ボクたちにできる最高のプレゼントは



今日の生徒会室に響く音は、静かで無機質なものばかりだ。さらさらとペンを走らせていたシンボリルドルフは、指先が奏でていた作業音を止めて小さく息をついた。
「会長、こちらの書類のご確認をお願いします」
「……ん、わかった」
執務机の前までやってきたエアグルーヴから書類を受け取る。来月に迫った、春のファン感謝祭に関する資料だった。
ページを一枚一枚確認していく。その中にふと見知った名を発見して、思わず手を止める。ほぼ無意識にため息がこぼれた。
「どうなさいました?」
エアグルーヴに怪訝そうな顔で呼び掛けられる。慌てて表情を取り繕おうとして、しかし途中でやめた。
僅かな逡巡のあと、意を決して口を開く。
「エアグルーヴ、君に尋ねたい案件があるのだが」
「はい、何でしょう」
感謝祭のことかと尋ねる彼女に、ルドルフはいや、と首を振った。書類を置き、両手を机の上で組む。憂いに揺らぐ瞳を伏せ、ルドルフは問いを声に乗せる。
「テイオーは、最近悩み事を抱えていたりはしないだろうか?」
「……テイオー、ですか?」
「ああ……最近、彼女は生徒会室を訪ねてこないだろう? 何かあったのではないかと」
三週間ほど前からだ。毎日のように生徒会室のドアを叩いていた彼女が突然、めっきり姿を現さなくなった。
そのうえルドルフを避けている。鉢合わせれば挨拶はしてくれるが、すぐにどこかへ走り去ってしまう。一度や二度は間が悪かったのだろうと気にせずにいたが、何度も続くとなれば話は別だった。
ルドルフを慕っていると公言してはばからない彼女にしては、明らかに奇妙な行動だ。不審に思わない方が無理がある。
「もちろん、私がテイオーを意図せず傷付けてしまった可能性も考えた。本人にも訊いてみたが、誤解だと慌てて否定されてね」
「そうですね……私もそのようなことは、テイオーから聞いておりません」
「ああ。テイオーの反応からして、嘘をついているわけではないとはわかった。……ならば、別の問題があるのだろうと」
「それで悩み事ですか」
ルドルフはこくりと頷く。次いで眉根を寄せてだが、と続けた。
「その悩み事の見当がつかない。ここ最近のテイオーの成績を見ても、文武両道を地で行くほどに順風満帆そのものだ。……他に考えられるとすれば、友人関係やファンに関する問題か……」
そうなるとルドルフにはどうしようもない。相談にきてさえくれれば動きようがあるが、何も聞いていない状況で口出しをするのは過干渉に他ならない。そのうえルドルフを避けている現状を鑑みれば、なおさら踏み込むわけにはいかなかった。
「テイオーは明朗快活かつ、不撓不屈の精神を持った強い子だ。しかし、思い悩んでいるときは一人で抱え込む癖がある。……私に言えぬことなら、別にそれでかまわない。誰かが相談に乗って、焦心苦慮しているあの子を支えてくれていれば、それで……」
その相談相手が自分ではないことは、確かに歯痒く思う。だがそれは、ルドルフ自身の気持ちの問題だ。
己の四角四面で退屈な性格は自覚している。それゆえに、生徒たちに一線を引かれていることも。
他人を寄せ付けない威圧感と堅苦しい性格を、改めなければとは常々思っている。が、なかなか上手くいっていないのが悲しい現状だ。
「その件でしたら、心当たりがあります」
自身の不甲斐なさに思い悩んでいると、ふいにその言葉が滑るように耳に入ってきた。
ルドルフは弾かれるように顔を上げる。
「本当か?」
「ええ。テイオーから直接、相談を受けたので」
その返答にさらに目を見開く。エアグルーヴには打ち明けていたのか。しかし納得でもある。
彼女はルドルフと違って、多くの生徒──特に後輩たちから深い信頼を寄せられている。ゆえに悩み事を相談されることも多い。テイオーもそのうちのひとりであっても、確かに不思議ではなかった。
これが人徳の差か。少々落ち込むが、今は耳を垂らしている場合ではない。
「エアグルーヴ、どうか教えてくれないだろうか? 差し支えのない範囲でかまわないから」
「わかりました。……では、こちらをお読みいただいても?」
「ああ……ん? 読む?」
思わず疑問符を浮かべるルドルフの目の前に、一通の古風な封筒が差し出された。
和紙で折られた封筒を受け取る。表紙に書かれているのは、見覚えのある丸く可愛らしい字体。テイオーの文字だ。
そして、筆文字で表紙に記されているのは。
「果たし状?」
「"皇帝"宛てだと言っていました。ちなみに連名には、私の名も書いてあります」
連名とは一体。手紙を読む前に話の流れが読めず、困惑をあらわにしてエアグルーヴを見上げる。
「お誕生日おめでとうございます、会長」
目の前に佇む右腕は、悪戯が成功したと言わんばかりににっこりと微笑んでいた。


◆  ◆  ◆


『今日の午後、グラウンドにて待つ! 絶対来てね!』

そう簡潔に記された果たし状に従い、運動着に着替えてグラウンドに向かえば、感謝祭さながらの景色が広がっていた。
「あっ、来た来た! カイッチョぉー! お誕生日おめでとぉぉーっ!」
グランドに、スタンドにと生徒やトレーナーがひしめく様子に呆気に取られていると、入り口付近にいたテイオーがこちらに気付いて大きく手を振ってきた。
「テイオー……」
「ねぇねぇ、びっくりした? ここにいるみんな、全員カイチョーの対戦相手なんだよ!」
跳ねるように駆け寄ってきたテイオーが、両手を目一杯広げてグラウンドに佇む者たちを示す。そこには、運動着姿の生徒の集団があった。
マルゼンスキーにミスターシービーが、こちらに気付いて笑いかけてくる。外回りに行くと言っていたナリタブライアンもいた。
彼女の近くには姉であるビワハヤヒデと、同期のウイニングチケットとナリタタイシンが。少し離れた場所にメジロマックイーンやゴールドシップ、さらにはサイレンスズカやスペシャルウィークたちまで。
学園屈指の猛者たちばかりだ。思わず呆気に取られていると、すぐ隣から「すみません」と謝罪が聞こえてきて半ば反射で首を向ける。
「いくらなんでも多すぎだと意見したのですが……」
「だってだって、カイチョーとレースできるなんて滅多にないじゃん! 走りたいひとは、全員参加できなきゃ不公平でしょ!」
「だからといって集めすぎだ! レース表を作るこっちの身にもなれ!」
「だぁぁぁってそれでくじ引きとかになってハズレちゃったりしたら絶対イヤだったんだもん!」
「お前それが本音だな……!」
じたばたと地団駄を踏んで猛抗議するテイオーに、傍らのエアグルーヴが額を押さえて呻いた。普段と変わらないやり取りに、ルドルフもようやく気を取り直す。
「いやはや、本当に驚いたよ。まさかこんな計画を立ててくれていたとは……発案者はテイオーだと聞いたが?」
「あ、うん、そうだよ!」
ルドルフが話を振ると、テイオーは目を輝かせて胸を張った。
「カイチョーと走りたいひと集まれー! って、こっそりみんなに声掛けてたんだ。そしたらこんなにいっぱい集まってね! それで、カイチョーにバレないようにみんなに予定合わせてもらったり、カイチョーのトレーナーにお願いしにいったり……とにかく、今日までボク色々頑張ったんだよ! ま、エアグルーヴにもちょーっとだけ手伝ってもらったけど」
「たわけ、あれのどこかちょっとだ! グラウンドの予約も理事長との交渉も、事務処理が必要な作業はすべて私に丸投げしてきただろうが!」
「あ、あはは〜……うん、まあ、そこそこ助けてもらっちゃったかも〜、なんて……」
エアグルーヴに鋭い指摘にぎくりと肩を竦め、テイオーは頬を掻きながら訂正する。なるほど、生徒会業務の裏側で、彼女もかなり尽力してくれたようだ。
ため息をつくエアグルーヴを見やり、ルドルフは苦笑いをこぼす。
「エアグルーヴまで一枚?んでいたとはな……情けないことに、まったく気付かなかったよ。日頃の業務に加えて準備をするのは、相当大変だったろう?」
そう尋ねれば、エアグルーヴも同じような笑みを浮かべた。しかし、表情に反して彼女は首を横に振る。
「確かに色々と振り回されはしましたが……苦労だとは思いませんでしたので」
薄青の瞳が、声音と同じ真っ直ぐな色をしてルドルフを見た。そこに無理を隠している様子はない。
「それにここまで驚いていただけたのであれば、裏で奔走した甲斐があったというものです」
さらにはそう言い添えられる。どこか誇らしげでさえあるエアグルーヴの表情に、ルドルフはようやく笑みから苦みを消した。
これは申し訳なく思う方が失礼だろう。彼女の心遣いに、ただただ感謝するばかりだ。
和らいだ空気をテイオーはいち早く察したらしい。ルドルフの後ろに隠れて身を縮こませていた少女は、ぱっと晴れやかな笑顔を見せて飛びついてくる。
「ボクね、カイチョーが誕生日に何もらったら嬉しいかなって、一生懸命考えたんだ。どうどう? ボクたちとの本気のレースのプレゼントは!」
夏の青空を切り取ったような二つの目が、期待に満ちてきらきらと輝いている。そわそわと揺れる耳に頬を緩ませながら、ルドルフは形のいい頭を優しく撫でた。
「ありがとう、テイオー。心の底から嬉しいよ。君の人徳がなせる、素晴らしい贈り物だ」
「にしし! ……ん? 何でボクの人徳?」
嬉しそうに撫でられていたテイオーは、ルドルフの言葉を聞いて顔を上げた。こてんと不思議そうに首を傾げる少女に、ルドルフもつられて首を傾ける。
「そうだろう? 知己朋友に恵まれた君が呼び掛けたからこそ、こんなにもひとが集まったわけなのだから」
「えー、違うよ。ここにいるみんなは、カイチョーと走りたいから集まったんだよ。だから、人気者なのはボクじゃなくてカイチョーでしょ?」
悔しいけどさ、と最後に言って、けれど悔しさなど見られない顔をしてテイオーは笑う。彼女の発言に理解が追い付かず、ぽかんと目をしばたかせる。
ふと、小さな笑声が耳に届いた。
「まったく、先に言われてしまったか」
笑みを含んだ凛とした声音に「会長」と呼び掛けられる。テイオーを抱えたまま首だけを巡らせれば、目元を柔らかに細めたエアグルーヴがこちらを見つめていた。
「確かに声をかけたのはテイオーですが……これほどまでに大勢が集まったのは、まぎれもなく会長ご自身の実力と、そして人望によるものですよ。予定を空けてでも挑みたい、そしてレースを観戦したいと……そう思って、集まった者たちです」
切れ長の瞳がついと横に動く。促されるようにルドルフもグラウンドを、そしてギャラリーを見る。
芝生のうえでストレッチをしている者、スタンドの前列で友人と会話している者。彼女たちの表情は、皆一様に楽しげであった。
春先の肌寒い風が通り抜ける。その風に乗って運ばれてくる、声。
どんな風に走ろう。アップはこれくらいでいいか。誰かレース前に並走してくれないか。会長はどんな作戦で来るかな。
こんな豪華なレース見逃せないでしょ。誰が勝つかな。誰を応援しよう。早く始まらないかな。一体どんなレースが見られるんだろう。
声色が笑っている。
空気が弾んでいる。
──楽しみで仕方がないと、言われずとも伝わってくる。
これを、とルドルフは囁くような声で、無自覚に呟く。これを作り上げたのが、ルドルフ自身によるものだと、二人は。
「おい、何をグズグズやっている。アンタがいないと始まらないんだ。さっさとアップしろ」
沈みかかっていた思考が一気に浮上する。不機嫌そうな声音に視線を向ければ、ブライアンが仁王立ちをしてこちらを睨んでいた。彼女の隣で、ビワハヤヒデが呆れたようにため息を吐く。
「ブライアン、少し口を慎まないか。いくら親しき仲と言えどもな……」
「別に親しくない。それにこれが普通だ」
「普通ではないからこうして注意しているんだ。礼に始まり、礼に終わる。弓道の恩師もよく仰っていたことだろう。礼儀を欠くような態度は改めるべきだぞ」
訥々と諭してくる姉に、ブライアンは聞く耳を持たないとばかりにふんと鼻を鳴らす。
「ルドルフが気にしてないんだ、かまわんだろう。相変わらず頭でっかちだな、姉貴は」
「わ、私の頭はでかくないぞ! た、確かに今日は、少しばかり膨張気味だが……しかしこれでも雨季に比べれば天と地ほども……!」
先程までの冷静さはどこへやら。妹の一言で両手で頭を抱えながら狼狽するビワハヤヒデを見て、ルドルフたちは苦笑する。ブライアンだけは涼しい顔をして、姉の熱弁を聞き流していた。
「よし、ボクもアップの続きしてこよっと! ブライアン、ヒマならボクと並走してよ!」
「ああ、いいぞ」
「お、おい待て、ブライアン! 話はまだ終わってないぞ!」
「姉貴のヘアスプレーの話なぞ知るか。それより走るぞ」
「カイチョー、またあとでね! レース表はエアグルーヴが持ってるからー!」
言いながらテイオーはたっと駆け出した。続くようにブライアンとビワハヤヒデもコースへと走っていく。
「如何ですか、テイオーからのプレゼントは?」
小さく手を振って彼女たちを見送っていると、ふと傍らからほとりと問いを投げかけられた。
視線を向けると、微笑みを浮かべたエアグルーヴが見つめていた。淡い空色が優しさを湛えて、ルドルフが答えるのを静かに待っている。

──『貴方に届くわけがない』

幾度となく聞いた言葉が、脳裏によぎる。
己の走りがそう思わせてしまうことを、いつから普通だと認識しただろう。
レースで競えば心を折る者もいた。練習でさえ怖がらせた。
無自覚に放たれる威圧感と、堅苦しい性格。そのせいで、日常会話ですら生徒たちを委縮させてしまっている。
だから距離を置いた。くだけた会話を学ぶことにした。
後輩らへの指導も、基本的にはアドバイスを告げるだけに留めた。併走をする際は相手選び、かつ頃合いを見計らった。鼓舞したい誰かがいれば、そのために適任者を探した。
恐がらせぬよう適切な距離を。挫いてしまわぬよう細心の注意を。
それが当然だった。それがルドルフの平素だった。
それでも。……それでも。
「……ああ、ありがとう。テイオーも、それからエアグルーヴ、君も」
一言一言、万感の思いを込めてルドルフは呟く。
「そしてここに集まってくれたみなにも。感恩報謝(かんおんほうしゃ)の思いを告げたい気持ちが、溢れてやまないよ」
顔を上げる。グラウンドを、スタンドを、多くの生徒たちを一望する。
震える心臓を握り込むように拳を胸に当て、ルドルフは喜色満面に笑み崩れた。
「思わず踊躍歓喜(ゆやくかんぎ)したくなるほどの、最高の誕生日プレゼントだ」

理想とはまた異なる、ルドルフが憧れた、ほしくてたまらなかった景色が、そこにあった。




「じゃあまずはアタシたちから。よろしくね、ルドルフ」
「おたおめ〜! さあ、のっけからアクセル全開で行くわよ〜!」
「初戦が君たちとは……負けるわけにはいかないな」
「それはこっちのセリフだよ、皇帝さん。さあ、はやく走ろう」
「ちなみに距離は?」
「1600mよん☆」
「楽しいレースにしようね、ルドルフ♪」
「……わかった、受けて立とうじゃないか」

「あの……会長さん」
「ん? サイレンススズカか。何だろうか?」
「その、レースの邪魔はしないので、コースの端で走っていてもいいですか?」
「す、スズカさんストーップ!! 次の次! これと次のレースが終わったら私たちですから! もうちょっとだけ待ちましょう?」
「スズカ先輩、唯我独尊まっしぐらデース……」
「うふふ、相変わらずマイペースなお方ですねぇ」
「じゃあセイちゃんも先輩を見習って、芝生の上でお昼寝でもしてこよーっと」
「お待ちなさい! スカイさんが見習った方がいいのは走る意欲の方でしょうが!」

「うおおおおおっ! ダァービィーッ!!」
「うるさっ! しかも違うし……」
「だって2400mじゃん! それってもうダービーだよダービー! あのすっごく熱いレースを、またタイシンとハヤヒデと走れるなんて……しかも今度は会長さんも一緒で……うわああああ〜〜〜〜〜ん!! 嬉じい"よ"ぉ〜〜?」
「やれやれ……泣くのはまだ早いぞ、チケット」
「ほんと……泣き止まないと帰るよ」
「ええーっ!? ヤダヤダヤダヤダ! タイシンも一緒に走るんだよぉーっ!!」
「あーもーうっざい! だったらさっさと泣き止めっての!」
「ははは、相変わらず君たちは仲が良いな」
「騒がしくてすみません。……今日はよろしくお願いいたします、会長」
「ああ。……ふっ、三人とも良い眼をしているな。君たちと走るのが楽しみでならないよ」

「カイチョーさーん! 今度はウララたちとこっちで走ろー!」
「ハッピーバースデー! 会長サーン! ダートでもエンジョイレースしまショー!」
「ああ、今行こう」
「ルドルフ、いいのか? 君はダートは得意ではないだろう?」
「ふふ、率直に言ってくれるな、オグリキャップ。確かに芝に比べて慣れてはいないが……砂の上で、君たちと本気で走るのも悪くない」
「そうか……なら、こちらも全力で行くぞ」
「もちろんだ」
「だ、だダ、ダートを走る会長様……っ! ハァァァァ激レアイベキタコレェ────っ!! 無論! 走る! 間近で拝むしかねえッ!!」

「それでは会長さん! 一戦よろしくお願いいたします!」
「ああ。よろしく頼む」
「あ、あああの、バクシンオーさん……! えっと、あのね、次は3000mでね……」
「はい! 知ってます! 私が希望しましたので!」
「えぇぇ!? で、でも、バクシンオーさんは、その……た、短距離走のが、得意じゃ……」
「ふっふっふ……ライスさん、ご心配には及びません! なんたって私は、3600mを走り切った生粋のステイヤーですから!」
「え……えっ? そ、そうなの……?」
「ええ! 実は!」
「えっと……ブ、ブルボンさん……」
「ステータス、『困惑』を確認。バクシンオーさんが3600mのレースに出走したというデータは、私のデータベースには記録されておりません」
「ううむ……その意気やよしだが……まあ千磨百錬(せんまひゃくれん)、何事も経験か。とにかく、怪我にだけは気を付けるようにな」

「よっしゃあ待ってたぜ会長さんよォ! なぁなぁ、どれで勝負する? ソリ引きばんえいか? 長距離耐久エンデュランスか? それともゴルシちゃん特製金船障害かっ!?」
「どれも違いますわ! 突拍子もないことをおっしゃらないでください!」
「え〜、マックちゃんだって本当はやりたいって思ってるくせにぃ〜。意地張るのは食いもんだけにしとけって。な?」
「だ、だっ……! 誰の食い意地が張っているですって1?」
「ルドルフ行くでぇ! お次は春天仕様や!」
「うふふ、タマちゃんてば、と〜ってもお元気ですねえ。会長さん、今日はよろしくお願いしますね〜」
「ああ。時代を震撼させた君たちの、類まれなその実力……ぜひこの脚で実感させてくれ」
「よろしく頼む、ルドルフ」
「おう! ってちょお待てや! オグリはさっきダートに出てたやろ!」
「そうだが……? ああ、大丈夫だ。栄養補給はしっかり済ませてきた」
「そかそか〜、そんなら安心や……ってちゃうわー! 一人ひと勝負やって、さっきエアグルーヴが言うとったやろ。ルール違反や!」
「っ?、な、何だと……!? 折角タマやクリークとも走れると思ったのに……」
「あらあら〜……オグリちゃん、そんなに落ち込まないで。よしよし」
「ふむ、私は一向にかまわんが……」
「あかんで、ルドルフ。向こう見てみい。エアグルーヴがめっちゃ怖い顔してテイオーのこと引き留めとる」
「……オグリキャップ、またの機会に走ろう」


「……化け物か、アイツは」
ブライアンは呆れきった眼差しをコースに向けて呟く。スタートの合図と共に、横並びのウマ娘たちが一斉に駆け出した。
ルドルフは文句のつけようのないほど綺麗なスタートを決めて疾走していた。フォームに崩れもない。これで何戦こなしたんだったか、あれは。
「会長も”怪物”のアンタには言われたくないんじゃないかい?」
「うるさい。アマさんだってそう思ってるくせに」
ヒシアマゾンの茶々にぶっきらぼうに返せば、横から笑い声が聞こえてきた。
「あはは、確かにあのスタミナはすごいなぁ……あれだけ走ったのに、体力の底が見えない。流石を通り越して、恐ろしいというか……」
「ふふん、あったり前じゃん! なんたってカイチョーだからね!」
「お前が威張ることかよ……」
誇らしげに胸を張るテイオーに、ブライアンが呆れた顔でため息をつく。相変わらずのルドルフ至上主義だ。
「怖気づいたのか、フジ?」
今度はエアグルーヴがからかいまじりに口を挟む。フジキセキは「まさか!」と大きく首を振った。
「寧ろ安心してるよ。会長さんなら、次も素晴らしい叙事詩を繰り広げてくれるってね」
言って、彼女は軽く顔を伏せて胸に手を当てた。ひとつ息を吸い込み、一拍ほどの間。
ばっと勢いよく顔を上げたフジキセキは、もう片方を腕を素早く、そして優雅に広げる。そして力強くも朗々とした口調で語り出した。
「我々が挑むは、数多の猛者と刃を切り結んだ伝説の英雄! 百戦錬磨の王者の首に突き立てられるのは、果たして怪物の牙か、勇者の剣か! ……うん、最高のエンターテインメントを、ポニーちゃんたちに見せられそうだ」
晴れやかな笑顔で言い切った台詞はなかなかに不遜だ。芝居がかったそれに、しかしブライアンたちは揃って頷いてみせた。
本調子ではない相手に勝っても意味がない。それに関してはこの場にいる全員が同じ意見だった。
わっと歓声が上がる。ちょうど一着でゴールを駆け抜けたルドルフが、笑顔でスタンドに手を振っているところだった。
レースを走った生徒たちが彼女の元に集まり、互いの健闘を讃えて握手を交わす。呼吸を整えたルドルフがこちらを振り返る。
ゆっくりと歩いてくるルドルフに、いの一番に駆け寄っていったのはテイオーだった。小さな背を追うようにエアグルーヴが歩き出し、ブライアンたちもあとに続く。
「カイチョー! 次はボクたちが相手だよ!」
「お疲れ様です、会長。休憩はどうなさいますか?」
「ありがとう。では十分ほどもらえるかな? 上だけでも着替えたくてね」
エアグルーヴからペットボトルを受け取りながら、「流石に汗だくだ」とルドルフはさっぱりとした顔で頬を拭った。その表情に疲労困憊の様子はなく、汗だく程度で済んでいることこそ『流石』だと誰もが呆れまじりに思う。
「オーケー。んじゃ、その間に身体をあっため直しておくとするかね」
「付き合うよ、ヒシアマ。ブライアンもどうだい?」
「コースを走るなら付き合う」
「じゃあボクも! エアグルーヴも走るでしょ? 行こ行こ!」
「うわ? おい、急に引っ張るな!」
そんなやり取りをしながら、五人は芝コースに向かっていく。気兼ねないやり取りを、ルドルフは微笑ましい面持ちで眺めていた。
「では、私は着替えてくる。少し待っていてくれ」
スポーツドリンクを半分ほど飲み干し、彼女らの背にそう告げて踵を返す。しかしすぐさまテイオーに呼ばれて足を止める。
何だろうと振り返れば、色彩の異なる五対の瞳が強く、刺すような視線でこちらを見ていた。
「カイチョーの誕生日だからって、1着までは譲ってあげないからね!」
「全力で挑ませていただきます。模擬レースではありますが……この女帝、あなたの座する玉座を奪ってみせましょう」
「連戦を言い訳にするなよ。今日こそ食いちぎってやる」
本気だと伝わってくる、力強い声音で彼女たちが告げる。
正面からの宣戦布告に、きょとんと目をしばたかせたルドルフは、やがてふっと口元を綻ばせる。
「ああ、もちろんだ!」
真っ向から見つめ返した瞳は剣呑にきらめき、けれど頬を紅潮させて笑うその姿は子どものような無邪気さに溢れていた。


「さあ、青空のもと行われるカイチョーお誕生日杯も、いよいよ終盤となりました! 次は皐月・秋華・大阪・秋天でおなじみの芝2000mになりまーす!」
「待て、天皇賞・秋は左回りだ」
「もぉー! 別にいーじゃん! エアグルーヴってばいちいち細かいんだよー!」
「別に細かくはないだろうが! 走法とて変わるのだぞ」
「ふんだ! そんなの、天才無敵のテイオー様にはほーんのちょっとの違いでしかないもんね!」
そう返してテイオーはそっぽを向いた。わかりやすく拗ねる少女に、隣に並んだヒシアマゾンが「へえ?」と片頬を吊り上げる。
「随分と大口を叩くじゃないか。あとで泣きべそかいても知らないよ」
「もう、ヒシアマってば大人げないなぁ」
「ああ? んなこと言って、『絶対負かす』って目ェしてるのはどこのどいつだい?」
「これは違うよ。テイオーに乗せられたわけじゃない」
ヒシアマゾンの言葉に首を振って、フジキセキはにっと目を細める。普段は王子様のようだともてはやされている微笑みが、好戦的に吊り上がる。
「だって、どんなレースでも『絶対に勝つ!』って気持ちで臨むのは、当然のことじゃないか」
「ハッ、道理だな。本気で狩り合ってこそ、レースには価値がある」
ブライアンもまた同意を示す。前を見据えた稲穂色の双眸は爛々と輝き、犬歯を覗かせて獰猛に笑う。
彼女たちの会話をちょうど真ん中の位置で聞いていたルドルフは、足首を回しながら苦笑いをこぼす。
「まったく……みな血気盛んなことだ」
賑わう声にぽつりと呟いた、その瞬間。左右の視線が一斉に自分に向いた。
おや、と首を傾げ、思わず隣のエアグルーヴを見やる。視線が合った途端、形の良い唇がゆっくりと弧を描いた。
「それをあなたが言いますか?」
不敵な笑みを浮かべた彼女にそう指摘され、忙しなくまばたきを数回。
沈黙が一つ、二つ。そしてルドルフは声を上げて笑い出した。
腹を抱えて大笑いする生徒会長の珍しい姿に、スタンドが一気にどよめいた。その反応に気付きつつも、ルドルフは笑いを止めることができなかった。
ざわざわと驚き戸惑う音を耳にしながらひとしきり笑ったあと、ルドルフはようやく顔を上げる。
「はは……! いや、これは失礼した。確かにその通りだ」
呟き、口端を吊り上げた。眉尻が上を向き、赤紫の瞳にいっそう鋭さが増す。
「丘之貉 (いっきゅうのかく)、私もひとのことを言える立場ではなかったな」
そこにあるのは彼女らと同じ、闘争心に身を焦がした競争者の笑みであった。
「ええと、い、いきまーす!」
スタート横に立っていたスペシャルウィークが、出走者の気迫に怯みながらも声を張り上げる。背後では彼女を鼓舞するように同期の生徒たちが拳を握っていた。
「位置について……」
赤いフラッグを高らかに掲げられる。片足を下げ、姿勢を前かがみにして構えた。
気付けばギャラリーもしんと静まり返っていた。ルドルフたちの雰囲気に気圧されるように、周囲も本番さながらの緊迫感が漂う。
張り詰めた空気がグラウンド全体に満ち満ちた、その瞬間。
「よーい……どん!」
フラッグが勢いよく振り切られ、ルドルフたちは地を蹴った。ファンファーレのような大歓声を背に、瞬く間にスタンドを駆け抜けていく。
前方のテイオーが土を跳ね上げて走る。隣にはフジキセキが、背後にはエアグルーヴとブライアンが虎視眈々と機を窺っている。さらに後方から伝わってくる熱波のような気迫はヒシアマゾンだろう。
己の鼓動が耳朶の奥で響く。芝生と土の匂いが鼻を掠めては通り過ぎる。共に走る者たちの呼吸が、蹄鉄が鳴らす足音が。
それらを全身で感じながら、ルドルフは眩しそうに目を細めた。

──この景色を、音を、刹那を、五感全てに刻んでおこう。

決して色褪せぬことのないように。色褪せてもなお、眩いほどの輝きは覚えていられるように。
いつでも取り出せる場所に仕舞っておいて、そうしていつまでも眺めるのだ。──この、愛しき風景を。
皆からの贈り物を余すことなく胸に詰め込みながら、ルドルフは歓喜に打ち震える脚でターフの上を駆け抜けたのだった。



Happy Birthday ! Symboli Rudolf !

あとがき
会長をお祝いするみんなと輪の中に入ってはしゃぐ会長が見たかったんです。会長スタミナお化けだから大丈夫大丈夫きっとできるやればできる。
ルドルフ会長お誕生日おめでとうございます!!理想に向かって勇往邁進していくダジャレ好きな会長が大好きです!!



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