もしもの物語-6-



薄暗い空の下、雨音だけが街中に響く。
灰色の曇に覆い尽くされた上空。目にしみるほど眩しい太陽を見たのは、いつのことだろうか。
大きな桶をひっくり返したような、地に叩きつけるようなもの激しいものではなく、ただじっとりと降り続けるそれをぼんやりと眺めながら思う。
じわりじわりと、這い寄るように不安を煽りたてる空から降り注ぐ夥しい雫。

この雨はいつ止むのだろうか。誰かがそう呟いた。
祈りを捧げよ。誰かがそう返した。

導かれるように、縋るように。来る日も来る日も、弄るように苛み続ける雨が止むことを請い願う。作物は流行りのカビが蔓延して不作だった。長雨のせいだ。備蓄していた食料も尽きはじめてきている。訪れる人間より、今や去る人間の方が多くなってきていた。街も人間も、みるみるうちに薄暗くなっていく。そろそろ限界だった。

いつ止むのでしょうか。疲れきった声で問い掛けた。
祈りを捧げなさい。厳粛な、それでいて艶を含んだ声音が返ってきた。

その者は、奇跡の力を持つという。奇跡を起こすことができる者だという。
ならばと、彼女に向かって深々と頭を伏せる。
陽の光を乞い願って、心の安寧を求めて。どうか神に授けられたその特異なる力で、この街を救ってください。

ざあざあと雨音が響く。
水音とともに、不安や恐怖が這いずり上がってくる。迫るくる恐怖にぶるりと身震いをして、願い続ける。どうか、この雨を……。
祈りを捧げながら、ふとあることに気付く。
そういえば、いつ雨が止むのか、誰も明言しない。誰も彼もが、祈れとしか言わない。
何故祈り続けなければならないのだろう。何故この雨は止まないのだろう。
誰も原因がわからない。誰も原因を知らないまま祈る。
まるで祈る以外の手段がないかのように。祈る以外の手段などないと思わせるかのように。
生気のない目に、徐々に驚愕の色が浮かび上がる。まさか、これは。
くつりと、小さなわらい声が聞こえた。
その声にぞっと身体中が震えあがり、勢いよく顔を上げた。

その瞬間、眩い閃光が全身を射抜き、視界も頭も、何もかもを真っ白に染められた。
僅かに目にした視界には、見るもおぞましい人外の眼だけが映っていた。


◇   ◆   ◇   ◆


バカンスと称した遺跡探索は、最奥にある壁画を発見し、導師に試練を与えるという場所を知ることで幕を閉じた。
災禍の顕主に対抗することができるかもしれない。その思わぬ収穫にスレイ達は一縷(いちる)の光を掴み、快くヴァーグラン森林周辺の加護を引き受けてくれた犬の加護天族、オイシに別れを告げて、ティンタジェル遺跡を後にした。
壁画に示されていた場所は四つ。レイクピロー高地の北部、大陸中央南端にふたつ、ウェストロンホルドの裂け谷。まずは何処に行くかと話し合った末、ロゼの提案によりスレイ達は今、大陸中央南端に向かうべくローランス帝国の領地の街、ラストンベルにいた。
「―――――で、ローランス軍が崩れてからすぐに、ハイランドの方も将軍を失ってどっちも撤退。今はお互いに警戒しつつ様子見ってワケ」
「なら、すぐに開戦することはないってことか?」
「今のところはね。あれだけの混乱だったし、当分は状況確認で忙しいはずだよ」
ランドグリーズという名の宿屋で食事をしながら、ロゼはグレイブガント盆地での戦の結末を語った。真剣な表情で語っていた彼女は、柔らかく煮込まれた豚肉の角煮を頬張った瞬間、満足そうに頬を緩ませてうっまー!と喜びの声を上げた。
「そうか…ランドン軍師団長が…」
自国の将軍の末路を知って、アリーシャはその死を悼むように目を伏せる。
最後に見たのは、狂ったように人に斬りかかる変わり果てた姿だ。スレイ達曰く、あの時には既に大熊の憑魔へと変貌を遂げていたという。
導師の力を利用しようと自分達を脅し、強制的に戦争に参加させた。だが、彼は祖国を守る騎士のひとりでもあった。軍師団長という称号が、左目に刻まれた縦一線の傷痕が、その男の戦績であり国に勝利をもたらしてきた証だ。
彼の戦での戦術は、敵の一掃、徹底的排除だった。そのいっそ残虐なまでの戦い方に、おぞましさすら覚えたのも確かだ。
だが、と右手のフォークをぎゅっと握りしめる。それでも人の死を、手放しに喜ぶことはできない。

「だからって、今更ハイランドに戻るとか言うんじゃないわよ」
ふいに耳に届いたエドナの声に釘を刺され、アリーシャははっとして俯けていた顔を上げる。
見透かされたと目を瞠れば、向いた方向からお見通しだと言わんばかりの盛大な溜め息が飛んできた。傍から見れば空席の椅子から感じる微かな威圧感に、思わずぴっと背筋が伸びる。
「そうそう。アリーシャが今戻っても、大臣たちに軟禁されるだけだと思うし。どの道こっち側のグレイブガント盆地にはローランス兵がいて、簡単に通してはくれないだろしね」
明るい笑みを浮かべながらロゼが言う。アリーシャでいいと姫付けを断ったのは、他ならぬ自分だ。それ以来何となくではあるが、ロゼも気さくに名を呼んでくれるようになったように思う。
当たり前のことではあるが、王宮では『姫』か『様』呼びが常だった。だから、そんな些細なことがアリーシャにとっては胸をくすぐるほど嬉しい。
「ほとぼりが冷めるまで一旦外から様子を窺うのも、ひとつの手段ですよ、アリーシャさん」
「……そう、ですね。すみません、つい目の前のことに気を取られてしまいがちで……」
彼女達の言葉を聞いて、恥じるように自嘲気味な笑みを零す。
善は急げ。思い立ったがすぐに行動。それ自体は悪くはないと思っている。が、自分は度が過ぎることが多いのも自覚している。
だから『おてんばアリーシャ』はまだしも、『無鉄砲姫』などと揶揄されるのだ。そう、わかってはいるのだが。
「自分の国のことを心配するのは、当たり前のことですわ」
「この子の場合、心配しすぎで気負いすぎな上に猪突猛進すぎだけどね」
「う……それは、師匠にもよく言われます…」
しゅんと肩を落としたアリーシャを見て、横で聞いていたミクリオは苦笑いする。
「まぁ、それがアリーシャの良いところでもあるけどね」
そのおかげで、自分とスレイは彼女と出会い、まだ見ぬ下界へと旅立つことができた。まさか導師になり陪神になるとは、思いもしなかったが。
「あら、ミクリオ。自分の株を上げようって魂胆?やっぱり年頃の坊やなのね。流石ミボね」
「なっ、そういう訳じゃない!」
「ミ、ミクリオ様、申し訳ありません。お気を遣わせてしまって…」
「アリーシャ、違うから!その…本当に、思ったことを言っただけだよ」
自分で言って段々と恥ずかしくなってきたミクリオは、アリーシャには見えないにもかかわらず目元を隠すように顔を手で覆った。混ぜっ返してきたエドナをぎっと睨みつけるが、彼女は絶妙なタイミングでそっぽを向いて、素知らぬ顔で料理をつついていた。
「そういえばさ…マルトランさんはどうしたのだろう?」
並べられた料理をつまみながら彼らの会話を楽しそうに聞いていたスレイは、思い出したようにふと疑問を口にした。
もぐもぐと口を動かしながら何気なく呟いた少年に、皆の視線が集まる。そこまで注目されるような発言だとは思っていなかったスレイは、慌てて料理を飲み込んで理由を話す。
「あ、いや、マーリンドで聞いたんだ。マルトランさんがマーリンドの生まれだとか、すごく強くて有名なこととか。だから、今回の戦争でも来るのかなって思ってたから…」
故郷の危機だからといって軍を率いて赴くことはできないのは、何となくではあるがスレイにもわかる。イズチの杜で人間と関わってはいけないという掟(おきて)があったように、人間には人間のルールがある。それを徐々にではあるが知ってきた。特に騎士団や貴族といった、組織として動いている所には、複雑で厳重な決まり事があるのだということも。
ただ、あれほど入り乱れた戦況で、しかも弟子であり王女であるアリーシャが戦争に巻き込まれた状況で、マルトランが馳せ参じなかったのは何故だろうと、単純に疑問に思っただけだ。
「蒼(あお)き戦(ヴァル)乙女(キリー)の?あの人ならあたしたちがマーリンドへ向けて荷造りしてる時に、騎士団引き連れて何処かに行ったよ」
「マルトラン師匠が?」
「ハイランド国の最東端、そこにある街の防衛任務を任じられたそうだ」
何でも手強い獣が出たらしいと、意外にも行儀よく椅子に座って食事をしていたデゼルが、小皿に料理を取り分けながら言い添える。
食事中でも黒いハットを外さない彼の言葉に、ロゼが目をしばたかせてあれ?と問い掛ける。
「デゼルもその時はまだ、レディレイクに居たんだ?」
「……いや、風の噂で聞いただけだ」
「風の天族だけに?」
「……チッ、ほら、肉ばっか食ってないで野菜も食え」
ロゼの質問から逃れるように、デゼルは丁度向かいに座る彼女の小皿にサラダを盛り付けた。それも大量に。
「うわっ!?ちゃんと食べてるってば!だから野菜ばっか盛った皿あたしんとこに押し付けんな!」
「っ、おい!だからって俺の皿に戻すんじゃねぇ!ドレッシングと肉のタレが混ざるだろうが!」
「あんた細かっ!混ざったってそんな味変わらんでしょってかそんなこと言っといてまたこっちに戻してくんなぁ!」
「おい、二人とも目立つから静かにしろ!」
ギャアギャアと小皿の攻防戦に発展した二人に、ミクリオが溜め息を吐いて止めに入る。もう既に手遅れな気もするが。
そっと周囲を見回せば、皆が皆不思議そうな、それでいて可笑しそうな視線でこちらを見ていた。曲芸でもやっていると思われているのだろうか。
彼らが騒いでいることを好機と見たのか、エドナとライラがその隙をついて大皿に盛られた料理をひょいひょいとキープする。
フォークと小皿を持って激しく戦いあうロゼとデゼルの下で料理を持っていく二人を目撃して、スレイは苦笑いする。本当に、一気に賑やかになった。
「東の果ての街か…アリーシャ、その街ってレディレイクからだとどれくらいかかる?」
「ええと…私が行く時はいつも馬車を使っていたから正確にはわからないが…長期遠征になることは確かだ。戦争の知らせを聞いて引き返したとしても、レディレイクに戻ってくるのはもう暫くかかるだろうな…」
「そうなんだ…」
言われて、確かにと思う。ハイランド王国は、ローランス帝国と大陸を北東と南西で二分する大国だ。レディレイクは、ハイランド領から見れば西側に位置する。東の街となれば、相当な距離になるのだろう。
ならばアリーシャが無理矢理戦に参加させられたことも、数日が経っても彼女の捜索がなされていなかったことにも納得がいくように思えた。正直マルトランがいなければ、あの豪奢な王宮にゆったりと座っていた大臣らが重い腰を上げるとは思えなかった。彼らはあれ程、彼女のことを煙たがっていたのだ。
「スレイ、どうした?」
ぱっと、突然視界に、アリーシャの心配そうな顔が映った。一瞬思考の切り替えが上手くいかずに固まって、ひやりと額に何かが触れた感触に驚いて身体が動いた。
「す、すまない。難しい顔をしていたものだから…」
「あ、ううん。ええと、こっちこそごめん。ちょっと考え事してた」
びっくりした。内心で呟いて、困ったように笑って頬を掻く。どうやら無意識に眉間にしわが寄っていたらしい。狼狽しながら謝ってきた少女に慌ててごめんと返す。
「えと、アリーシャ、そこの料理とってくれる?煮込んだ牛肉の」
「あ、ああ。わかった」
何だか妙に座りの悪い気持ちを振り払おうと、スレイは話題を変えるように彼女の近くにある料理をフォークで示す。片方の手は、机の下でアリーシャのものと繋がっている。
最初こそ少しだけ顔を赤くして視線を泳がせていた彼女であったが、皆と話し合っているうちに意識がそっちに集中したのだろう。届かない物は互いに取り合おうと提案したスレイの言葉に、今では平然と腕を伸ばして応じてくれた。
どうぞ、とワインで煮込まれた牛肉が綺麗に盛られた小皿がスレイの元に置かれる。ありがとうと礼を言いながら、スレイはお返しにとアリーシャには届かない料理をぽんぽんと彼女の皿に乗せた。
「このアスパラベーコンて料理、結構美味しかったよ。食べたことある?」
「いや…初めてだな。ありがとう」
鮮やかな緑の細長い野菜に、脂で光る薄桃の肉が巻かれた料理をまじまじと見つめてから、アリーシャはぱくんとそれを食べる。どうやら彼女の口にも合ったらしい。徐々に見開いた翡翠の瞳がその美味しさに輝く様を横目で見ながら、スレイは満足げに笑う。
イズチで自分の手料理を一緒の食べた時を思い出す。そういえば、客人に手料理をふるまうのはあれが初めてだった。
その出来事が随分と前のことのように感じながら、爽やかな酸味がほのかに香る柔らかい肉を口に運んだのだった。




◇   ◆   ◇   ◆


窓から穏やかな陽光が差し込む、宿屋の一室。外を見れば、既に大通りは住人と商人とで賑やかな街並みを作っていた。商人と職人が集まるこの街は、いつ来ても個々の個性が溢れ、けれどそれが全部まとめてひとつになったような活気がある。
王都や古都のような精錬(せいれん)された雰囲気よりも、ラストンベルのような皆が皆がやがやと騒がしい街の方が落ち着くと思うのは、自分が商人気質だからだろうか。
これでぽつぽつと浮いている黒い破片がなければ文句なしなのになぁと内心でぼやきながら、ロゼは窓から移動する。
「それで、エドナ。話って何?」
四人部屋のベッドに腰かけて、赤髪の少女は向かい側のベッドに座る少女に問い掛ける。室内にいるのは女性四人。自分と隣に座る騎士服に身を包んだ少女、向かいのベッドには身長が凸凹な天族の二人。
男性陣の姿はない。彼らはラストンベルの情報収集兼観光に行っている。主に遺跡オタクの二人のせいでメインが観光で、ついでに情報収集になっていそうな気もしないでもないが。まあそこは、信頼できる情報をちゃんと掴んできてくれれば問題はない。
「ちょっとね。試してみたいことがあるのよ」
「何で女子だけ?」
「適材適所ってだけよ。バランスを考えたら必然的にこうなったわけ。それに少ないとはいえ、穢れのある街を探索するのは疲れるし」
少ない方なんだ、と独りごちて、もう一度窓を見る。導師を補佐する役割を持つという従士契約をした時は、肉体的にも精神的にも余裕がなかったから、こうして穢れというものを可視するのは初めてだ。
だが、街の人々が平然と暮らしているためか、見えたからといってスレイ達のような危機感はあまり湧いてこなかった。でっかい埃が浮いてるみたいで気持ち悪い、というのがロゼの率直な感想である。レディレイクやマーリンドはこれよりも酷かったのだろうか。
ちらりと、エドナが促すようにライラを見つめる。それに頷いたライラが実は、と口を開く。
「アリーシャさんに、私たちの器になっていただきたいと思うんです」
「器、て…スレイやあたしのように、神依化させるってこと?」
「いえ、そういうことではありません。私たちがスレイさんの中に入っている時がありますよね?その状態をアリーシャさんでおこなってみる、ということですわ」
「ま、簡単に言えば擬似的な『輿入(こしい)れ』ね」
聞き慣れない単語を出されて、ロゼは少しだけ眉根を寄せる。そういえば、ティンタジェル遺跡を出る前に、話半分で聞いた気がする。確か、導師になるための儀式だとか、自分の中に天族を入れて力を使うだとか、だったような。
つまり取り憑かれるということか。途中で思い出すのが面倒になったロゼはそう結論を出して、自分で自分の考えにぶるると背筋を震わせた。
「こわ…やっぱ天族って怖っ!」
「いい加減慣れなさいよ。こういうものだって」
「ムリムリムリムリ!無茶言わないで」
いくら奇想天外奇天烈常識外れの現実を目の当たりにして、それが夢ではないと受け止めざるを得ず、そしてまさかその浮世離れの世界に首を突っ込む覚悟を決めたからといって、長年のトラウマを昨日今日で克服することはやはり難しい。というかできない。無茶振りだ。
「ロゼ、エドナ様たちは何と?」
「ヘ?あ、えっと、なんかよくわからんけど、アリーシャを器にしてみたいんだって」
器に?と彼女の言葉を繰り返して、アリーシャは首を傾げる。これだけでは要領を得ていない様子の彼女に、フォローをいれてもらおうとライラ達に視線を送る。が、自分達ではアリーシャに声が届かないとあっさりと断られ、思わず半眼になる。
そういうことかと、ロゼはやっと自分がここに残った意味を理解する。要するにアリーシャの通訳係という訳だ。
「えーっと……つまり、スレイが導師になった時?みたいに『輿入れ』とかいう何か儀式っぽいのを、アリーシャにしてみたいらしいっていうか……」
しかし、人それぞれの得手不得手というものを考えてほしいと切実に思う。新商品の品定めや情報の取捨選択をするのは得意だが、こういう仲介人のような類の役は苦手だ。仕事でも大抵、エギーユかトルメやフィル達に任せてしまっている。
「輿入れっぽい…?ええと…つまり、私がエドナ様たちの器になる、ということだろうか?」
「そうそう!正解!」
「それは、私にできることでしたら…。あと、よろしければ理由をお聞きしても?」
しどろもどろになりながらも何とか説明すると、今度は質問が返ってきた。そういえばそうだ。
再び天族の二人を見る。
「この子の霊応力の底上げよ」
「底上げ?器になることが?」
首を傾げながら問い掛けると、はい、とライラが肯定した。
「まだ推測の域を出てはいませんが、それが可能かもしれない、と」
「うーん…イマイチよくわからんけど、だから試してみるってことね…」
霊応力や器などという天族ありきの用語はあまりわからないが、アリーシャの力を増すためのものだということは理解できた。

アリーシャと従士契約をしない理由を、アリーシャ本人から聞いた。
霊応力がそこまで高くない自分が契約すれば、自分の足りない霊応力を補うためにスレイに負担が掛かかってしまうんだと、悲しそうに笑いながら語ってくれた。
けれど、諦めるつもりはないとも言った。スレイ達が許す限り、足掻いてみせると。
ハイランド国の中枢、バルトロ達からの依頼で彼女のことを調査していた時も思ったが、王族であるにもかかわらず勇ましくもたくましい気質を秘めていると改めて感心たものだ。
「ロゼ?」
姿勢を正し、問うような眼差しで見つめてくるその姿は、騎士の出で立ちであるのに品の良さが漂う。精錬された佇まい、とでもいうのだろうか。こうして見ると、やっぱりお姫様なんだなーとしみじみと思う。
「……むむむむむ…」
しかし、それはそれとして。それにつけても、面倒臭い。
彼女が、ではなく、仲介役が。
「あああああもうまだるっこしい!」
わしわしと自前の赤髪を掻きまわす。やっぱり苦手だ。どうしたって苦手だ。
ねぇ、とライラに鬼気迫る顔を向けた。
「あたしもスレイみたいにアリーシャと手ぇ繋いだら聞こえるようになったりしない!?」
「え、ぇえ?ど、どうなんでしょう?今までそういった例がないので……」
「じゃあものは試し!」
「わっ!?」
言うが早いか、ロゼはアリーシャの手を取り、それを両手で包み込む。ぱちぱちと忙しなく瞬きを繰り返す騎士姫に、いつになく真剣な面持ちで聞こえる?と尋ねる。
「あー、あー、アリーシャさん、聞こえますかー?」
しかし、どこか機械的でなおかつ気の抜けるようなライラの呼び掛けに思わずずるっと滑りそうになる。
だが、目前にいる少女はそうは感じなかったらしく、大きな瞳を更に見開いて感動したように息を呑んでいた。
なるほど。天族を信じる者が純粋な心の持ち主だということが今、分かった気がする。
「聞こえる…!はい、聞こえます、ライラ様!」
「おお!」
その言葉に、ロゼも顔に喜色と安堵の色を浮かべる。
よかった。これで自分を介さずとも全員で会話ができる。
「従士でもできるものなんですね…」
「つくづくぶっ飛んだ思考回路してるわね」
「そこは頭が柔らかいのねって褒めるとこでしょ!」
ていうか説明と補足!握っていた手をひとつ離して、向かいのベッドにいる天族二人をびしっと勢いよく指差した。
先程聞いた話をライラが再び説明する。アリーシャは真剣な面差しで、その内容に耳を澄ませた。
話を聞き終えてから、僅かに頬を紅潮させた少女は、それは、と唇を震わせる。
「私も、私自身の力で天族の方々と意思疎通が、憑魔と渡り合う力が身につけられる、ということですか…?」
「すぐに、て訳じゃないし、確証もないけどね。それに問題も色々あるけど」
「問題?」
ロゼの問いに、これは荒療治なんです、とライラが口を開く。
「輿入れは、導師のように高い霊応力を持っている者に行う契約。それは何も、災禍の顕主に対抗しうる力を求めるためだけではありません」
霊応力とは、霊力に応じる力。天族の存在を感じることができる力であり、天族を己が身に宿しその力を発揮する超常的な力でもある。導師や神器などを天族が器と称するのは、主に後者の理由からだ。
導師に選定が必要なのは、霊応力の高さが理由のひとつとして挙げられる。力のある導師を得るためだけではないとライラが述べたのは、力が足りない分は器となった人間へ影響が出るためである。
夕食の際に置かれていたグラスと同じだ。容量以上の水を注ぎ込めば、その水はグラスから零れてしまう。
そして溢れ出た力は、身体を蝕む毒と化す。
「おそらく、相当の負荷がアリーシャさんの身体に掛かると思われます」
人間の文化でいえば、博打(ばくち)と言うべきものだろう。吉と出るか凶と出るか、長らく生きてきた自分とエドナでさえ、わからない。
己と目線の合わない少女のことを、奥に火が燻る緑玉の双眸でひたと見据える。
「それでも、試してみますか?」
その身が酷く苛まれるとしても、力を得られる確証がないとしても。
静寂が室内を支配する。思案するように瞼を僅かに伏せる少女を、ライラは見守るように静かに見つめた。
カチコチと鳴る振り子時計の音が、意識をせずとも耳に入ってくる。しんと静まり返った部屋の中、ライラよりも薄い緑色をした二対の瞳が完全に露わになった。投げかけた言葉を受け止めたアリーシャの視線が、一瞬だけ彼女のものと絡んだような気がした。
そして、美しく整った顔立ちの少女は、いつも以上の凛々しさを帯びた表情で、ライラに向かって迷いなく頷いたのだった。


◇   ◆   ◇   ◆


「……で、アリーシャが熱出して倒れて、エドナの姿が見当たらないってわけ…?」
「ま、そーいうこと」
宿屋に戻って早々、アリーシャが寝込んでいると聞いて部屋まで飛んでいったスレイは、後から追ってきた女性陣から事情を聞いて大きく息を吐いて脱力した。
「焦ったぁ…」
「こういうことは、事前に話しといてくれるとありがたいんだけど…」
額に手を当てて肩を落としたミクリオが、咎めるような視線をライラとロゼに向ける。自分もどちらかといえばとばっちりだと主張するロゼの隣で、困ったようにライラが笑う。
「一応、これには理由がありまして…」
ちらりと赤い顔をしてベッドに伏せっているアリーシャを見遣る。つられてスレイ達も顔を向けると、数秒の間のあと寝ている筈の少女から溜め息が零れた。
『言ったら止めてたでしょう?あなたたち』
頭に直接響いてきた呆れ混じりの声に、当たり前だとスレイとミクリオは同時に叫ぶ。ついでに別の意味でロゼも引き攣った悲鳴を上げ、まぁまぁとライラに宥められていた。
スレイ達がそう反応するとわかっていたらしいエドナはほらね、とアリーシャの中に入ったまま話し出した。
『そうなるのが面倒だったのよ』
「だからって…」
自分達を除け者にすることはないのではないか。煩わしそうなエドナのその言い草に、ミクリオが眉尻を吊り上げる。しかし、反論しかけた少年の言葉を遮るように、ライラが彼の名を呼んで口を挟んだ。
「エドナさんは、アリーシャさんの意思を尊重したかったのですわ」
「それは、確かにそう思うけどさ。でもこれはオレの力が足りないせいもあるし、何よりこうやってアリーシャが辛い目に遭うんだったら…」
「だからこそ、ですわ。辛い状況になるのが他ならぬアリーシャさんだからこそ、アリーシャさん自身が決めるべきだと」
エドナにこの話を持ちかけられた時、ライラも皆に知らせた方がいいのではと思った。だが、旧友はその指摘に首を振った。
彼女自身に負担が掛かるからこそ、周りなんて気にせずに彼女が決断すべきだ。
感情の読みにくい空色の双眸に、珍しく力が込められた光を見せて、彼女は言った。
―――まぁ、あの子なら結局、何言われても自分の意思を貫くでしょうけどね
だから二度手間だし面倒だから話さない。肩を竦めて付け加えられたその言葉に思わず笑いながら、そういうことならと黙っておくことにしたのだ。
「それはあたしも賛成だなぁ。自分のことならなおさらね」
両手を後頭部で組みながら、何てことないようにロゼが素直な思いを口にする。それを背後で聞いていたデゼルは、少女のことをじっと見つめていたが、やがてフンと鼻を鳴らして扉を開けて部屋から出て行こうとした。
「デゼル?どこ行くの?」
「…そろそろ夕飯の時間だろう。場所取りだ」
「いやいや、あんた人には見えないでしょ」
「フン、見えなくとも領域を展開すれば、人を近付けさせないようにすることは可能だ」
「そうなの?!領域って超便利じゃん!」
「いや領域はそんな使い方するようなものじゃないから…」
目を輝かせて感心するロゼに、満更でもなさそうにデゼルが口端を吊り上げる。呆れたように肩を落とし、ミクリオはツッコミを入れるが聞こえないようだった。無言で歩き出すデゼルは、面白そうだから見たい、ついでに料理も選びたいと好奇心を満々にしたロゼと一緒に食堂へと向かっていってしまった。
『あなたたちも、そうだったんじゃないの?』
色々な意味で奔放な二人に苦笑いを零していたスレイは、再び響いてきたエドナの声にはたとミクリオと顔を見合わせる。
脳裏に甦るのは、ライラと出会った聖(せい)剣(けん)祭(まつり)でのこと、ミクリオが陪神となったガラハド遺跡でのこと。
その時の出来事を、自分の言葉を思い出して、押し黙る。
そうだ、自分達も自らその道を選び取って、導師として陪神として今、ここにいる。
「…うん、そうだな」
「そうだった……じゃないか。これからもそうするだろうね、僕たちは」
「うん。それにアリーシャも」
エドナを身の内に受け止め、反動で寝込む少女を見つめる。
無茶をさせたくはない。けど、彼女だって自分のことは他ならぬ自分自身で決めたい性格のはずだ。
ならば、彼女が決断したことなら、自分もミクリオも止めることなどできない。
「まぁ、なんというか…」
「…頑固者だな、オレたち」
苦笑しながらそう零せば、今更気付いたの?と容赦のないツッコミが飛んできた。エドナの皮肉にミクリオが悔し紛れに君はひねくれ者だ、と言い返すが、柔軟性のない石頭よりかはマシだと即行で切り返された。
ぐうの音も出ず撃沈した親友の隣で、スレイはははは…と乾いた笑いを漏らす。
舌戦でエドナに勝つことは至難の業だ。ミクリオにだって大抵負けるスレイは、早々に抵抗することを諦める。
『それで、収穫はあったの?』
「あ、うん。次の行き先は、ペンドラゴにしようかと思うんだ」
エドナの言葉をきっかけに、スレイは今日の出来事を話しだす。途中から立ち直ったミクリオも参加して、交互に彼女らに説明する。
「天族を探していたら、検問の際にいたセルゲイという騎士にまた会ってね。導師だということがバレて、枢機卿という人物について探って欲しいと頼まれたんだ」
夫婦くだりの話は何故か未だ信じているけどね、とミクリオは呆れながら肩を竦める。これならアリーシャがハイランドの王女だということも隠し通せそうだと安心もしたが。
「ローランス帝国の首都ですわね。それに枢機卿といえば、教皇に次ぐ教会のNo.2だとお聞きしたことが……」
「ああ、その人物がどうもきな臭いらしい。あと気になるのが、教会と貴族の間でエリクシールが取り引きされているという噂も―――――」
「ねぇねぇねぇ!すごいよ領域!」
やっと集めてきた情報を報告しはじめたところで、何の前触れもなくバンッ!と勢いよくドアが開いた。
あまりの大きな音に目を白黒させて部屋の出入り口を見れば、そこには先程デゼルと共に出て行ったロゼの姿。大発見!と言わんばかりの気の昂りように、全員が呆気にとられる。
「デゼルが座ってるテーブル、皆見えないみたいにスルーすんの!めっちゃ面白い!」
そして非常に高揚した声で話されたその内容に、思い切り身体から力が抜けた。
「本当にやってるのか…」
話の腰をべっきりと折られたミクリオは、ロゼが息巻いて話す内容に怒る気力も失せてただただ呆れた。
楽しそうに話すロゼもロゼだが、席の確保というためだけに領域を展開したデゼルもデゼルだ。やはり風の天族というものはわからない。
「デゼルさんて、案外お茶目ですのね」
『どうでもいいけど、アタシの分はちゃんとキープして持って来なさいよ』
「ははは…とりあえず、ご飯にしよっか」
早く早くと急かすロゼに続くように、ぞろぞろと部屋を出た。
最後尾のスレイは開けっぱなしの扉まで歩いて、ふと後ろ髪を引かれるようにもう一度アリーシャを見遣る。
赤い顔でベッドに寝込む同い年くらいの少女に向けて、スレイは困ったような笑みを零した。

自分も無茶をするし、さっきも言った通り、これからも無茶をし続けるのだと思う。自分の手が届くのなら、例えぎりぎりでも手を伸ばしたいから。
でも、自分の知らない所で無茶をされるのは辛い。力になれないのは、辛い。
それに、とスレイは無意識に呟いた自分の声に我に返って、そこから出かかった言葉を寸でのところで呑み込んだ。
――――そんなに無理をする必要はないのに。今のままでも、充分なのに。
言いたい。けれど、その言葉をアリーシャは必要としていない、多分。それでもそう言いたくなってしまうから、これは自分の我が儘なのだろうなと思う。

だから、言いたいけど言わない。

「オレももっと、強くならなくちゃな…」
そもそも自分の力がまだ弱いことも原因のひとつなのだ。より強い力を身につければ、災禍の顕主に対抗することも、何の気兼ねもなくアリーシャを従士にすることもできる。
でも、とスレイは首を振る。でも、焦っては駄目だ。余裕がないとまともな判断ができないことを、この間思い知った。そして仲間達に叱られたのだ。
急いでは事を仕損じる。急がば回れ作戦だ。
焦る気持ちを宥めるように急がば回れ、と心の中で繰り返して、パタンと扉を閉める。ふぅとひとつ息をついてから食堂へと向かうために右へ身体を向けると、先に出て行ったはずのライラが数歩先に佇んでいた。
……もしかして、聞こえていたのだろうか。
何となく気恥ずかしくなって、照れくさそうに頬掻いてライラを見れば、己の主神は目を細めて柔らかく微笑んで、行きましょうとスレイを促したのだった。








「すっげー!ホントにデゼルの周りに人が座らない!」
「でしょ!もうすごいしおかしいし便利だし!」
「確かにすごいが…傍から見たら、避けられてるように見えるな」
「ひとりぼっちは可哀想ですから、私たちもぼっちぼっちデゼルさんの許へ行きましょうか」
「おい、聞こえてるぞそこの天族二人。あとそのシャレはつまらん」





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