「あの方、ですか?」
『ああ。そちらに転がり込んでいたりはしないか?』
突如鳴り響いた電子音に急いでオーブメントを開けば、つい先日連絡を取ったばかりの人で、開口一番にあいつはいないかと尋ねられた。
慣れないせいか、声が耳元で聞こえてくるのが何故だかこそばゆい。
ユリアはその妙な動揺を鎮めるように一度まばたきをして、少し思案してからいえ、と口を開く。
名を聞かずとも、この人が捜す人物などひとりしかいない。
「まだ艦内にはいらっしゃっていませんでしたが……その、もしかして」
『……想像している通りだ。一瞬の隙をついて脱走した』
ああ、やはり。言葉と共に吐かれた盛大な溜め息に、笑い事ではないがつい苦笑いがこぼれる。途中、通信越しからでもわかるほどの怒りが伝わってきていたので予想はついていたが。
『あの阿呆め!よりによって初日に逃げ出す馬鹿がいるか…!』
一国の皇子に対してあまりの物言いだが、その人の苦労と皇子の性格を知っている身としてはお疲れ様ですとしか言いようがない。
「おそらくそれも考慮してのことなのでしょうね。何より実行してしまうのがあの方らしいというか……」
言いながら、ユリアはその探し人がいないかもう一度周囲を見回す。普段停泊することのない国外の空港は、観光客に混じって警備の者が厳重に目を光らせていた。
己の主を含め、今このクロスベル自治州には周辺諸国の首脳が集まっている。一般市民には申し訳ないが、物々しい雰囲気になってしまうのも致し方ない。
あまり不躾に見るのも失礼かと思い、すぐに視線を戻す。良くも悪くも目立つ御方だ。注意して見てもいないのなら本当にいないのだろう。
「今のところ空港にもおりませんね」
『そうか…あいつの中の良識や良心がほんの少しでも気まぐれに働いてくれていたら、と思っていたのだが……所詮願望だったようだ』
「…本当にお疲れ様です…」
額に手を当てて肩を落とす姿が容易に想像できて、今度はつい口に出してしまった。
土地勘のない、ましてや魔都などと物騒な別名で知られるクロスベル市だ。自分が同じ立場であったらと想像して、本気で背筋が寒くなってきたのでやめた。
皇子の影響か、リベールの異変以来外に出ることに積極的になってきているのだ。流石に無断で抜け出すようなことはしないが、正直気が気でない。
黙してしまった通信相手の向こうで、何かのアナウンスが聞こえてきた。次いで鳴り響くベルの音。あちらは駅にいるのだろうか。
『そういうわけでな。すまないが、場合によっては遅れるかもしれん。貴女の主にも申し訳ないと伝えておいていただけないだろうか』
そんなことをなんとなしに考えていたら、少しの間をおいて諦めたような悟ったような声でそう告げられた。
ユリアは思わず呆気にとられ、しかしすぐに気を取り直して慌てて口を開いた。
「それはかまいませんが…まさか、ひとりで捜しに行くおつもりですか?」
先程導力車から見た市街を思い出しながら尋ねると、間髪入れずにああ、と肯定が返ってきた。
『というのも、今自由に動けるのが自分くらいしかいなくてな。……護衛の人数を最小限に留めたのもこれが理由かと考えると余計腹が立つ』
「さ、流石にそこまではないのでは…」
苦笑しながら否定するが、可能性としてはありうるかもしれない。完全に違うと言い切れないのがあの御仁の恐ろしいところだ。
「ですが、やはりひとりでは無理があるかと…」
ただでさえ広い市街だ。それに通商会議の影響でそこそこ人の往来も激しい。
何より、皇子も彼が探しに行くことは重々承知しているはずだ。見つからないよう身を潜めている可能性もある。
自分の部下を回せればとも考えるが、皆クロスベル市を訪れるのは初だ。あまり効率よく動けるとは思えない。
この市の治安維持を担うクロスベル警察に捜索願いを出せば手っ取り早いが、この後の予定や立場を考えるとそうもいかない。
(せめて、土地勘のある者がいれば……)
あの人混みと多種多様な街並みのなかを、ただ闇雲に探し回るのは相当に骨が折れる。あの街に慣れている者ならば、ある程度の目処を立てて捜索できると思うのだが。
そう考えて、ふいにひらめく。
そうだ、あの組織ならあるいは。
「でしたら、『特務支援課』に依頼してみては如何でしょう?」
『特務支援課?今日の茶会の席に招待したいと言っていた、あの?』
「ええ。エステル君達の話ですと、人捜しの依頼も請け負っていると聞きましたから」
きっと捜索にも手を貸してくれるかと。そう説明すると、悩むように唸る声が聞こえてきた。
『だが、クロスベル警察のものなのだろう?あまり大事にはしたくないのだが…』
「警察といっても少々特殊な課のようです。事件の捜査以外にも、市民の要請に応じて物資の調達や配達、魔獣退治なども行っているとか」
『ほう…こう言ってはなんだが、遊撃士に近い仕事だな』
その言葉に、そうですね、とユリアも同意する。自分もエステルとヨシュアの二人から話を聞いたときは同じ感想を抱いた。
だが、遊撃士とはまた違った視点や考えを持ち、警察官だからこそ行える方法で事件を解決しているのだと。
自分達も学ぶことが多くあったと明るく話す二人を思い出し、口元を緩める。
そういえば、彼らが追っていたレンの捜索にも一役買ってくれたのだとも言っていた。
「ですからあまり目立つようなことはないかと思います。依頼人の情報も守秘をするでしょうし」
そこまで言って、一度口を閉じる。相手が考え込んでいるのを通信から感じとったため、ユリア自身も黙ったまま返答を待った。
左からは定期船が飛び立つ音が、右からは列車が駅に入ってくる音が聞こえてくる。
ふと、同じ街にいるのだなと、改めて認識する。リベールでもエレボニアでもなく、クロスベルという街に、歩けば会える距離に相手がいる。
不思議な感覚だ。しばらくは会えないだろうと思っていたから。
そして、それ以上に???。
『……そうだな。彼らも通商会議で多忙だろうが、依頼を出してみるか』
ふいに聞こえてきた低い声音に我に返った。
少し間が空いてしまったのだろう。どうした?と気遣う声に大丈夫だと急いで返事をする。
「では、特務支援課の連絡先をお教えしますね」
『恩に着る』
それ以上は言及されなかったことに内心ほっとしながら、いくつかの数字を言っていく。
言い終わると、雑音に紛れてカリカリと紙に筆記する音も止み、次いでもう一度礼の言葉が返ってきた。
『捕まえたらまた連絡をする。重ね重ね申し訳ない』
「いえ、無事に見つかることを願っております」
『ああ。あいつも貴女がたと話せるのを楽しみにしていた。いくら阿呆でもその約束を反故にはしまい』
少しだけ余裕が生まれたのか、どこかおどけたような口調に小さく笑みをこぼす。
手紙ではなかなかこうはいかないだろう。軍の通信機ともまた違う、より気軽な感覚が新鮮だった。
『また貴女と模擬戦でも行いたいが…今回はそうもいかないだろうな』
「ふふ、そうですね。ですが、いずれ是非」
『約束しよう。では、また後ほど連絡する』
「はい。お待ちしております」
互いに別れの挨拶を交わして、通信を切った。
ユリアは耳から離したオーブメントをしばらく見つめて、やがてゆっくりとカバーを閉じた。
また、後ほど。
その言葉に、心が浮足立っていることに気付いた。
そんな自分に苦笑いがこぼれる。どうやら思っていた以上に、面と向かって会えるのが嬉しいらしい。
あの出来事をカウントしていいものか迷うが、その際に会ってからそろそろ一年ほどは経とうとしている。定期的に連絡は取り合っていたが、実際に顔を合わせるのは本当に久方振りだ。
彼の言う通り模擬戦は無理だろうが、多少話せる時間はあるだろう。情報交換と、それから少しだけ他愛ない雑談も。
「夕方まであと二時間ほど…か」
この時間からの捜索なら、やはりギリギリになってしまうだろう。ジークへ持たせるための手紙をしたためているだろう主に、その旨を伝えておかなければ。
自然と穏やかな微笑みを浮かべていることに気付かぬまま、ユリアは己が艦長を務めるアルセイユへと戻っていった。
◆ ◆ ◆
オーブメントの通信機能をオフにしてから、ミュラーは小さく息をついた。
己の手に収まるそれを眺めて、じわりと微笑む。
「悪くはないな。音声通信というのも」
すぐ傍で聞こえてくる、凛とした声音。また笑みが深まったのを自覚した。
勿論手紙でのやり取りも悪くない。流麗で几帳面な文字や選ぶ紙のセンスなど、知らなかった彼女の一面を知ることができた。
だが、それ以上にその人自身の声が聞けるというのは、思いのほか満ち足りた気分だった。逆に物足りなさを感じたことも意外だったが。
以前よりも心に整理がついたのだろうか。優しいとも思えるような穏やかな声に、胸に湧き上がるものがあった。
穏やかな眼差しでオーブメントを見つめて、唐突にある憶測が頭をよぎって眉間にしわを寄せる。
「……まさか、このことも計算に入れているんじゃないだろうな」
脳裏にニヤニヤと苛立つような笑みをこちらに向ける、厄介な幼馴染み兼主の顔が思い浮かぶ。
だとしたら余計なお世話にも程がある。自分の感情の行き先に気付いたというか動物並みの嗅覚で感付かれたときは不本意ながらも恐れ入ったが、こうもいちいちちょっかいをかけられるといい加減にしろと吊るし上げたくなる。実際に何度かしばいたが。
今の自分たちの状況でどうにも動くことができないというのもあるが、何より。
「意識されて逃げられでもしたら、堪ったものじゃない」
正直その辺りの察しは悪そうな人だと踏んでいるが、そこのところをわかっているのだろうか、あのお節介は。
だから君はヘタレなんだよ、と呆れとからかい混じりの野次が飛んできた気がしたが無視だ。とりあえず頭の中に浮かんだ幻影は殴っておく。
「……連絡するか」
何はともあれ、一先ず彼女に教えてもらった特務支援課に協力を要請しなければ。
メモに記した番号をオーブメントに入力しながら、はたと気付く。
通信を掛ける前に見てきた奴の部屋には、開会式で着ていた服がかけられている代わりに以前リベールで愛用していた服とリュートが消えていた。
つまり、今のアレは変装している。
演奏家、オリビエ・レンハイムに。
「……いくら何でも、帝国軍人が演奏家を捜索しているのは明らかに怪しいだろう…」
オーブメントを握りしめたまま額に手を置く。
「まったくあの馬鹿は…どこまで人に迷惑をかければ気が済む…!」
久々の逢瀬をと言っておきながら、とこぼしかけて慌てて口を引き結ぶ。違う、問題はそこではない。
やはり多少遅れそうだな、と言い訳混じりに深い溜め息をつきながら、ミュラーはどうしたものかとしばらくその場で頭を抱え込んでいた。
あとがき
碧の軌跡でリベール主従と帝国主従がクロスベルにいらっしゃると知ったときの衝撃と喜びは今でも忘れません。主従もミュラユリも大好きだ…。あのときこんなやり取りがユリアさんとミュラーさんの間であったらいいなと思って書きました。
ミュラユリは空SCでちょっとときめいてたんですが流石に接点薄すぎかなと思ったら空3rdで怒涛の勢いで大いに有りって思ってからの閃Ⅳのあれでお、弟公認…!!!ってなってもうミュラユリ確定ですねありがとうございます!って気持ちになっています。創でも何かしらほのめかしてほしい…ミュラユリ…。