右腕と杖



同じ場所に並び立って、共に夢を追いかけたい。
だからあなたを支えたいと、強く望むのだ。


今日の授業を終えて教室を出ると、早々に生徒に囲まれた。彼女たちはエアグルーヴに駆け寄るや否や、口々に様々な相談事を持ちかけてくる。
もはや日常茶飯事の光景だった。エアグルーヴはそれぞれの案件に対応しつつ、足早に廊下を走る。
「流石に多いな……感謝祭前だから致し方ないが」
しかも今年はわけが違う。トレセン学園で毎年行われるファン感謝祭は、今回は"大"感謝祭として開かれることになっている。つまり規模を拡大して開催するのだ。
これは今年のウマ娘界隈の盛り上がり具合や、それに伴い例年以上の来客数を見越してのことであった。去年より長く準備期間を設けているのだが、新たな試みを加えた催しであるだけに、主催である生徒会は多忙を極めていた。
(だが……)
エアグルーヴは眉間にしわを寄せかけ、はっと我に返って首を振る。もうすぐ生徒会室だ。こんな顔を見せてはならない。
燻ぶる感情を鎮めるために一呼吸置いて、『生徒会』と表記されたドアの前に立つ。すると、丁度内側から扉が開いて特徴的な白い三日月が目に飛び込んできた。
「おっと……ああ、エアグルーヴか。すまない」
「いえ……お疲れ様です、会長」
生徒会室から出てきたのは、たった今頭に思い浮かべていたその人であった。一瞬驚いた顔をしたあと、シンボリルドルフは困ったような微苦笑をエアグルーヴに向ける。
「どちらへ? 何かトラブルでも起こりましたか?」
「いや、トラブルというほどでもないよ。出店の配置について、少々揉めているみたいでね。少し出てくる」
「……承知しました」
それなら私が、と口をついて出そうになった言葉を、エアグルーヴはぐっと耐えた。そう言ったところでやんわりと断られる。それが目に見えていたからだ。
ルドルフはこちらを窺うようなちらりと視線を向けていたが、やがて諦めたように目を伏せて去っていく。
軽く会釈をしてから、エアグルーヴは姿勢よく駆けていく背中をそっと見送る。
(……我々の仕事など、会長に比べればよほど少ないのだろうな)
先ほど呑み込んだ苦い思いが、再び胸に湧きあがる。そこに感じるのは頼もしさではなく、強い憤りややるせなさが占めるばかりだった。
「……不甲斐ないな、本当に」
悔しい思いを吐き出すようにため息をつき、かぶりを振って切り替える。今は嘆いている場合ではない。とにかく業務だ、と気合いを入れ直して生徒会室に入る。
「お、こんにちは、エアグルーヴ」
誰もいないと思っていた生徒会室には、思わぬ人物がいた。
耳と尻尾のない容姿に、パンツスタイルのスーツを纏った女性。ルドルフの専属トレーナーだ。
「……こんにちは。先ほど会長が出ていきましたが、あなたはついていかなくていいのですか?」
「うん、今回はね。留守番兼書類整理を任されたから」
そう言ってへらりと笑う。緊張感のないその顔に、エアグルーヴは無性に腹立たしい気分になった。このトレーナーは、ルドルフが偉業を成し遂げるための重要な岐路に立っていることを十全に理解しているのだろうか。
「エ、エアグルーヴさん? そんなに睨まれるとおっかないのですが……?」
どうやら苛立ちが顔に出ていたらしい。口の端を引き攣らせるトレーナーを見て、エアグルーヴはふんと鼻を鳴らす。
「元からこういう顔つきです。それより整理済みの書類はどちらですか?」
「あ、こっちの山」
言って、彼女はエアグルーヴの右手側にある山々を指さす。自分でも決裁可能なものはどれかと視線を巡らせていると、会長以外でも対応可能な書類はこれだと複数の紙束を示された。
エアグルーヴは向かいのソファに腰を下ろし、吟味しつつ迅速に目を通していく。タイムテーブルの最終稿、掲示板の配置、器具の発注書。やはり感謝祭関連の事項が多い。
ルドルフが戻るまでに、ある程度は片付けておきたい。独りで全てを背負い込もうとする彼女の負担を、少しでも軽くするためにも。
(これ以上、抱え込まれてたまるものか)
自然と指先に力がこもる。ちらりとこちらを窺う視線を感じたが、それを黙殺して業務に没頭した。
──私は、我々は幼子ではない。
おそらく真意は伝わっていない。未だ自分たちを頼ろうとしないのだから。
信じるに値する存在なのだと示したい。てらいなく背中を預けてもらいたい。──だのに。
どうしたらそれを、彼女は理解してくれるのだろうか。

「──エアグルーヴ」
黙々と作業を続け、いくつかの山を片付け終わって息をついたその時、ふいに向かいから声をかけられた。
「ルドルフは、エアグルーヴのことが頼りないから頼らないんじゃないよ」
気負いない調子で、しかし内心を見透かすようなタイミングでぽんと告げられた言葉に、エアグルーヴは弾かれたように顔を上げる。
彼女は手を止めて、真っ直ぐにエアグルーヴを見ていた。
「あなたは、彼女にとってなくてはならない存在だ」
そうして真剣な眼差しのまま言った。言い切った、といった方が正しい。
だがエアグルーヴはその台詞に、奥歯を噛みしめて彼女を睨みつけた。鏡を見ずとも耳が後ろに伏せたのがわかった。
「ふざけるな。何を根拠に、そんな戯けたことを……!」
口をついて出た声は怒りに震えていた。彼女が敬愛するルドルフのトレーナーであるにも関わらず、エアグルーヴは敬語も忘れて怒声を放つ。
下手な慰めだ。でまかせだ。己がそんな存在であるなら、何故彼女は今も独りで前に進もうとしている。
「本当だよ。それは断言できる。まぁ、私に関しては実際に頼りないんだろうけどさ」
そう言い添えて頬を掻くトレーナーに、違う、と唇を噛む。逆だ。彼女は信頼されている。
トレーニング然り、生徒会の手伝い然り、彼女が提案すれば、ルドルフはそれなりに素直に応じる姿勢を見せる。それが信頼の証左でなくて何になるだろう。
有馬記念が開催された年末、体調不良をルドルフに見抜かれ、このトレーナーに自分のことを任されたときなど、内心ではかなり堪えた。信頼の差が浮き彫りにされたとさえ思った。
「エアグルーヴ……?」
俯いた頭に、気遣わしげな声音が降ってくる。
「……ならば、ならばなぜ、会長は我々を頼らない? 我々が躓くと、ただひたすらに守ろうとする?」
エアグルーヴは苦み走った舌で呟き、顔を歪ませた。
──『……──侮るな』
先日、ルドルフに向けて言い放った非難が脳裏によぎる。
そうだ。頼りにされているというのなら、自分たちをあれほど過保護に扱うはずがない。
頼らないのだ、彼女は。自分に、自分たちに。彼女が重要だと思う事柄の、その一切を他人に任せない。
元からそのようなきらいがあったが、デビューしてからはなおさら顕著になったように思う。他の者がどう思っているかは知らないが、エアグルーヴにはそれが非常に歯がゆい。
生徒会長である彼女は、誰よりもこの大感謝祭の成功を願い、そのために力を注いでいる。ウマ娘界隈を更に盛り上げるため、ひいては全てのウマ娘のために。
だが、それはエアグルーヴとて同じなのだ。それなのに、ルドルフは己の力のみで全てを成そうとする。
それがエアグルーヴの杞憂でないことは、先日の保健室の一件で明らかだった。
支えたいと思う。共に夢を追いたいと思う。
なのに、肝心の彼女が頼ってこない。それは何故かと問えば、答えなど明白だ。
「信用されていないんだ、我々は……私は」
自然と耳が前に垂れる。膝の上に置いた両手は、知らぬ間に強く拳を握って震えていた。
自分は同志ではなかったのか。副会長で、あなたの右腕ではなかったのか。
そんな憤りが胸の中に渦巻き、ともすればルドルフに当たってしまいそうになる。実際に溜め込んでいた不満をぶつけてしまったのがつい先日だ。
歯がゆい。悔しい。不甲斐ない。腹立たしい。
何故ルドルフに対して、ここまで強い感情を抱いてしまうのかわからない。わからないが、胸をかきむしりたくなるほどに辛いと思うのだ。
彼女に信じてもらえない。ただ、それだけで──。
「それは違うよ」
ぽんとかけられた言葉に、エアグルーヴははっと顔を上げる。
前を向けば、声の主は苦笑いを浮かべて違う違う、と首を横に振っていた。相変わらず緊張感の欠片もない。
何が違うというのか。不満を含んだ疑問はまた表に顕れていたらしい。落ち着けとでもいうように彼女は「まぁまぁ」と呟きながら両手を前に出す。
「私も、最近になってやっとわかったんだけどさ……ルドルフが信じられないのは、自分自身みたいなんだ」
「会長が、ご自身を……?」
あれほどの実力を持ち、そして皇帝たろうと振る舞い、脇目もふらずに前を突き進む彼女が?
驚きに目を丸くすれば、向かいの彼女はうん、と頷いた。エアグルーヴよりも小柄であるのも相まって、そういった仕草をされると本当に年上なのかと疑いたくなる。
「自分は皇帝でなくてはならない。皆を幸福に導く存在であらねばならない。──だから、今の未熟な自分は信じられない。頼りにならないって、ルドルフはそう思ってるんだと思う」
しかしさらりと告げられたその推察に、エアグルーヴは頭が真っ白になるほどの衝撃を受けた。
「……何だ、それは」
つまりルドルフは、結果を出せていない自分に価値などないと、そう思っているということか。
一瞬で目の前が赤く燃え上がる。しかしすぐに我に返り、喉元までせり上がってきていたそれを鎮めるために額に手を押し当てた。
危うく反射的に怒鳴るところだった。本人不在で叱り飛ばすなど滑稽にもほどがある。
(理想たりえる未来の自分に信を置くから、今のご自身は信じられないと……周りもそうであると、そう思っておられるのか)
納得がいった。そうか。だから彼女は、独りで抱え込もうとするのか。
「……ふざけるな」
ぎり、とエアグルーヴは奥歯を噛む。違う。先日彼女に向けて放った言葉を、もう一度繰り返す。
──会長、やはりあなたは間違っている。
馬鹿にするな。そんなことでルドルフを尊敬しているわけではない。そんな浅ましい思いで傍にいるわけでは断じてない。
あなたの走りにひどく惹かれたから。語る理想に感銘を受けたから。
勇猛果敢に挑む背中を支えたいと、強く強く思ったから。だから共に歩みたいと。
「私は、会長の威光にあやかるために副会長の座を担ったわけではない……っ!」
湧き上がる激情を努めて抑えながらそう吐き出せば、うん、と向かいから短い相槌が返ってきた。落ち着き払ったその声に、頭に上っていた血が少しだけ鎮まる。
「そうだね。それは私も同じ。だけど、ルドルフはそうじゃないって思ってる。……それに加えて」
一呼吸おいて、トレーナーは言い重ねる。視線を上げれば、困ったような笑みを浮かべた顔がそこにあった。
「彼女は頼り方を知らない。何を頼ればいいのか、どう頼ったらいいのか、それがわからない。寄りかかり方というか、力の抜き方というか……そういうの、やったことないんじゃないかな」
それはあなたも一緒かもね、と彼女は目を細める。突然矛先を向けられて反射的に否定しそうになった。が、つい先日過労で倒れたことがある手前、口を噤むしかない。
ぼんやりしているように見えて、意外とよく見ている。指摘も存外に鋭い。なるほど会長が買っているわけだ。
しかし、とエアグルーヴはゆっくりと瞼を閉じた。自分の中でようやく明確になったシンボリルドルフという人物像に、呆れ混じりのため息がこぼれる。
あの方は、なんと傲慢で、自信家で……臆病で、不器用な人か。
「……失望した?」
窺うような問いかけに、エアグルーヴは目を開ける。尋ねてきたトレーナーは、しかし既に答えなどわかっているような顔で自分を見上げていた。
それが少しばかり癪で、呆れはしたな、とエアグルーヴは悔し紛れにそう返す。
「だが、それがどうした。会長とてひとりのウマ娘だ。その程度のことで不信を抱くなど……ましてや見限るなどするものか」
力強く言い放てば、ルドルフのトレーナーは満足そうに笑った。そっか、と返ってきた相槌はやはり呑気そのものだった。
「じゃあこれからもさ、ルドルフのこと、一緒に支えてくれるかな?」
重ねてそう尋ねられる。捉えようによっては厚かましく、そして情けなささえ感じる台詞だ。
それがプロ資格を持つトレーナーの言うことだろうか。トレーナーでもなんでもない一介のウマ娘に、それも一回りは年下であろう小娘相手に。
だが、心はそれを誠実と判断した。故にエアグルーヴは、愚問だと言わんばかりに不敵な笑みを浮かべてみせる。
それこそ、答えなど最初から決まっていた。
「言われるまでもない」
頼まれるまでもなく、エアグルーヴは己の意思でそうするつもりであった。
当然だ。今更だ。彼女の夢を知り、そして己の夢を打ち明けたその時から、既に心は決まっていた。
ルドルフが理想を駆け抜けるためならば、どんな苦労も惜しまない。
共に走る決意を、エアグルーヴはずっと己に課してきたのだ。それは今も、そしてこれからも変わらない。
「……ありがとう」
揺るぎない思いが伝わったのか、彼女は安心したように微笑んで頭を下げた。
そうしてすぐに顔を上げ、強い眼差しをエアグルーヴに向ける。
「今は視野狭窄に陥ってるけど、彼女は紛れもなく皇帝だ。だからきっと、気付いてくれる」
確信的な口調に、無論だと同意する。ルドルフがこの程度の些事で躓くはずがない。
「あなたが横っ面をひっぱたいてくれたおかげだよ。いいきっかけになった。その調子でこれからも皇帝殿の手綱をしっかり握っててね!」
「おい、それはお前の仕事ではないのか?」
「自信がないからエアグルーヴさんにも頼んでます」
「威張ることか。まったく……」
確かに彼女が立ち止まったとしても、右腕の矜持を持ってその胸倉を掴み上げて立ち上がらせ曇った目を覚まさせてみせる心積もりではあるが。だからと言って最初から他力本願なのは如何なものか。
ルドルフの専属トレーナーだというのに、もうすっかり敬語が抜け落ちてしまった。今さらそのことに気付くが、もうかまわないかと思った。
現に相手は気にした素振りもなく、ソファに寄りかかりながらへらりと笑っていた。
「そもそも心配することと、相手を弱いと思うことはイコールじゃないのになぁ。エアグルーヴだって、ルドルフを心配するのは、彼女が弱いからってわけじゃないでしょ?」
「当たり前だろう」
「ね? ルドルフもそうなんだよ。その人のことが大切だから、支えたいから。だから無理をしてたら止めたくなる。恋人相手ならなおさらだよ」
「それは………………──ん?」
ルドルフも同じというのはどうなのだろう。そう口にしようとして、妙な引っかかりを覚えてエアグルーヴは眉を寄せた。
今、何かとんでもない言葉が混じっていたような。トレーナーの台詞を反芻して、そして気付いた瞬間ぶわりと尻尾が逆立った。
「うわっ!? あ、あぶな……!」
「たっ……たわけ! 誰が恋人だ!」
勢いよく立ち上がって猛然と異を唱える。その拍子にぐらりと傾いた書類の山を慌てて押えていたトレーナーは、心底驚愕した面持ちでエアグルーヴを見上げてきた。
「えっ違うの!? うっそ、てっきりそうなのかと……」
「どこをどう見たらそうなる! 貴様の目は節穴かっ!」
「いやどこをどう見てもそうだと思ったからなんだけど……あ、いやうんごめん勘違いした私の目が節穴でした! だから落ち着いてください女帝様! 書類が! 折角仕分けた書類が崩れるぅーっ!」
「すまない、遅くなっ……トレーナー君、今の悲鳴は?」
阿鼻叫喚の声が響いたところで生徒会室のドアが開いた。届いた声に耳がぴくりと震える。
おそるおそる首を動かせば、ドアノブに手を掛けたまま目をしばたかせるルドルフがそこにいた。
「ええと……どうかしたのか?」
「い、え、何でもありません」
首を傾げる彼女に、エアグルーヴは慌てて否定の言葉を返した。
そうだな? と未だ書類に覆いかぶさっているトレーナーに無言で釘を刺せば、彼女はひたすらこくこくと頭を上下させた。
冷汗が止まらない。タイミング的に聞かれてはいないはずだと自分に言い聞かせるが、そのせいで先程のトレーナーの言葉まで思い出してしまい、不覚にも頬に熱が集まるのを感じた。
「ブライアンを探してまいります!」
「あ、ああ」
このままここにいてはまずい。本能的にそう判断したエアグルーヴは、ルドルフに追及される前に生徒会室を出ていったのだった。



──どうしようかなこの状況……。
エアグルーヴが消えていった扉を見つめながら、私は静かになった生徒会室で顔を引き攣らせていた。流石女帝と名高いウマ娘、いい感じな足の仕上がりだなぁなんて駆ける音を聞いているのは現実逃避だ。
だって会長様の背中が怖い。
「……トレーナー君、本当に何もなかったのか?」
「う、ん……ちょっと世間話をしてただけで……」
「それにしてはエアグルーヴが動揺していたように感じたのだが?」
「ルドルフさん、目がおっかないよ……」
こっちに向けられた綺麗な赤紫がすぅ、と細くなる。そんなレースばりの顔をしないでほしい。あなたの視線は本気で刺さるから痛いんだって。ほんと怖い。
そんなことを思いつつも、あーなるほどそういうことか、と私は自分が勘違いをしてしまった原因を悟る。そのおかげで少しだけ冷静さを取り戻せた。
「本当だって。エアグルーヴだってそう言ってたでしょ? 彼女が嘘をつくような娘こだと思う?」
「それは、まぁ、そうだが……」
そうしてウィークポイントを突けば、彼女の鋭い眼光が揺れて少し弱くなった。わかりやすいなぁ。今は余裕がないから余計なんだろうけど。
緩みそうになる口元を必死に我慢して、至って真面目な顔をして彼女を見上げる。いや半分は本当に切羽詰まってるだけなんだけど。
「そして私の悲鳴の理由はこれです。ちょっと元に戻すの手伝ってほしい」
「……わかったよ、この話は終わりにしよう」
さっきからへっぴり腰で山崩れをせき止めている私を見て、とりあえずは納得してくれたらしい。ルドルフは苦笑いをこぼして、傾いた書類の山を真っ直ぐに整えてくれた。
「ありがとう。とりあえずこれとこれはエアグルーヴが決裁までやってくれたよ」
「了解した」
「出店の方は大丈夫だった?」
「ああ、無事に解決したよ。とりあえずゴールドシップは焼きそばを売り歩く方向に落ち着いた」
「うんん? え……っと……それはよかった、ね……?」
そんなちょっと何言ってるかわからない会話を交わしながら、また黙々と作業を始める。エアグルーヴが片付けてくれたおかげで、ある程度目途が立つくらいになっていた。この調子なら今日のトレーニングは予定通りにできそうだ。
つらつらと頭の中でスケジュール帳をめくっていた私は、ふと契約相手のウマ娘を盗み見る。さっきまでエアグルーヴが座っていた場所に腰を下ろした彼女は、恐ろしいほどの手際でさくさくと山を減らしていっていた。
(私が勘違いしたの、絶対ルドルフの態度のせいだよなぁ……)
もちろん、エアグルーヴに対しての、だ。元来のものか、それとも成長過程で身についたのか、ルドルフはとても過保護な性格をしている。『世話好き』ではなく『過保護』だ。
そしてエアグルーヴに対してだけは、過保護を通り越して執着にも似た何かを私は感じていた。
ルドルフは、いつだってエアグルーヴが無理をしていないからとしきりに心配している。応援に駆けつけてくれたらとても嬉しそうに出迎えて、応援に来てくれなかったらわりとわかりやすく落ち込む。
極めつけは彼女が過労で倒れた時だ。こっちが驚くほど一瞬で血相を変えて、私を半ば置き去りにして保健室へと駆けつけていっていた。
(だから付き合ってるのかと思ってたんだけど……)
というかそんな姿を間近で見てたら誰だってそう思うんじゃないだろうか。これ私悪くないんじゃ。
けれど結局それは思い違いだったわけで、つまり彼女の片想いというわけだ。
でもエアグルーヴの反応を見た感じだと、完全な一方通行というわけでもないのかもしれない。そして本人たちにその自覚は多分ない。
うわすごい。青春だ。目の前で青い春がはじまっている。甘酸っぱいというか何かほろ苦くなりそうな気配がするけど。流れるようにそう思った自分に歳を感じてちょっと侘しくなった。
でも無自覚でこんな独占欲見せてくるってどうなんだろう。思わず真顔で首を傾げると、ルドルフが書類から顔を上げてこっちを見た。
「どうした、トレーナー君。何か不明な点でも?」
「……ルドルフ、もし悩み事ができたら、ちゃんと私にも相談してね」
「うん……? ああ、もちろん。君は私のトレーナーだからな」
「うん、約束ね」
きっとわからないだろうなと思いながら伝えた言葉は、案の定伝わっていなくて。そしてわからないことをいいことに、疑問符を浮かべながらもそう答えたルドルフからこっそりと言質を取る。
それは野次馬根性からのものではない。微塵も、というわけではないけど。大部分は仲間として、相棒として、そして彼女より少しだけ人生経験を積んだ先輩として、その背を押したいと思ったからだ。
(だって、応援したいじゃないか)
幼い頃から上に立つ者として、厳しく躾けられたという彼女。きっと子供の頃から期待されていることをきちんと理解して、だから両親にも甘えてこなかったのだろう、子ども時代を置き去りにして駆け抜けてきた少女。
そんな彼女が、芽生え始めた気持ちに、年相応に振り回されている。そんな微笑ましくも危なっかしい一面に気付いてしまったら、全力で応援したくなるのも当然の流れというものだ。
威風堂々と頂点に君臨する皇帝の姿も、ひとりの少女として鮮やかに花開く瞬間も、私はどっちも見てみたいから。
だから私は、これからも重責を己に課して、背伸びをし続けるだろう少女の幸せを願う。そしてそんな些細な悩み事を話し合えるくらい、彼女の信頼を勝ち取りたいと強く思った。
まぁでも、まずは皇帝としての彼女の目を覚まさせるのが先決だけども。でも、それはもう大丈夫だ。
私だけじゃない。何よりも心強い右腕が、こっちにはついているのだから。
「よし、これ片付けてさっさとトレーニングに行こう!」
ぐっとガッツポーズをしながらそう言えば、彼女はその整った顔をきょとんさせたあと、すぐに強気な笑みを浮かべて頷いた。
「ああ、そうだね。一意専心、一気に終わらせてしまおう」
とりあえず目の前の紙の山をやっつけて、疲れの溜まっている彼女を少しでもはやく休めなければならない。多分また無理をしてしまうんだろうけど、何も対策をしないよりかはマシなはずだ。
ルドルフが本当の意味で、私を頼ってくれるようになるまで。それまでは、どうにか気付かれない範囲で奮闘するしかない。
今日も今日とて我らが皇帝を支えるために、私は書類に向かってラストスパートをかけた。




あとがき
初書き。まさか何気なく聞いたうまぴょい伝説がこんなに深い沼だとは思わなくて頭抱えながらとりあえず自分の中の二人の像をどうにか形にしときたくて書いた話でした。
皇帝育成シナリオがあんまりにも衝撃的すぎた。 [戻る]