベッドだって占領しているんだぞ」
帰ったら手伝え。ライラックの花房を揺らしながら命じる女帝さまに、私はくすりと笑ってから仰せのままに、と深々とお辞儀をした。




       ──the beginning wizard:Emperor──


ジ、とささやかな音を立てて時を刻む分針に、意図せず耳が反応する。普段であれば気に留めることのない音に、何度反応したことだろう。
十九時を越えてからはドアに目を向けてしまう始末で、これでは仕事にならないとペンを置いたのはつい先程のことだ。
刻一刻と門限の時間が迫っている。私は壁にかけられた時計を見つめながら、落ち着きのない内心を何とか宥めすかしていた。
執務用の席から立ち上がり、背後にあるカーテンに手をかける。外が見える程度に紅の布を引けば、街灯がぽつりぽつりと光る学園の景色が広がっていた。空を見上げれば、円に近い月が星空の中に浮かんでいる。確か満月は一昨日だったか。
真白い月を一瞥し、再び視線を下に落とす。無意識に校門へと注がれた視線に、思わず嘆息がこぼれた。
気分転換のつもりだったのだが、どうやら効果はなかったようだ。どれだけ待ち遠しいのやら、といっそ他人事のように呆れてしまう。
私はすっかり夜の更けた生徒会室で、ひとりの人物を待っている。
──『後輩たちを多く待たせて知っているので、仰る通り、門限間際になりそうですが──伺わせていただきます、必ず』
脳裏に、凛と心地のいい声音がよみがえる。
日中にあった出来事だ。特に待ち合わせはしていなかった。ただ、生徒たち……特に後輩の子らに、エアグルーヴはどこかとひっきりなしに尋ねられていたから、業務の傍らで彼女を探していた。そうしてエントランスで彼女を見かけ、──今宵の約束を交わした。
あの時の穏やかな笑みを思い返し、自然と口元が緩むのを自覚する。しかしその際に晒した己の醜態まで思い出してしまい、居た堪れなさに苦みが笑みに滲んだ。
──君の誕生日を祝いたい。そのための時間を私にくれないか。
その要望を口にするのに、どれほど躊躇逡巡し、周章狼狽(しゅうしょうろうばい)したことだろう。そのうえ、あんなにも口が回らない己に……あのようなことを口走った私自身に、ひどく驚いた。
弁明をさせてもらえるなら、あのような我儘を言うつもりはなかった。元からそのつもりがあったなら、当日ではなく事前に会う約束を取り付けていた。
徳高望重(とくこうぼうじゅう)かつ、知己朋友に恵まれた彼女の誕生日だ。例年の如く、彼女の予定が祝い事で埋め尽くされることは容易に想像がつく。
それをわかっていたからこそ、私は約束を交わす気はなかった。彼女の負担になってはいけない──ひいては彼女の夢に水を差してはならないと、そう判じたゆえのことだ。
エアグルーヴが多くの者に慕われているということは、彼女自身の目指す理想に近付いている証左でもある。その事実は非常に喜ばしいことであり、同志である私が誰よりも彼女の邪魔をしてはならない、と。
「そう、思っていたのだがな……」
時計の針の音だけが響く室内に、自嘲を多分に含んだ声がほつりと落ちる。
──羨ましく、思ってしまったのだ。幾人もの生徒たちからエアグルーヴの所在を尋ねられ、彼女のことを祝いたいのだと口々に告げられるうちに。
無邪気に彼女を慕う後輩の子らを、気兼ねなく祝うことのできる彼女の友人たちを、ひどく、羨ましいと。
しかし、だからといって彼女たちの輪の中に入ることもできなかった。それこそ水を差す行為だろう。折角の祝いの場で、生徒たちを萎縮させてしまうのは本意ではない。
けれどもエアグルーヴの行方を尋ねられるたび、羨望の念ばかりが募っていった。そうして積もった欲は、他ならぬ彼女と言葉を交わしているうちに、ついにこぼれてしまったのだ。
なんと拙い言葉だっただろう。なんと皇帝らしからぬ振る舞いであったことだろう。滅私奉公たれと戒めていながら何という体たらくだと、隅に追いやられた冷静な己に罵られもした。
しかし、それでもこぼれ出た言葉を撤回できなかった。否、したくなかった、と言った方が正しい。
──『忙しさは承知の上だが、どうにも──今日中に祝いの品を手渡せないのは、惜しい』
口にしたのははじめてだった。だが、口にしてみれば以前からその願望を抱えていたことにも気付いてしまった。そうだ。君と共に在りたいと望んでから、ずっと私はこうしたいと望んでいた。
私利私欲を捨てろ。品行方正であれ。身の程をわきまえた行動を。であれば君の邪魔をしてはいけない。君の理想を妨げてはいけない。
そう重々理解していながら、それでも私は、君の誕生日を祝いたかった。君にとっての特別な日に、私という存在をどうか記憶に刻んでほしいと。そう、願って止まなかった。
"生徒会長"でも"皇帝"でもない、私自身の願望を口にしたのは、いつぶりだろうか。私欲を押さえ込むことにすっかり慣れてしまった心は、その吐露の仕方をすっかり忘れてしまっていた。
ゆえに、彼女が私の望みに応じてくれたとき、どれほど嬉しかったことか。あのときの柔らかな笑みに、救われたとさえ感じた。我欲を表に出すことを、誰よりも忌避し、固く禁じていたのは私自身だったのだから。
彼女の声を再び反芻して、頬を緩ませる。ゆえに、だろう。自身ですら忌み嫌っていた己を受け入れてくれた彼女に対し、より一層感謝の念に堪えなかった。
彼女の時間を割いてしまったことへの申し訳なさと罪悪感は未だに燻っている。しかしそれを大きく上回るほどの歓喜が、胸の内には満ちていた。
ジ、と分針の音が背後から響く。門限まで三十分を切ったところだろうか。この一日が彼女にとってどれほど賑やかであったか、時計の時刻を数えるだけで知ることができるというものだ。
ふと、校門の正面に車が停まった。黒いリムジンから登場したスーツ姿のウマ娘は、かの王女殿下であるファインモーションの護衛のひとりだった。
私は窓に片手をついて身を寄せる。右手はカーテンを握りしめ、聞こえるはずもない音を拾おうとして無意識に耳が前を向いた。
生徒会業務が関わっているならいざ知らず、今日のエアグルーヴの予定を私は把握していない。『門限間際に生徒会室で』。承知しているのは、そのような曖昧模糊な約束だけだ。
だが、ファインモーションは彼女の同室者であり、親しい友人でもある。ならば、こんな夜更けに彼女の車が学園までやってきたのは。
SPが恭しく礼をして、車内の者に呼びかけている。開かれたドアから現れた人物に、そばだてていた耳が大きく揺れた。
エアグルーヴだ。待ち焦がれていたその姿を見て、舞い上がる己を自覚した。血が一瞬にして湧き立ったかのように全身に熱が巡る。
おそらく車内にはファインモーションがいるのだろう。いくつか会話を交わし、エアグルーヴがSPに会釈をして間もなく、車は去っていった。車を見送り、学園に足を向けた辺りを見渡したあと──彼女はふいにこちらを見上げた。
気付けば素早くカーテンを閉めていた。ぎくりと跳ねた心臓が、落ち着くことなく早足で駆ける。あからさまに待ちわびていた姿を彼女に晒すのはどうにも決まりが悪かったのだ。
来てくれた。歓喜に打ち震える心に、胸の前で拳を握る。逸る気持ちを必死に抑えて、私は窓から離れた。
私服姿の彼女は、珍しく髪を結い上げていた。以前、学園の広報ドラマで、時代物のドラマを撮影していたときを彷彿とさせるような髪型だ。
今夜の約束のために、着飾ってくれたのだろうか。──いや、そう考えるのは流石に自惚れが過ぎるか。浮足立つ感情がどうにも制御できず、燻る熱を冷ますように息を吐いた。
執務机の引き出しを開け、収めておいたものをそっと取り出す。彼女の瞳の色とよく似た正方形の箱には、この日のために選んだ祝いの品が入っていた。
チョークブルーのレザーストラップに、ローズゴールドの金具で縁どられた腕時計。金具と同色でローマ数字が刻まれた文字盤には、淡い色彩の手描きの花々が色とりどりに咲き誇っている。精錬されていながら華やかさも併せ持ったそのデザインは、彼女のしなやかな腕に大層似合うだろうと思った。
喜んでくれるだろうか。使ってくれるだろうか。今日この約束を交わしたあのときのような、花紅柳緑(かこうりゅうりょく)の微笑みを、もう一度見せてくれるだろうか。
贈り物を見つめながら思考に耽っていた私は、扉の向こうから聞こえてきた足音にぴんと耳を立たせた。規則正しいヒールの音。聞き慣れた彼女の音だ。
カツ、コツ、と徐々に靴音が大きくなっていく。鼓動は未だにおさまらず、どころか一層間隔を狭めていく。手に汗が滲む感覚に、整った包装を台無しにしてはいけないとプレゼントを一旦机に置いた。
彼女が部屋に入ってきたら、まずはどんな言葉で出迎えよう。祝いの言葉か、それとも夜分に来させたことへの謝罪だろうか。
そのあと髪型について触れて、差し支えなければ今日という日どのように過ごしたのか……を話すには時間が足りないな。帰りの道すがら尋ねてみようか。
祝いの品を渡して、少しだけ会話をして……ああ、そうだ。ひとつ、これだけは訊いておきたい。
──些細なことでも構わない。君の望みがあれば教えてほしい、と。
彼女がひとに頼ることを良しとしないのは、百も承知だ。尋ねても首を横に振られてしまう可能性の方が高いだろう。
それでも、君が当たり前のように我儘を受け入れてくれたことは、私にとって歓天喜地な出来事であった。その喜びを、君にも知ってほしいと思ったから。
だから、私の我儘を叶えてくれた君に、今度は君の我儘を私が叶えたい。ひとつと言わず、いくらでも。
コンコン、といつもと変わらぬノック音が耳朶に響く。尾と耳が揺れるのを自覚しながら、静かに呼吸をひとつ。そうして普段通りを装いながら、私は「どうぞ」と彼女を部屋に招いたのだった。




あとがき
会長はひとつの物事に対して、事前に様々なことを想定しているからこそ即座に色んな手が打てる/常に落ち着いた判断が取れるんだろうなと考えているのですが、だからこそ女帝誕生日会話でのあの余裕のなさに心臓を射抜かれました。他の娘のときはもっとスマートにお祝いしているのを見てると、会長自身も予想外の出来事だったんだろうなぁと。あんな切羽詰まった声と表情を右腕の前で、しかもその理由が右腕の誕生日を祝いたいからなの、ほんと、ほんと……
このひとにだけは感情の制御ができずに手を伸ばしてしまう、みたいなのを感じてしまって推しCPが尊い!!!!!ってなってました(そして今に至る)。
会長なら、皆なら、エアグルーヴにどんなプレゼントを用意するかな…と考えるのも楽しかったです。

最後の、多分右腕に訊きたいこと訊いたらもっと自分たちを頼れとか休める時はきちんと休めとか言われて会長苦笑いしながらしどろもどろになってると思う。

【四字熟語補足】
周章狼狽(しゅうしょうろうばい):大いにあわてること。非常にあわてうろたえること。
滅私奉公(めっしほうこう):私利私欲を捨てて、主人や公のために忠誠を尽くすこと。
花紅柳緑(かこうりゅうりょく):春の美しい景色、色とりどりの華やかな装いの形容。または人手を加えていない自然のままの美しさのこと。

ライラックの花言葉:友情、初恋、愛の芽生え




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