オルティシエにて


偶然に偶然が重なった。帝国領地とはいえ、まさか彼女とこんなところで会うことになるとは。
「王子達は?」
別に隠す必要もないため自由行動中だ、と返すと彼女は吹き出した。満喫してるねぇ、とくすくすと笑う姿に、何となく居心地が悪くなりながらこちらも疑問を口にする。
「あなたの方が何故ここに……」
「そりゃあ溜まってる有給使ってに決まってんでしょ」
どんどん溜まるわけでもないのに使わなきゃ勿体ないじゃない。白いテーブルに両肘をついてきっぱりと言い切る。確かにその通りだ。


以前会った時とはまるで違う服装。下ろされた銀の髪。気を緩めた雰囲気。楽しげな表情。その後ろにはボートの浮かぶ青い海と賑やかな人波。
加えて周囲からは少なくはない視線を感じる。なるほど、これでは一人では落ち着いて食事もできないはずだ。
納得しつつも、視界に映る彼女が記憶と異なっていて戸惑う。店の隅に置かれたレコーダーから流れる、物静かな音楽すら落ち着かない。
偶然に偶然が重なった。帝国領地とはいえ、まさか彼女とこんなところで会うことになるとは。
「お待たせいたしました。ケーキセットでございます」
店員が落ち着いた動作で皿を置き、軽く礼をして下がっていく。ふいに昔、何かと世話になった料理長のことを唐突に思い出した。無事でいるといいのだが。
「この店、ケーキもかなり美味しいのよ」
「ここにはよく来るのか?」
「まぁね。あたしのイチオシ」
そう言って誇らしげに笑う。彼女の強気な表情は見たことがあるはずだ。あるはずなのだが、今の状況と垣間見える無邪気さがどうにも見慣れない。
そうか、と返して目を逸らし、誤魔化すように綺麗にカットされたケーキに視線を落とした。
手前にはミルフィーユ。奥には抹茶のタルト。中央にはブラックコーヒーが青空を映して静かに揺れている。
奢るからと断る間もなくアラネアが注文した品々を眺めて、確かにいい腕をしたパティシエがいるようだと感嘆する。見た目からして美味そうだ。
「まさかオルティシエで抹茶が使われているとはな」
「あ、これってルシス産?」
「それはわからないが、ルシスの名産だ。可能性は高いんじゃないか?」
「へぇ…じゃあよく味わって食べないとね」
「そう思いながら食べてもらえるのなら、作り手も本望だろう」
ミルフィーユをフォークで支えてナイフで切り分けながら思ったことをそのまま口にする。しかし一向に返事がない。
気になって顔を上げれば心なしかまばたきを多く繰り返してこちらを凝視していた。居心地の悪さに耐えかねて何だろうか、と投げかけると、どこか照れたように笑みを浮かべて彼女は口元に手を当てた。その顔も見慣れなかった。
大袈裟だと彼女は笑う。そんなことはない、と断言すると、何故か流石は王子の専属料理人だと即座に返された。専属にも料理人にもなった覚えはない。
互いにケーキを食しつつそんな会話を続けていたら、ふいに彼女の表情が変わった。それこそヴォラレ基地で、スチリフの社で、夜にシガイ共に囲まれた際に見慣れたほどに見たことのある、あの勝ち気に溢れた表情だ。
「メガネ君のミルフィーユも美味しそうね。一口もらってもいいかしら?」
何故このタイミングで。首を傾げる前に、正面からその表情に見合った声でそう問い掛けられた。
「ああ、かまわない。今切るから少し待ってく―――」
言い切る前に、いきなり襟元を掴まれて引っ張られる。ヒュゥ、と近くで楽しげに口笛を吹く音が聞こえた。
眼前の景色。口唇に触れる柔らかな感触。最後に撫でるように何かが触れて離れる。
勝ち誇ったように艶然と微笑む彼女を呆然と見つめて、中途半端に浮いた身体が勢いよく椅子を押し倒した。
「な、にをっ……?!」
滑稽なほど狼狽えた声が出た。言葉にすらなっていない。対して向かいの席の彼女はいつの間にか座り直してからからと笑っている。
―――からかったのか。
笑いごとだったのか、と勝手に機嫌が急降下する。おかげで冷静さも少し戻った。未だ肩を震わせて笑う彼女を尻目に倒した椅子を元に戻して座り直す。そこでようやく笑いが止まったらしい彼女がごめんごめん、と片手を上げて謝ってきた。
「冗談でも限度というものがあるだろう」
誠意の感じられない謝罪に思わず苦言を呈する。しかしアラネアは大して堪えた様子もなく、寧ろ更に笑みを深めてこう言い放った。
「あたしだって、冗談でもしたいと思う相手にしかキスはしないよ」
ガチン。
白い皿が大きな音を立てた。切っていたミルフィーユは、パイ生地の間からクリームが飛び出て無残な姿になっていた。
「で、どう?美味しかった?」
「……ああ」
「どっちが?」
「……ケーキが、だ」
「ふぅん、そう?」
思わずその弧を描いた艶のある唇に目がいってしまい、苦し紛れに眼鏡を掛け直した。


あとがき
ツイッターでイグアラ春祭りというものが開催されていた時に書いた話。


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