五年越しの思いを君に



世界の命運を賭けた戦いから、五年の月日が流れた。
断界殻(シェル)が無くなったリーゼ・マクシア。空に現れたもう一つの世界、エレンピオス。二つの世界は、おずおずとだけれど、互いに手を取り合って自分達の世界を守ろうと日々励んでいる。初めは皆戸惑ってた。ううん、怖がってた、ていうのが正しいかな。当たり前のように精霊術を使うことができる僕たちと、黒匣(ジン)がないと使えない彼ら。飛空挺という、巨大な鉄の塊で多くの人を乗せ自在に空を駆けていけるエレンピオス人と、ワイバーンという魔物を使わなければ空を飛べる術を知らなかったリーゼ・マクシアの人々。二千年も隔離されていたから当たり前なんだろうけど、文明に違いがあり過ぎる僕達が分かり合えるようになるには、それだけでもかなりの時間が掛かってしまった。
霊勢の事、黒匣の事、源霊匣(オリジン)の事。初めて聞くことばかりで、しかも信じがたい話ばかりでほとんどの人が混乱していたけど、リーゼ・マクシアの王、ガイアスが事の全容を知っていたおかげで予想以上に皆の理解は早かった。エレンピオスの方は元々他の世界があることを知っていたから、それ程混乱はしなかったみたいだ。
今は、霊勢の拡大問題とエレンピオスの精霊減少阻止について、双方の学者たちは研究に励んでいる。
僕はその人たちに混じって、毎日源霊匣の研究に日々奔走している。まだまだ源霊匣を創る作業は難しくて才能のある人しか創ることができないけど、それでも前よりも簡単な方法が見つかった。何より、源霊匣について沢山の理解者ができたことが嬉しい。勿論、前から目指していた医師の仕事も併用して。源霊匣はこれからの医療にも絶対必要になるから。
他の皆も、自分のやりたいことをしながら、精霊を守るために色々と頑張ってくれているみたいだ。
アルヴィンはリーゼ・マクシアとエレンピオスを行き来する商人を。時々、ここでは貴重な精霊の化石を、エレンピオスから持ってきてくれる。
エリーゼは念願の学校に。少しずつ友達も増えて、今まで知らなかったことを勉強できることがとても楽しいらしい。その合間に、ティポと一緒に黒匣にマナを込めて源霊匣を創って、その都度こちらに送ってくれている。顔は見てないけど、手紙の可愛らしい文字が元気いっぱいに近状を語っていて、こっちも楽しい気分にさせてくれる。
ローエンはガイアスの元で現役復帰。軍師として培った経験や知識を兵士に教え、王と共に世界の様々な問題を解決している。いつも忙しそうだけど、僕らと共に旅をしていた時より迷いが無くなって、活き活きとしている。
レイアはル・ロンドに戻って宿屋の手伝い。時々イル・ファンに遊びに来ては、宿屋の事で色々と愚痴っている。どうやら最近は、宿を継げと両親に言われているらしい。
世界は安定してきてる、と思う。最近になってようやく源霊匣の普及し始めて、一般化も進んできてる。
それに、精霊術の失敗も無くなった。クルスニクの槍で消えてしまった微精霊が、以前と同じくらい生まれた、てことだと思う。
目で見ることはできないけど、そういうことなんだ、きっと。
「……だよね?」

――――ミラ。

声となって出かかった言葉を、大切にしまいこむ。その名を口にすれば、あの頃の記憶が鮮明に思い出されて、きっと泣いてしまうだろうから。こんな人の沢山いる広場で、大の大人が泣くなんて情けなさすぎる。
ミラ。ミラ=マクスウェル。
僕らと共に旅をした、僕の旅の始まりを生んだ女性。四大精霊を従えた、精霊の主。
あれから、五年。僕はミラと同じ歳になった。心配していた身長も、成長痛がきてから一気に伸びた。歩けないくらい痛かったけど、ミラもこんな風に痛みを堪えていたのかな、て思うと耐えられた。男の意地みたいなものだけどね。中々思うようにいかなくて、何度も挫折しそうになったこともある。でも、ミラだったらこんなことじゃくじけない、絶対に諦めないから、何度だって立ち上がった。
こんなに月日がたっても、遠い世界にいても、僕はいつもミラに支えられている。本当、ミラはすごいや。
アルヴィンの鳥を使って飛ばした手紙の返事は、まだ来ていない。でも、返ってきた鳥が手紙を抱えていなかった、てことだから、きっとミラには届いているんだろうと、そう信じることにした。
精霊界には紙がなかったんだって、真剣な表情でレイアが言ったことに皆が爆笑したのはいい思い出話。

今日は珍しく休暇の日。というか、出勤したら助手の人たちが眉を吊り上げて今日くらい自分たちでできるから休め、と怒られ追い出された。部屋から閉め出されたら、近くにいた看護師の人にまたですか、と笑われてしまった。
特に予定もなかった僕は、イル・ファンの街をぶらぶらと歩いていた。今は少し休憩中。行きかう人達をぼんやりと見つめている。
ミラも、こうやってよく人を見ていた。人は興味深い。人というものは素晴らしい。だからこそ、私は人と精霊を守るんだ。
いつもミラはそう言って、綺麗に微笑んでいた。
「……どうしてるのかな…」
あ、駄目だ。折角名前を呼ばないようにしてたのに、結局思い出してしまった。こうなるときりがない。
大事に大事に、頭の奥に閉じ込めていた彼女が次々と浮かび上がる。強く凛々しい顔。優しく穏やかな表情。子供みたいな無邪気な笑み。
「……いな…」

―――会いたい。

この五年の間、ミラには会ってない。ううん、会えないんだ。
あの戦いから、今の一度も…。

一度だけ、2年前に世界が落ち着きを見せてきた時。僕はミラに会いに行こうとした。
ニ・アケリアのミラの社から霊山に登って、ガイアスからもらったミュゼの力の一部を持って、頂上へ向かった。この力があればもしかしたら…て。
でも、山頂にあった次元の裂け目はもう無くなっていて、完全じゃないミュゼの力ではミラの元に行くことはできなかった。あの小さな剣は、どうやら裂け目を大きく広げることくらいが限界のようだった。
―――……ミラ。
会いたい。会って、話がしたい。
隣にいると香る甘い香りを感じたい。僕よりも小さくて、細くて柔らかいあの手の平に、もう一度触れたい。
「…あはは……ちょっとヤバい、かも…」
移動しなきゃ。自分の部屋か、せめて人通りの少ない所に。
もう、耐えきれそうにない。
ベンチから立ち上がって、学校の方へ戻ろうとした。



――――――その、瞬間。
ふわりと、懐かしい匂いが。
「………え…?」
俯いていて座っている僕の視界が少しだけ暗くなる。
そして、上から凛とした、声が。
「久しぶりだな、ジュード」
その声に反射的に顔を上げる。見上げた先には、紅玉の瞳。金色の長髪。
前と変わらない姿で、そこに…。
「…ミ、ラ…?」
喉乾いて上手く声が出せない。途切れがちに名前を呼ぶと、彼女は可笑しそうにふふ、と笑った。
「ああ、そうだよ」
短く、一言。その一言だけで、心の中の穴に何かが埋まっていくのを感じた。でも、その穴だけじゃ入りきらなくて、とめどなく溢れ出てくる。
「なんで…ここに…?」
「む?うむ……一から話すとかなり長くなるのだが……。とりあえず再び人の身をとることができるようになったことだけは確かだ」
それもこれも、ジュード達が世界の為に尽力を尽くしてくれたおかげだよ。
ありがとうと、嬉しそうに微笑む彼女。
「それって…つまり……」
「ああ。以前と同じように、こうしてジュード達に会えるようになった、ということだ」
片手を腰に当て、強い輝きを持った勝気な瞳で言い放つ。いつも彼女がしていた仕草。
「ところで、君はこんな所で何をしていたんだ?」
あの頃と同じように、前後の脈絡もなく彼女はそう尋ねてきた。そんな所も変わっていない。
これは、夢なのかな。ミラに会いたい、て願った僕の幻影なのだったりして。
ベンチから立ち上がる。さっきまで頭上にあったミラの顔は、逆に見下ろせるようになった。
「む…。随分と背が伸びたのだな」
不満げな声が下から響く。何だか新鮮な気分だ。目線が違うだけで、上目遣いで睨んでくるミラが、とても可愛く感じてしまう。
でも、これだけじゃまだ信じられなかった。
恐る恐る、目前にいる彼女が消えないようにゆっくりとその細腕を掴む。触れた。
僕の不可思議な行動に首を傾げたミラを、グイッ、と勢いよく自分の方へ引き寄せた。
「ぅわっ?!」
驚いたような声を無視してそのまま腕の中に閉じ込めた。
腰に手を回し、煌めくような金色の髪に顔をうずめて、全身で彼女の存在を確かめる。

―――ああ、ミラだ。本当に、ここにミラがいる。

「お、おい、ジュード?」
明らかに戸惑っているミラに構わず、僕は彼女をより強く抱き締める。周りに沢山の人がいることなんて全然気にならなかった。
面と向かって話せる。僕の眼でも見える。あの頃と同じように触れることができる。
そのことが嬉しくて。嬉しくて嬉しくて。

……いつの間にか、僕は震えながら涙を流していた。
ジュード、と名前を呼ばれた。穏やかな、しかし凛とした部分を失わない、僕がこの五年の間、ずっと求めていた声。
温かな手の平が僕の手に重ねられる。そのぬくもりが、ずっと耐えていた涙腺を余計に緩ませる。
ああもう、情けないなぁ。少しは大人に近付けたと思ったのに、ミラの前じゃ全然駄目だ。
「ジュード、泣かないでくれ」
「……僕は、泣いてなんかいないよ」
ミラの言葉に、僕は今の状況と正反対の事を言って強がった。声が震えて涙声だけど、それでもそう言った。
あの時とは全く逆の台詞。けど、腕の力を緩めて向き合ったミラの頬にも涙が流れていて、そっちだって、と僕は言い返した。
そのことが何となく可笑しくて、二人して顔を見合わせ、くすりと笑った。



さぁ、何から話そうか。仲間達の事?精霊界の事?
…ううん、それよりも先に、言いたいことがあるんだ。
あの時言えなかった事。言おうとして、ずっと堪えていたこと。

「ミラ。僕は、ミラの事が――――――」







あとがき
TOXでジュード編クリア後に絶対書く!!と決めて書いた小説でした。そういえばシブで初投稿作品だった。まだ当時TOXが出るとも思ってなかったので、TOX2を踏まえると色々と矛盾してそう。ふわっと読んでいただけると。
(2011.9.23)


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