働き者の織姫と彦星


たったったっ、と軽い足取りでトウカイテイオーは廊下を駆けていく。中等部の教室を通り過ぎ、図書室やパソコン室がある本校舎の中央部にさしかかる。
そこから階段を三段飛ばしで登っていって三階へ。そして廊下のちょうど真ん中にある、両開きの大きなドアで立ち止まった。
そっと耳を澄ませばがさがさと物音がした。中にひとがいることを確信したテイオーは、満面の笑みを浮かべてその扉を勢いよく開いた。
「カイチョー! 聞いて聞いて、今日抜き打ちテストがあったんだけどさあ……って、あれ?」
しかし生徒会室に入ったテイオーは、ドアを開いたままの体勢できょとんと目をしばたかせた。
部屋の中央に、いつもは生徒会室にないものがある。そしていると思っていた人物が見当たらない。でも音はした。給湯室だろうか。
「テイオー! 部屋に入るときはノックをしろと言っているだろうが!」
「わわっ! 笹からエアグルーヴが出てきたあ!?」
壁で仕切られている部屋を覗こうとした途端、緑の葉っぱの向こうから突如人影が現れた。テイオーはぴゃっと飛び上がるが、怖い顔をして眉を吊り上げているエアグルーヴに慌ててごめんなさい、と謝る。
このまま追い出されたらたまったものじゃない。まだ目的も果たせていないのに。
「と、ところでそれってさ、もしかして七夕のやつ? 生徒会用で飾るって言ってた……」
「ああ、その通りだ」
声と共に再び笹の奥から誰かが顔を出した。誰かなんて、声だけでもうわかっていたけれど。
「カイチョー!」
テイオーはぱっと目を輝かせる。テイオーが生徒会室を訪れたのは、何を隠そうこのウマ娘──シンボリルドルフに会うためだった。なんだったら今日だけではない。というかここに来る目的のほとんどはルドルフに会うためだったりする。
一日一カイチョー。それがテイオーの元気のヒケツなのだ。
「こんにちは、テイオー。それからノックは勿論だが、ドアもきちんと閉めるように」
「あ、そうだった。えへへ、忘れてた」
やんわりと窘められ、テイオーは照れたように頬を掻いてから静かにドアを閉める。それからくるりとルドルフたちを振り返った。
「ねえねえ、ボクのお願いごと、もう見てくれた? 青い短冊に書いたヤツ!」
そわそわと尻尾を振りながらそう尋ねれば、ルドルフは柔らかい笑みをテイオーに向けた。
「ふふ、これのことだろう?」
言いながら、ルドルフは会長席に置かれていた短冊の一枚を見せてくれた。テイオーはぴょんと近付いて細長い紙を見る。
『カイチョーと併走できますように!』。そう願いごとが書かれた青色の紙は、まさしくテイオーが飾った短冊だった。
「そうそれ! ボクのお願い、いつ叶えてくれる?」
「待て。それについて、ちょうどお前に忠言しようと思っていたところだ」
ルドルフが気付いてくれていたことに喜んでいたテイオーは、けれど横から水を差すようなことを言われてむっとエアグルーヴを見上げた。
「え~、何でさ? だってこれは、カイチョーへのお願い事を書いていい笹なんでしょ?」
「違う! 『生徒会への要望』を書くための笹だ、これは!」
別にどっちでもいいじゃんか、と唇を尖らせる。どうせ見るのはルドルフたちなのだ。生徒会への要望も、ルドルフへのお願いも似たようなものだ。
エアグルーヴってば頭カタいなー、なんて思うが、それを言ったら確実にお説教コースまっしぐらなので口にはしない。
こっちだって叱られたくて叱られているわけじゃない。どうせなら褒めてほしい。叱られるよりも褒めて伸びるタイプなのだ。
「まったく……短冊は果たし状ではないんだぞ。目安箱アプリといい、仕分けるこっちの身にもなれ」
「だってえ……最近、カイチョーと全然おしゃべりできないんだもん」
もちろん、夏合宿前は生徒会が忙しくなるのは知っている。というか忙しくないときがないくらい忙しいのもわかっている。
でもそんなことを言っていたら、いつルドルフと走ったり遊んだりできるかわからないのだ。だから、チャンスがあったら飛び込んでいくくらいでないと。
だって空いている日はいつかと聞いて、平気で一か月後だなんて言ってくるのがルドルフなのだから。だからテイオーは、ルドルフに会えそうな時があればすぐさま行動に移して会いにいくのだ。そうでもしないとおしゃべりなんて滅多にできないのだから。
「まあまあ、エアグルーヴ。確かに我々の求めていた生徒会の要望とは異なるが、技芸上達を願う七夕の主旨としては間違ってはいまい」
「会長……」
「これも私たちに対する期待や要望の表れ。そう思えば感慨無量、こんなにも嬉しいことはないさ。君とて、誰か見当がついている短冊に関しては、相手をする心積もりなのだろう?」
ルドルフの指摘に対して、それは、とエアグルーヴは口ごもる。図星らしいことは、その反応でテイオーもわかった。
ちらりとソファを挟んで設置してあるテーブルを見れば、エアグルーヴ宛ての短冊があるのを見つけた。そこに書かれた願いごとは、テイオーが書いたものとよく似た果たし状みたいな短冊だった。
その横にはブライアン宛てのもある。一番上の黄色い短冊はすぐにぴんときた。絶対マヤノトップガンだ。
何だ、みんな考えることは同じじゃん、とテイオーは口の端を上げ、しかしすぐに半眼になる。
──これボクだけ怒られ損じゃない?
みんなだって同じことやってるのに。何だか理不尽だ。まあエアグルーヴだったら、短冊の相手を見つけたら走る前にきっと叱るのだろうけども。
短冊に願うくらいなら直接進言しに来い、年に一度と言わずいつでも受けて立ってやる、とか。うん、言いそうだ。
「そういうわけだ、テイオー。君の願い事は、私が責任をもって叶えてみせよう」
「ほんと!? わーい! 約束だからね、カイチョー!」
「ああ。できるだけ近日中に」
「やったー! えへへ……楽しみだなあ」
けれど、そんな不満もルドルフのOKの一言で瞬く間に吹き飛んでいった。「甘いんですから……」と呆れたように呟かれたエアグルーヴの一言に、ルドルフは気まずそうに少し耳を垂らす。テイオーはただただ嬉しくてにしし、と笑う。流石カイチョー。やっぱり優しく大好きだ。
「ボク、カイチョーと走れるならいつでもオッケーだから! だからいつか決まったら、すぐに教えてね! LANEとかでもいいから!」
ぐっと両手を握りながらやる気満々にそう言えば、ルドルフは苦笑い気味に「わかったよ」と頷いた。そんな顔もカッコいい。
これでルドルフといられる時間ができた。併走に付き合ってもらったあとは、一緒にはちみーも飲んでもらおう。それともアイスにしようか。アップとダウンも一緒にできたらいい。どうせなら他のトレーニングも一緒にしたい。それからそれから。
逸る気持ちのままに早くもそんなことを考えはじめる。ルドルフと一緒にしたいことをぽんぽんと思い浮かべながら、テイオーはわさわさと細長い葉っぱと短冊を付けた笹を眺めた。
テイオーと会話をしている間も、二人は笹から短冊を丁寧に取ってテーブルに仕分けていた。テーブルや執務机の上には、笹から外されたカラフルな紙が綺麗に積まれていた。
きっと要望ごとに分けられているのだろう。それくらいは想像がつく。あんまり見ると怒られそうなのですぐに視線を前に向けた。
かさりかさりと乾いた葉っぱの音が、テイオーの耳を揺らす。教科書をめくる音とちょっと似ていて、違う音。いつもの生徒会室とは違う音。
笹と短冊と、ルドルフとエアグルーヴ。それらを交互に見つめて、ふいに思った。
「なんか、織姫と彦星みたいだね。カイチョーたち」
ぽつりと呟いたテイオーのひと言に、二人は驚いたように目を丸くした。しかしテイオーはちょうど笹の葉に飾られた織姫と彦星を見ていて気付かない。この飾りは誰が折ったのだろう。やっぱり会長たちだろうか。
「だってそうでしょ? 笹に飾ったボクたちのお願いを、カイチョーたちが叶えてくれるわけじゃん」
揃って働き者なところも似ている。ブライアンは違うけども。でもブライアンにはブライアンにしかできない仕事をしているとルドルフが言っていたから、いつもサボっているわけじゃないのだろう。結婚したらめっきり仕事をしなくなったという部分については、三人とも全然想像できないが。
そうだ、とテイオーはあることを思い出して、二人に目を向ける。そしてぱちりとまばたきをした。
「どうしたの、二人とも?」
いつの間にかあらぬ方向に目を逸らしているルドルフとエアグルーヴにそう問えば、二人して何でもないと首を横に振った。何でもない感じじゃなさそうだが。何というか、ビミョーな空気が流れている。
何だろう。ボクなんか変なこと言ったっけ。
さらに首を捻っていると、ところで、とルドルフがテイオーに視線を向けた。やっぱり笑顔がぎこちない気がする。
「先ほど、何か口にしかけていたようだが……何事かを尋ねるつもりではなかったのかな?」
けれどそう話を振られ、テイオーはあっと声を上げた。その拍子に違和感も頭の外へと転がっていってしまう。
だからほっと胸を撫で下ろしたエアグルーヴにも、テイオーは気付かないままであった。
「そうそう。カイチョーとエアグルーヴならさ、好きなひとに年に一回しか会えないってなったらどうする?」
「それは……織姫と彦星の物語から、かな?」
「うん、そう。ボクだったら天の川なんて飛び越えて、ぴょーんって会いに行っちゃうのになーって思ってさ。会長たちだったら、どうするかなって」
さっきも思ったが、そもそもルドルフもエアグルーヴも、好きなひとに夢中になって仕事をそっちのけにする、なんてことはしないと思うが。それはとりあえず隅っこにぽいっと置いておくとして。
二人だったら自分と同じ答えなんじゃないかな。そんな期待を込めながら、思案しているルドルフたちを見つめる。
少しだけわくわくしながら待っていると、先に口を開いたのはルドルフだった。
「そうだな……私であれば、天の川に橋を架けるか、その代わりになるようなものを作る試みをするだろうな」
「へ? 橋?」
何で? とテイオーは首を傾げる。
飛び越えればすぐ会いに行けるのに。何でそんな遠回りなことをするんだろう。
そう考えているのが顔にも出ていたようだ。ルドルフはテイオーを見つめて楽しげに目を細めて、再び口を開いた。
「テイオーの言う通り、我々ウマ娘のように抜山蓋世(ばつざんがいせい)の力があれば、天の川を飛び越えることもできるやもしれん。だが、そうはいかない者たちもいるだろうからね」
その説明になおも疑問符を浮かべるが、エアグルーヴは違ったようだ。ああ、と納得したように声を上げ、それから笑みを浮かべる。
「天の川を隔てて織姫と彦星が暮らしている場所には、他の住人たちも暮らしている可能性がある。だから他の者たちも川を渡れるように、カササギで渡る以外の手段を作ると」
「ご明察の通りだ。それに天の川で隔てられているということは、互いに交流もなかったはずだ。かつ、隔絶されたゆえに独自の文化が築かれている可能性も高い。であれば、貿易という点でも非常に価値があるはずだ」
「一挙両得、というわけですか」
二人の話を聞いて、テイオーもやっとルドルフの意図を理解する。でもちょっと、おとぎ話にしては夢がないというか……ロマンがない。エアグルーヴもそう思っているのか、苦笑いの顔でルドルフを見つめていた。
でもその表情は、すぐにルドルフと同じような顔つきになる。真面目で、真剣で、それでいて活き活きとした顔。
そう、まるで生徒会や、レースのことを考えている時と同じような。
「では、私も対岸から橋を架けましょう。牛がいるくらいですから、鳥などの生物もいるかもしれません。伝書鳩のようなものも存在していれば、互いの状況を知ることもできます」
「紙はあるかな? 筆があれば可能性はあるが……」
「紙がなくとも、方法ならいくらでも。例えば織った布に刺繡を施せば、手紙代わりにもなりましょう」
「なるほど、それは妙案だ。では私は、牧草で紙が作れるか試してみるか。いや、もしくは墨の原料を探して……」
いつの間にか二人で話が盛り上がっている。おとぎ話がどんどん現実的な話になっていく様子を、テイオーは呆気に取られて見るしかなかった。
しかし、生徒会室のドアが開いたことでその硬直から解き放たれる。
「──おい、残りの笹も回収してきたぞ……何の話をしてるんだ、こいつらは?」
「あ、ブライアン。えっとね、織姫と彦星の話。なんかお仕事の話っぽくなってるけど……」
わっさりと笹を肩に担いだブライアンを見上げてから、再びルドルフとエアグルーヴへと視線を戻す。話は手紙のやり取りから、橋を架けるための人員確保だとか、天帝への交渉だとかの話に変わっていた。というか神様に交渉って何だろう。
「っていうか、何で二人とも自分とどっちかが織姫と彦星ってことで話してるんだろ? ボク、『もし好きなひとに会えなかったら』ってことしか、言ってないんだけど……」
「そういうことだろ」
「え、どういうこと?」
意味がわからず尋ね返したら、ものすごく面倒くさそうな顔をされた。無言で笹を置いたブライアンは、テイオーの疑問には答えずすぐに背を向けてしまう。
「え、なになに、どういうこと? ねえってば!」
「知るか。自分で考えろ」
「わからないから聞いてるんじゃんかー! 待ってよブライアン! 教えてよー!」
さっさと出て行くブライアンをテイオーは追っていく。扉を閉めるときも、ルドルフとエアグルーヴは天の川への橋を架けることについて熱心に話し合っていた。

結局ブライアンには、その意味の真相を聞くことはできなかった。代わりに併走してやるという代替案にまんまと釣られたテイオーは、その日のうちにすっかり忘れてしまったのである。
けれど約束の併走の日、テイオーはちょうど思い出した。もちろん思い出しただけで終わるテイオーでなく、再び頭をもたげた好奇心のままにルドルフに問いかけたのだ。
そして時間差かつ完全なる不意を突かれて追及を受けたルドルフは滅多に見ないほどに動揺し固まり、どう誤魔化そうかと品行方正を志す生徒会長にあるまじき思考を必死に巡らせたのであった。





抜山蓋世(ばつざんがいせい):山を抜き取るほどの力と、世をおおい尽くすほどの気力の意から、威勢がきわめて強く、元気が非常に盛んであること

ーあとがきー
折角七夕っていうロマンチックな題材なのに甘さの欠片もなくなってしまった。私が書くと仕事の話ばっかりしてしまう。
結ばれるのとはまた別として、二人で仕事することが当たり前になってたらいいなって思います。生徒会業務を行うとき、もっと先の未来で就職しているとき……業務内容とか、会長ありき、右腕ありきでお互いに考える癖がついてたらいいなぁと。あわよくばそこに片腕もいたらいい。生徒会三人が好きです。

相手を愛するあまり他のことが目に入らなくなった織姫と彦星、お互いを気遣うあまり自分が頑張らなければと余計頑張ったり負担を減らそうとしゃかりきになっていた会長と右腕。どっちも大切に想う気持ちは一緒で、対極的に見えるけど誰かを強く想って視野が狭くなってるっていう点は同じだなと思います。

あと会長と右腕を織姫と彦星に例えるなら、個人的には織姫が会長で彦星が副会長なイメージです。職業的に。ひたすらに織物(土台)を作る会長、牛(後進)を立派に育てる右腕。
ちなみに五色の短冊にはそれぞれに意味があるそうで、その色の意味にあった願いを書いていたそうです。青(緑)は仁。人間力を高める意味合いで、人間的な成長を願うときに使う短冊なのだとか。色の元ネタは陰陽五行説らしいです。



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