君色


液晶画面に映し出された画像を見た瞬間、シンボリルドルフはその鮮やかさに目を奪われた。
「会長、どうされました?」
「──、いや、何でもないよ」
エアグルーヴの訝しげな声音を聞いて我に返ったルドルフは、軽く首を振って顔を上げる。
「好評嘖嘖(こうひょうさくさく)間違いなしの素晴らしいデザインだ。流石はプロの仕事だな」
「では、このまま発注をかけても?」
「ああ、よろしく頼む」
「了解しました」
エアグルーヴはかすかに笑んで頷き、ソファに座りなおしてノートパソコンに向かった。
迷いなくキーボードを叩く音が小気味いい。滑るような動作で文字を打ち込んでいく細い指先を少しばかり眺めて、彼女が仕事に集中していることを確認してから自身のスマートフォンに再び視線を落とした。
画像を動かさぬようにそうっと指で触れ、ルドルフはゆるりと微笑む。
画面には、先ほどエアグルーヴから送付されたばかりの、記念ライブ用の内装デザイン案が映し出されていた。


この度、より一層大きな盛り上がりを見せるウマ娘界を祝して、トレセン学園ではファン向けの記念ライブが開催されることとなった。
発案者は秋川理事長だ。常日頃から応援してくれるファンのため、そしてレース界のさらなる発展を願って、記念イベントを行いたい。
その名目のもとに彼女の熱意とたづな秘書の手腕が合わさった結果、学園の運営者であるURAからも援助を受ける形で大々的に行われる手筈となった。
開催が決定してからは、生徒会一同も運営側に回り日々奔走していた。会場設営はURAが請け負ってくれているものの、その忙しさは春の感謝祭準備に勝るとも劣らないほどであった。
期間は二日。最大収容数が八千人もの大ホールを貸し切っての大きなイベントだ。生徒の選抜に歌とダンスの練習、衣装合わせ等々、門限ギリギリまで業務を行うことも最近はよくあった。
それでも生徒会役員以外の生徒たちも手伝ってくれたこともあり、準備はいたって順調に進んでいた。
しかし、ひとつ問題点があった。というよりも懸念事項の類だ。
ファン感謝祭の時とは違い、今回は別会場でライブを行う。つまり出場しない多くの生徒たちは、スクリーン越しでライブを観ることとなる。
盛り上がるのはそちらの会場だけ、というのも味気ない。それでは寂しい思いをする者も少なくはないだろう。
そのために生徒会は、多忙な合間を縫って理事長やたづな秘書と共に一策を講じることにしたのだ。

「うむ……これだけでも随分と様変わりして見えるな」
休校日に登校してきたルドルフは、床の張付け作業を終えたばかりのエントランスを二階から見下ろしていた。
トレセン学園のエントランスは、象牙色とクリーム色の市松模様の床で成り立っている。シンプルでありつつも上品な内装は、外部からやってくる人々にも概ね好評だ。
しかし今はその床に、新たな色味が足されていた。
正面玄関から裏口まで、海のような深い青が一直線に伸びている。階段も柱の下部も、それから中央に描かれた大きな円も同じ色に染められ、円の中の校章は日光を反射して金色に輝いていた。
金と白の細い線で縁どられた直線と大円を、ルドルフは感心したように見渡す。
少し色を加えただけで、こうも雰囲気が違ってみえるとは。図案で見た以上の変わりようだ。
「会長」
ふと凛とした声音に呼ばれて振り返る。渡り廊下の方から、丁度エアグルーヴがやって来るところだった。
小走りに駆け寄った彼女がルドルフの前で立ち止まる。片腕には伝票を挟んだバインダーを抱えていた。
「装飾品の納入が完了しました。こちらに搬入してもよろしいですか?」
「ああ。先ほど業者の作業が終わったところだ。飾りつけに入って構わない」
「わかりました。──皆、エントランスに入ってきて構わない! 作業に取り掛かってくれ!」
手すりから身を乗り出して彼女が声を張り上げると、真下辺りから「はい!」と異口同音の声が返ってきた。間もなくしてダンボールを抱えた生徒会役員数名、そしてはしごや脚立などを抱えたナリタブライアンがぞろぞろと現れる。
エントランスの中央まで歩いてくると、彼女らはダンボールを置いて中身を開け始めた。金や水色をした星の装飾品や、床に張られたものと同じ色合いの旗や布。それらが床に広がり、眼下の光景はさらに華やかなものになる。
「高所の作業もある。各自怪我には充分に注意してくれたまえ!」
そう声を掛ければ、エアグルーヴの時と同じように元気の良い返事が聞こえてきた。彼女らはすぐに話し合いながら、各々の作業に取り掛かりはじめた。
「これならライブに参加しない生徒たちも、祝い事の雰囲気を味わってもらえることだろう」
「ええ。そうですね」
目を細めて呟けば、横からも満足げな相槌が返ってくる。
明日の朝、登校した生徒たちの反応が楽しみだ。互いにそう思っていることは明白だった。
役員の一人が昇降装置を操作すると、機械音を鳴らしながら天井からポールや金具が降りてくる。それらに旗や星飾りを付ける生徒会の子らも、心なしか楽しそうである。
ブライアンは相変わらず不愛想な面持ちだが、ひとりで黙々と作業をしているあたり機嫌が悪いわけではないのだろう。
この内装の装飾こそ、ルドルフらが講じた策であった。
要は学園をライブ仕様に模様替えすることで、生徒全員に少しでもイベントを楽しんでもらおうというものだ。これだけでなく、カフェテリアの料理長と掛け合ってささやかなパーティを行えるように手配もしている。
年末のクリスマス会の応用とでもいうべきか。ありがたいことに、現時点で既にほとんどの生徒が参加希望を申請していた。
ルドルフとエアグルーヴ、それにブライアンの三人は記念ライブの方に参加する。そのため学園の運営は必然的に自分たちが抜けた状態になってしまうが、それほど心配はしていない。
今の役員なら、立派に業務を遂行してくれることだろう。これまでの仕事ぶりを思い返してそう確信していると、ふとブライアンが顔を上げた。
「会長」
呼ばれたと同時にブライアンが箱を持ったまま両腕を振りかぶる。ぎょっと目を剥いたエアグルーヴが慌てて止めようとするが、その前に箱が勢いよく飛んできた。
「二階の装飾だ」
ルドルフがそれを受け止めると、ブライアンは軽く声を張り上げてそう言った。中身を開けてみれば、横断幕らしき青い布と、天井に飾っているものよりも一回りほど小さな星が敷き詰められていた。
「ブライアン! 貴様、箱を投げつけるんじゃない! 会長が先ほど怪我に注意しろと忠告したばかりだろう!」
「うるさいな……ちゃんと声は掛けただろう」
「そういう問題ではないっ!」
「まぁまぁ、エアグルーヴ。装飾品は全て無事だ。安心してくれ」
「いえ、そういう問題でもなく……」
耳を後ろに伏せて怒鳴るエアグルーヴを宥めつつ、ルドルフは箱を下ろしてから彼女と同じように身を乗り出す。
「ブライアン、ついでに脚立ももらえないか?」
「ああ、ほらよ」
「会長!」
諫める声と共に脚立が飛んでくる。それも難なく受け取ってから、もう一度ブライアンに声を掛けた。
「ありがとう。だが私以外の者にはやってくれるなよ」
「チッ……そのくらいわきまえている」
やんわりと注意すれば、顔をしかめながらそう言い捨て、彼女は黒い鹿毛をたなびかせて作業に戻っていく。素直に従ってくれたのかどうかは不明だが、ダンボールを放り投げることはせずにきちんと手渡していた。
「まったく……他の生徒が面白がって真似でもしたらどうするんですか」
ため息をつきながらじとりと睨まれ、ルドルフは苦笑いをこぼす。
「すまない。まあ、幸い今日は休校日だ。大目に見てくれ」
「これでも大目に見ています。休校日でなかったら、それこそこの程度で済ませませんよ」
「はは……以後気を付けよう」
「是非そうしてください」
エアグルーヴはきっぱりとそう言い、ブライアンの投げた箱を持ち上げて歩き始めた。ルドルフも困り顔のまま、彼女の後に続く。
渡り廊下を進む彼女が、ちょうど売店の真下辺りで立ち止まって箱を下ろす。互いに装飾品の飾り付け場所は既に頭に入っていた。
ルドルフは脚立を壁に寄りかけ、エアグルーヴが手にした横断幕の片端を持つ。広げたそれもまた目の覚めるような深い青に染まっており、その中央には『夢をかける、ステージへ』と白い文字で大きく記されていた。今回の記念ライブのサブタイトルだ。
「やはり良い色だな」
「横断幕の色のことですか?」
頷きかけて、ルドルフはいいや、と首を横に振った。
「横断幕というより、装飾全ての色合いが、だな」
手すりの下に横断幕をくぐらせながら、ルドルフはエントランスを見渡す。垂れ下がった金具には、既にいくつもの星が吊るされていた。
青、金、それから白。それらが程よく調和したこの装飾を目にしたとき、ルドルフの脳裏に浮かんだ像があった。
「テイオーの勝負服を彷彿とさせる。デザイナーの方も、ターフを駆け抜ける彼女から着想を得たのかもしれんな」
言いながら、星が散りばめられた青い床を見つめて穏やかに目を細めた。
此度の記念ライブでは、スペシャルウィーク、サイレンススズカ、そしてトウカイテイオーがセンターを務める。今回のテーマ色は青。彼女らのなかで青い勝負服を身に纏っているのは、テイオーただひとりだ。
それが主な理由ではないだろうが、タイトルロゴにも彼女のポニーテールを連想させるような黄色いリボンが蹄鉄に結ばれている。ゆえにあながち見当違いなわけではないだろう、とルドルフは思っていた。
理由を聞いたエアグルーヴは、ゆるく首を振りながらため息をついた。けれどその横顔には笑みが滲んでいて、細められた切れ長の瞳は呆れを含みつつも優しい色が浮かんでいた。
「やはりテイオーに甘いですね。声まで嬉しそうですよ」
「そう聞こえるか?」
「ええ。依怙贔屓だと言われてもおかしくないほどには」
「……それは気を付けねばならんな」
笑いまじりにそう指摘され、こちらは笑みを苦くするしかなかった。
自覚がないわけではない。ルドルフ相手に全く臆することなく、それどころかひどく慕ってくれる稀有な娘だ。そんな彼女が可愛くないわけがなく、そのためついつい甘やかしてしまうのだ。
それを隣の彼女に、もう何度注意されたことだろう。両手では足りないことは確かだ。
「……それだけ、ですか?」
さてこれで何十回目だったかな、と。そのような詮無いことを考えていたからだろうか。
ぽつりと呟かれた言葉の意味を、理解するのに時間を要した。
「え……?」
「本当に、テイオーの色だけですか?」
聞こえなかったと思われたのか、先ほどよりも張りのある、そしてより明確な言葉で尋ねられた。
ルドルフはつい数秒前の己の思考を否定する。理解が遅かったのは、エアグルーヴの発言があまりにも予想だにしないものであったからだ。
ぱちぱちと忙しなくまばたきをしながら彼女を見つめる。手すりに紐を括りつけている白い横顔は、ほんのりと朱に染まっていた。どうやらこちらの都合のいい解釈ではないらしい。
「……この場で言ってしまえば、公私混合になってしまうかと思ったのだが」
「……言葉にしてほしい場合も、時にはあります」
きゅっと眉の動きで彼女の眉間にしわが寄ったのがわかった。目元の赤みもじわりと頬にまで広がる。
凛とした美しさが可憐に彩られていく様子をつぶさに眺めながら、そうか、とルドルフは顔を綻ばせた。こそばゆさを伴うあたたかな感情が、こんこんと胸の奥から湧いてくる。
そうか。それなら遠慮なく言わせてもらおう。
「うん、君が察する通りだよ。もちろんテイオーの色だからという言葉に嘘はないが、それに加えて──」
同じように弾幕の紐を手すりに結び付けたあと、エアグルーヴと向き合ったルドルフは溶けるような笑みを浮かべて白状した。
「エアグルーヴ。君の色でもあるから」
デザイン案を見たときから思っていた。深い青が、輝く金色が、清廉な白が。
可愛くて仕方がないテイオーの色で、そして、いつまでも傍らにいてほしいと願う大切な彼女の色だと。
だから、鮮やかに染まった学園がより一層美しく、唯一無二の景色に思えた。
主観にまみれたこの評価は正当性を欠いているのだろう。しかしルドルフにとっては心からの賞賛で、紛れもない真実だった。
「そういうわけだから、私が喜色満面になってしまうことも大目に見てくれないか?」
眉を下げて許しを請えば、エアグルーヴも似たような笑みを見せる。肩を竦めながら、それでも隠しきれない喜びが秀麗な面差しに滲んでいて、こちらも自然と笑みが深まっていく。
「仕方ありませんね……と、言いたいところですが、それは承服しかねます」
けれどその瞬間、彼女の瞳が好戦的にきらめいた。目を丸くしているうちに距離が狭まり、間近で薄青の双眸と相対する。
「ただの色だけで満足してもらっては困ります」
吐息を感じるほど近さに、思わず息を呑んだ。
形の良い唇が綺麗な弧を描く。細い指先が頬に触れ、目元から顎にかけて緩やかに撫でられる。
その手はひらりと舞うように首の下まで落ちてきて、ぐっとやや強めに肩を掴まれた。
嫣然と微笑みながら、彼女はゆっくりと口を開く。
「装飾品などに現を抜かさず、あなたは私だけを見ていればいい」
そうして挑むように放たれた眼差しと声音に、強く強く心臓を叩かれた。
大胆不敵にそう宣言して、彼女は立ち上がった。艶やかな尻尾がゆらりと目の前を通り過ぎ、視界の端から消えていく。
すぐ傍でかちゃかちゃと脚立を組み立てる音が聞こえてくる。まばたきすら忘れて呆然としていたルドルフは、ようやく硬直の解けた手をのろのろと額に押し当てた。
「まいったな……」
そうして小さく呟いた声音は、生徒会長らしからぬ非常に情けないものであった。
なかなかに無理難題なことを要求されてしまった。思いがけずに見せてくれた彼女の対抗心は嬉しい。が、果たして期間中、頬を緩めずに学園内を歩くことができるだろうか。
これは大いに苦労しそうだ。ルドルフは眉を下げたまま立ち上がる。エアグルーヴを見れば、先程の発言を恥じているのか、白い頬は桜色に染まったままであった。
きっと自分も同じように赤らんでいるのだろう。ほろ苦い笑みをこぼしながら、ルドルフはもう一度だけエントランスを振り返った。
「……うん、やはり美しいな」
彩られた校内を見つめる赤紫の瞳は、眺めたそばからとろりと柔らかく細められていく。

色すら愛おしいと感じる日がくるなど、想像したこともなかった。




あとがき
ハーフアニバーサリー仕様の学園の内装が勝負服のエアグルーヴと同じ配色だー!とテンション上がった勢いで書きました。会長が好んで選ぶ色は緑だけど、愛しいと思う色は青だったら良いなとか。

生徒会の業務ってどのくらいあるんでしょうね。年間予算案の作成、感謝祭運営、夏合宿の手配、年間行事の準備、模擬レースの開催に生徒達のご意見番…アプリ版での業務内容挙げるだけでも多岐に渡りすぎて学園運営で生徒会が関わってないものってある???ってなる。多忙すぎる…。


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